2016年5月8日日曜日

『ホワイトハウス・ダウン』 -不足のない娯楽大作

 ホワイトハウスを占拠するテロリストグループに、たまたま巻き込まれた警官が単身、闘いを挑む…と、どこかで聞いたような設定のハリウッド謹製娯楽大作。
 そのまんま『ダイ・ハード』じゃん、と思っていると、まあ似ていること。それでいいのか、ローランド・エメリッヒ。
 だがその面白さたるや、期待以上。次から次へと迫り来る危機と、それを小分けにして克服していく展開の連続。スリリングな展開に、娘と観ながら、思わず歓声をあげてしまう。さすがエメリッヒ。
 伏線の張り方も、節々に配置されたユーモアも、どんでん返しも見事だ。良い脚本だなあと思っていると、ジェームズ・ヴァンダービルトという脚本家は『閉ざされた森』『ゾディアック』というきわめて高評価の作品の脚本を担当している。なるほど。良い仕事をしている。
 文句のつけようのないほど面白い映画なのだが、結局『ダイ・ハード』がオールタイム・ベストテン作品であるようには、最高級の評価をするところまでにはいかない。
 主人公のチャニング・テイタムは、ブルース・ウィリスほどの深みのあるキャラクターではなかったし、悪役のジェームズ・ウッズも、アラン・リックマンほどの魅力はない。それは単に役者の力量というだけでなく、脚本と演出の問題だ。
 テイタム演ずる主人公ジョン・ケイルの行動原理が、「娘を守る」と「大統領を守る」という、わかりやすい単細胞な感じだったのに対し、ウィリス演ずるジョン・マクレーンは、警官という責務に誠実であろうとしつつ、それが動機だからこそ、巻き込まれた不運に「しょうがねえなあ」とぼやきながら闘っている感じが大人だった。
 ジェームズ・ウッズも、シリアスな動機でテロを起こすにしては、その主張が十分に主人公の正義と拮抗していないし(なんせ主人公の側も単細胞だから)、主張自体に無理がありすぎる。アラン・リックマンのクールな悪党の方が、健全な市民の職業意識として排除すべき充分な説得力のある敵役だ。
 まあそうした味わいはいわば「余録」ということで、全体としてよくできた、堂々たる娯楽大作として不足はない映画だった。

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