2014年11月30日日曜日

週末

 そういえば前にも同じ題名の記事があったような。
 週末のことをまとめて書いておく。こういうのは単に自分のための日記。
 時々触れていた息子の入試は(まあ本人はこんなところで公の場にさらされたくはないだろうが)、木金で終了。とりあえず。本人曰く、入試本番はめっちゃテンションが上がって楽しかったというのだから豪胆と言おうか前向きと言おうか、なんともはや。聞くと、小論文のテーマと彼の書いた内容にはズレがあるような気もして安心はできないのだが、本人に後ろ向きな感情が湧いていないらしいことには安心。結果が出るまではさっさと切り替えて一般試験用の勉強を続けている。大したものだ。

 土日に新人戦の県大会だが、土曜の午後は東京で二つの会議を梯子する。その移動の途中で明治神宮外苑の銀杏並木を縦走して、駅までを遠回りしてしまった。もう日が落ちていたから、銀杏の黄葉もライトアップされていたのだが、そこら中でそれを撮影している人がいて、なるほどと思い、私も。










それにしてもここまでひどいとは、ガラケーの画面ではわからなかった、とは言い訳だが、センスのないのにもほどがある。
日曜日に天台のスポーツセンターの敷地で撮った「名もない」銀杏並木の方が、よほど綺麗に撮れてる。
 こちらが東京に出て娘1のところに泊まっている間、娘2と妻は金沢で「ざぶん賞」(「ザ文章」ではない)とかいう作文コンクールの授賞式に出席していた。「募集する文は、海や水に関わることであれば、環境問題に限らず安全、文化などテーマを広く選べること、また表現方法も作文や童話、詩、手紙など選択できます。」というのだが、どうも主催団体がどんなものなのかわからないところが怪しい。一応文科省や環境省が後援ではあるのだが。
 だが帰ってきて様子を聞くと、授賞式はそれなりだったようで、出品作品の娘の文章にプロのアーティスト(というか大学の先生:千葉千司:文星芸術大学美術学部・准教授)が絵を付けてこんな額に入っていたり、
入賞作品がちゃんとした文庫本になっていたりする(いかにもの「文集」の体裁でないところが)のをみても、なんだが金がかかっている。さすがわざわざ金沢くんだりまで授賞式だとかいって千葉の人間を喚び出すだけのことはある。珍しい経験に本人は喜んでいたが、こちらも嬉しい。授賞式が終わるまで読ませてもらえなかった肝心の入賞作品は、これで初めて読んだのだが、侮れない。すまん、侮っていた。申し訳ない。これほどとは。
 帰ると、「一人暮らし」モードだったという息子は家から一歩も出ずに勉強していたのだと。
 というわけで子供の自慢話二題。

2014年11月25日火曜日

『孤独な嘘』『婚前特急』

 忙しい時間の隙間を縫って、ハードディスクの残量がカウントダウンになりつつあるのを気にして、録画されている映画を観る。
 『孤独な嘘』(「Separate Lies」監督:ジュリアン・フェロウズ)は「アカデミー賞スタッフによるサスペンス」という触れ込みに釣られて観てみると、監督はこれが初監督作品なのだった(プロデューサーや出演者がアカデミー賞受賞者のようだ)。それが後で調べてわかって驚くほど、堂々たる画面構成で、演出で、編集の、格調高い映画だった。すっかりベテラン監督の風格だと感じたのだが。
 が、お話としては、あれでいいのか! という不全感が強い。自分に置き換えて納得できる範囲を超えている。交通事故で人を死なせて隠蔽したままでいいのかとか、妻の不倫をあのように容認したままでいいのかとか。もちろんサスペンスでもない。それは許すとしても、ああ共感も感銘もなく、映画的表現のレベルの高さだけが際だつ作品をどう受け止めたものか。


 一方、日本映画の『婚前特急』(監督:前田弘二)もまた、偶然にも初監督作品だった。なおかつこちらも、あれでいいのか! という不全感が強い。『孤独な嘘』同様、こちらもネットでは「納得できない」コールが激しいが、むべなるかな。吉高由里子が、気の迷いのように浜野謙太と結ばれてしまうのが、どうみても結局気の迷いのようにしか感じられなくて。それなりに納得できる面もあるよ、とかいう余地の無いほど、ハマケンの演じる男はどうしようもないと思うんだが。
 でもなおかつ、悪くない映画だった。吉高が可愛かったとかいうのも認めてもいいが、『孤独な嘘』などとはあまりに対照的な日本映画的、手作り感が。
 それと、途中のワンシーンがあまりに印象的だったのに驚いた。ハマケンのアパートに向かう吉高が街を歩くシークエンスが長々と挿入されているのだが、この街の風景が、なんだかこの世のものではないような感じなのだ。視界に人影がなく、強い風が街路樹や吉高の髪を靡かせる。ふてくされたような、放心したような表情で、体を投げ出すように歩く吉高の感情も、言葉で掬いきれない複雑なもののように感じられる。吉高からかなり遠い向こうにある樹のざわめき方からすると、あの風はロケ当日に偶然なのか狙ってなのか、実際に吹いていたのだろうと思うが、それがどうしてあんな違和感を感じさせるのかわからない。太陽の位置も判然とせず、「朝」だとか「昼」だとか「夕方」だとか名づけられるような、どういう時間帯だとも言えない。
 そしてそうした街角を望遠で平面的に捉えておいて、手前に吉高の脚が焦点の合わないまま表れたかと思うと、低い位置に置かれたカメラから遠ざかるように奥に向かって歩くにつれて平面的な街に嵌め込まれるに焦点が合っていく。それでも縮尺から、奥行きはあるようにも見える住宅街は人影が絶えて、遠くの方で樹がざわめいている。
 こういうカットが撮れるのは「センス」によるものか。それとも私が知らないだけで定番の技法なのか。いずれにせよこのカットだけでハマケンも許す。
 ところでハマケンって、在日ファンクのあの人か!

2014年11月24日月曜日

小論文3

 夜中までスライドショーの編集で、今日は部活に行って、で、帰って夕飯のカレーを作ってから今日の分の小論文指導を。今日だけで4本。この週末に13本だ。正味20時間くらい? それに対する指導時間も10時間くらいは費やしているか。
 だが問題文を読んでいると寝てしまって、なかなか頭に入ってこない。昨日書いたとおり、もうあれこれ言う余地のないものもあるが、それでもせっかくだから誤字を探したり、微妙に主述の乱れているところをみつけて指摘したりもする。今日の4本の中には問題文の読解を失敗していて、致命的だったものもあるし、問いに十分答えることなく紙幅の尽きてしまっているものもあるが、ともあれ、こうして一つ一つ、次に「使える」定見が増えていくことは大いなる成果だ。半分くらいは前に展開したことのある論旨の使い回しになりつつある。テーマの範囲がある程度決まった小論文の対策として、数をこなすことの成果はこれだ。
 だが本当は、高校時代、授業中などに読んだ評論などが、同様に使える「パターン」「定石」となるのが好ましい。多くの高校生にはそこまで授業の成果を自分のものとすることがないままで、いざ小論文に使えるのはワイドショーのコメンテーターの受け売りくらいだったりする。惜しいことだ。教科書に収録されている評論の受け売りができれば上出来なのに。

2014年11月23日日曜日

小論文2

 いよいよ本番が目前に迫ってきた息子は、金曜日から今日までの三日間で計9本もの小論文を書いてきた。1本1時間半としても単純に合計すると13時間半。問題選定の時間も含めるともっとかかっているはず。なんという集中力。
 で、次々とこちらに持ってくるのだが、これを、1本2~3時間かけて検討している時間は無論無い。こちらもここんとこ修学旅行のビデオ編集とスライドショー作りに膨大な時間を取られていて、寝不足の毎日。結局1本あたり1時間も時間をとれていないで、最低限の検討会をこなしていく。彼も初期の頃より格段に練度が高くなってきて、もうそれほど駄目出しをする余地がなくなっている。というか、文章の完成度は恐ろしく高い。同時にたまたま、それほど考える余地のない問題が続いているともいえる。考えているうちに新しい認識が訪れるスペクタクルが展開されるわけでもない。手堅くまとめているという印象のものが多い。この段階ではこれで良しとするか。
 三連休の明日はさらに2~3本書いてくるんだろうな。あと何本見られるか。どこまでつきあえるか。

2014年11月20日木曜日

オペラ

 今年の芸術鑑賞会はなんとオペラ。ほんとかよ、と思っていたら、本当にオペラだった。しかも「カルメン」。ただしフルオーケストラは無理で、ピアノとパーカッション2台。でも役者たちは本格的にうまかった。
 だが、やはり起き続けてはいられなかった。そんな状態で感想を言うのも不遜だが、やはりどうにも入り込めなかった。歌の部分は台詞も聞き取れないし、物語が感情移入できたりスペクタクルだったりすることもなく。
 だいたい昔からミュージカルもだめだった。この間のJersey Boysなどは、劇中ではっきりと演奏をするという設定で演奏するのだから、全く問題はないのだが、お芝居の一部として、台詞を歌ってしまうような演出には全然ついていけない(たしかタモリもそんなことを言っていた)。オペラも同様だった。
 申し訳ない。良い観客ではありません。

2014年11月15日土曜日

カスタマー・レビュー

 Amazonから届いた北園みなみとウワノソラを一通り聞いて、カスタマー・レビューに投稿。

北園みなみ『PROMENADE』
 わかった。天才だ。認める。作曲・編曲に、演奏だって? このレベルで鍵盤楽器もギターもベースも弾けるって、どういうことだよ。
 そもそもLampから辿り着いたのだが、Lampやキリンジ、流線形や青山陽一あたりを挙げておけば、北園の音楽の心地良さは想像して貰えるだろうか。
 それにしても、SoundCloudの音源から聴いている者としては、例えば「ソフトポップ」などは原曲である「Dorothy」と比べて、実に音数が増えてその一音一音がセンスの閃きに満ちているし、録音もそれなりに金のかかった贅沢な感触になっているのだが、それでも「Dorothy」はそれはそれで良い。さらにチープな「Dorothy」のDEMOバージョンですら、既に充分に良い。やはり根っこのところで既に天才なのだな。
ウワノソラ『ウワノソラ』
 北園みなみのリコメンドに誘われて聴いてみると、これは好みだ。北園みなみやキリンジのような「天才」に圧倒されるわけではないが、このまま精進してLampのような陰影のある曲が増えてくることを期待したくなる好感大のグループ。世代的には「あっぷるぱい」に近いが、印象としてはadvantage Lucyに近いか。
 多くは16ビートのギター・カッティングに乗せた、トニックやサブ・ドミナントを基本、メイジャー7thにするという、日本ではシュガー・ベイブに始まって、ゼロ年代には流線形が、2010年代にあっぷるぱいが継承してきたるキラキラしたポップ・ソングたち。細かい転調が散りばめられているのもこの手のジャンル好きには嬉しい曲作りだ。流線形のクニモンド氏の歳ならこうした70年代風のサウンド作りも腑に落ちるが、どうして90年代に生まれた彼らがこうしたサウンドを生み出しているんだろう。とはいえadvantage Lucyでさえ、結成から20年近く経っているなんて聞くと、時間の感覚が混乱してしまう。
 というわけでオールタイムで聴ける、いわゆるエバーグリーン・ミュージックです。
 ものんくるの『南へ』の一番乗りをしようと思っているうちに見てみるともう3人のレビューが載っていて、出遅れた。といっても、何が書けるかちっとも思いつかないのだが。

 高野文子の『ドミトリーともきんす』も、買って読んだら、やはりなんらかの感想を言わねばなるまいと思うのだが、数年ぶりに『棒がいっぽん』など読んでみると、どうにも語り口がみつからずに途方に暮れてしまう。やはり「よくわからないけどあきらかにすごい」のだった。

2014年11月12日水曜日

高野文子

 最近、新聞の書評で高野文子の12年振りの新刊が出ていることを知って驚いたのだが、今日、大修館の出している『辞書のほん』というフリーマガジンで連載されている穂村弘の対談「よくわからないけど、あきらかにすごい人」の今月号のゲストが高野文子だったのを見つけて再度びっくり。
 高野文子は卒論でも言及した、思い入れのある存在なのだが、連載名の「よくわからないけど、あきらかにすごい人」は、ほんとうに高野文子のためにあるような形容だ。未読だが先月号のゲストが萩尾望都で、彼女が「自分以降のマンガ家ですごい人は?」と訊かれて高野文子と即答したのだそうだ。おお! 萩尾望都にそう言わしめる高野文子はやっぱり「すごい」が、まあ多くのマンガ読みがそう思っているのも間違いない。そして高野文子も萩尾に導かれてマンガを描き始めたのだとか、自分に近い存在は樹村みのりだと言っていたりするのを読んで感慨に耽る。樹村みのりもまた私にとっては大学生の頃からの最重要作家なのだった。
 高野の新刊『ドミトリーともきんす』もいつ買うかは単に時間の問題で、買わないという選択肢はないが、さて、読むのは怖い。読んで「面白かった」とかいう腑抜けた感想を書く訳にもいかないだろうし。とりあえず『棒がいっぽん』と『黄色い本』を読み返して、準備体操をするか。

 昨日注文した北園みなみの『PROMENADE』とウワノソラの『ウワノソラ』がもう配達されてびっくり。amazonnおそるべし。ルルルルズも注文してしまえばよかったか。

2014年11月11日火曜日

『麒麟の翼』『ヒッチャーⅡ』、ウワノソラ、ルルルルズ

 『麒麟の翼』は「ガリレオ」シリーズもそうだが、それなりに謎のピースが嵌っていく後半へ向けて快感もあるものの、感動はない。阿部寛のお説教は「誰も守ってくれない」の佐藤浩市を思い出させたし、松坂桃李の暑苦しい演技は「ツナグ」の悪夢再びというような気がして見たくなかった。うーん、原作読んでもおんなじような感想になるのかなあ。

 『ヒッチャーⅡ』は、あまりの駄目さに感想を書く気力も湧かない。これこれが充分に言いたいことを言ってくれている。むしろこれらのブログ主の分析力や文章力がすごい。気合いもすごい。両方のブログ主ともに「ヒッチャー」第一作については傑作との評価なので、そちらは機会があれば観よう。
 ところで殺人鬼のジェイク・ビジーって俳優がどうも見覚えあるなあと思ったら、『アイデンティティー』のあの護送される犯罪者か! しかも「ヒッチャーⅡ」と同じ年の映画なのか、あの傑作は。

 ということで映画は2本ともはずれだったが、音楽の方は良いのを見つけて満悦。
 北園みなみがとうとうメジャー・デビューということで早速amazonで注文。そこでリコメンドされているウワノソラとルルルルズに一聴惚れ。

ウワノソラ - Umbrella Walking ルルルルズ 『All Things Must Pass』 MV

他にも↓


2014年11月10日月曜日

『エクスペンダブルズ』12

 「3」が公開されるのにあわせて「エクスペンダブルズ」の「1」「2」が地上波や衛星で複数回、テレビ放送されてる。前にあんなことを書いた義理もあって、録画しておいたものを観る。休みにまかせて一日で2本とも。
  いやはや「やり過ぎ」感はキャスティングだけにとどまらない。アクションも、これでもかという「やり過ぎ」感に満ちている。いや、面白かったけどね。ストーリーはそれなりに起伏に富んでいてハラハラしたり、ワクワクしたり、機知に富んだ会話にニヤリとしたり、悪くない。何よりアクションのレベルの高いこと。ジェット・リーのカンフー・アクションはまあ当然として、ジェイソン・ステイサムの合気道風な動きとナイフ捌きを混ぜた殺陣はうまかった。爆撃やら銃撃やらカーアクションやら、これでもかの天こ盛りで、わずか数秒のカットにどれほどの手間と金がかかっているんだろうというようなアクションが、湯水のように流れ去って、目が追いきれない。勿体ない。贅沢というにも気が引けるほど、「勿体ない」というべき密度。
  それにしても、あの仲間の命と敵方の命の重さの、あまりの不均衡をどう受け止めたらいいのか。敵は全くシューティングゲームの的でしかない。それを薙ぎ倒す快感を認めるべきなんだろうと思いつつ、それを等閑視して、仲間の死を悼んで良いものか。とするとどうしても人間ドラマが弱くなるんだよなあ。
 ところでランディ・クートゥアが主役メンバーの一人として出演しているのは嬉しかった。敵方の肉体派ラスボスを倒す重要な役どころを割り当てられているとは。一方でノゲイラ兄弟は、かろうじて画面の中に認められるだけであっさり死んでいく敵方の兵士の一人。それもまた勿体ない。

2014年11月9日日曜日

帰朝、『Jersey Boys』

 台湾の話は無し。書き出すときりがないし。
 それより行き帰りの機内で『Jersey Boys』を観た。これは良い映画だった。クリント・イーストウッドにハズレなし。何より音楽が良かった。まあミュージカルなんだからそこを外す訳にはいかないが。忍び込んだ教会ではじまる合唱や終演後のクラブではじまるセッションの素晴らしいこと。そして、ミュージカルの苦手な私にも、ラストシーンのダンスにはこみ上げるものがあった。あれを原作のように舞台でやられるとどうなんだろう。映画では奥行きのある画面でストリートを歩きながらダンスするという様式美があって、その進行に物語の時間の流れがシンクロして再生されるような印象があるんだが、観客席から観て平面的な空間で繰り広げられる舞台劇のダンスでもそういう印象が表現できるんだろうか。
 ドラマとしてももちろん面白い、感動的なものだが、ふと、こういう、栄光と挫折という人間ドラマということなら、この間の「敵はリングの外にいた」なども同様の面白さだったよな、とか連想してしまう。それにしては金のかかり方が桁違い。それだけに「敵は…」は良い仕事だったということだが。
 ところで、「ジャージー・ボーイズ」という邦題を聞いたときは「Jazzy Boys」(「Jazzy」=活気のある・派手な・けばけばしい)なのかと思ったが、出身地のニュージャージーに因んでの「Jersey Boys」なんだそうな。それにしても「Jazzy」って、「ジャズっぽい」って意味で使っていたが、「ジャズ」ってのがそもそもそ「派手な・けばけばしい」なのか。日本語の「かぶく」だな。「歌舞伎」の語源になってる。

 飛行機の中ではもうひとつ、「Lucy」の最初の30分くらいを観たが、舞台がさっきまでいた台湾だったのが妙な偶然ではあった。

2014年11月5日水曜日

明日から

 明日から台湾で4日ほどブログお休み。まあ毎日更新ではないから特に珍しい空白でもないが。「こころ」シリーズの更新も、準備はしていたのだが果たせず。ブログらしく旅の記録なぞする予定もなく、帰朝してから何事もなくまた更新するんだろうな。

2014年11月2日日曜日

 『88ミニッツ』、散歩

 『88ミニッツ』なる深夜映画を録画。サスペンスだかホラーだかという宣伝だったのだがどんなのか不明だったので、休日の徒然に午前中から観てみる。何だか妙な急展開で裁判シーンになって、証人で出てきたのがアル・パチーノだったので、あれ、こいつはちゃんとした映画なのかいなと思い、続けてみてみると、とりあえず謎で物語を引っ張る。車を爆破したりして、妙なところで金がかかってもいる。題名の「88ミニッツ」が、殺人予告のあった途中から、映画と物語中の時間をシンクロさせるという例の手法で描かれるのだとわかって、興味も引かれる。
 だが、結局バタバタしたまま強引に終わるB級サスペンス映画だった。ネットでも口々に「登場人物が把握しきれないうちに終わる」「人物に思い入れも持てないうちに殺される」と、やっぱり、な感想だった。それにしてもあちこち謎だ。冒頭でアル・パチーノと一夜を共にした女が、朝、全裸でY字バランスをしたまま電動歯ブラシで歯磨きをして登場するんだが、この衝撃的な登場が、何ら意味をもっていないのが凄い(さらにどうでもいいが、行きずりの女がどうして電動歯ブラシを持っている? 家主の歯ブラシを勝手に使ってる?)。この女、後で「出張ホステス」だったことがわかり(原語は何だ? コールガールか?)、その後で殺されてしまうんだが、連続殺人犯のトレードマークの、ロープで片足を吊すという殺し方が、ちょうどY字バランスを逆さまにしたポーズのようにも見えるが、その伏線かと考えるのはあまりに無理矢理か?

 昼過ぎに運動不足感をおぼえて、自転車で散歩。途中の古い集落で、側溝の端の草地に小さな旗が何本も立てられている光景を不思議に思って写真に撮る。
どうやら「御加護」と書いてあるように見えるのだが、こういうのを何というのか、ネットでも調べられない。水辺であることと、曲がり角であることに何らかの意味合いがあるのだろうと想像されるのだが。子供が側溝に落ちないようにとのおまじないなのだろうか。