2026年4月29日水曜日

『冬のなんかさ 春のなんかね』-リアル/アンリアル

 映画監督としての今泉力哉作品は観ていないのだが、映画監督がテレビドラマを撮って圧倒的なクオリティを示す例は是枝裕和の『ゴーイングマイホーム』で驚嘆したことがある。

 観始めると、とにかくうまい。どこまで演出かわからない自然さで登場人物が演じる。微妙なアドリブが許されているのか、言い淀みとか言い直しとかを含む台詞回しと間。カメラの切り替えなのか編集なのか、シーンの長い芝居をたっぷり見せて、感情の微妙な動きを豊かに描く。

 これが映画を本職とする監督のレベルかと舌を巻いていると、脚本も今泉。器用だ。

 フィクションは、そのメディアの語りの上手さが十分に発揮されていれば、それだけで快感ではある。

 にもかかわらず、お話としてはいささかうんざりする部分があちこちにあって、終わりもまた後味が良いとは言えない。それは現実の苦さだといって納得できるわけでもない。途中の人物描写はむしろ現実離れしている。特に主人公の元彼たちは総じて。

 リアルだと思える描写と、どうにも現実離れした設定やら人物造型やらが同居している。

2026年4月27日月曜日

『花束みたいな恋をした』-閉鎖感

 坂元裕二の脚本に対する期待から、かえって観ることをためらっていたふしもある。宇田丸さんが言うように面白いんだろうか、と。

 さて総評としてはそれほど楽しめなかった。『問題のあるレストラン』でも『カルテット』でも、『大豆田』でも『初恋の悪魔』でも、あんなに面白いテレビドラマに対して、この映画での盛りあがらなさと抵抗感と。クドカンのテレビドラマと映画の差も連想される。

 一つにはテレビドラマには、あの長い時間をかけて「彼ら」に感情移入していくことの力がある。その分喪失感は大きい。映画ではあれよと時間が展開して、それほど思い入れないまま、何かが失われるにしても痛みは小さい。

 それだけでなく、テレビドラマが隅々まで面白いように、例えば本作は楽しくはなかった。ひとつには「やりすぎ」だと思えてしまったこともある。主人二人の共通点が、これでもかと描かれるが、それはいくらなんでも偶然が過ぎる。

 最初の押井守をカフェで見かける興奮には共感したが。

 それから、やっぱり主人公二人がそれほど好きになれなかったということかもしれない。例えば最近作で言うと『初恋の悪魔』は、 林遣都の「鹿浜」さんに好感が持てたから、あれほど切なかったのだ。本作ではそうはならなかった。なんだろう。二人は共通点で惹かれ合っているが、それは本人たちの人間的魅力なんだろうか。どうもそういうふうには感じなくて、その閉鎖感にうんざりしたのかもしれない。

 

2026年4月4日土曜日

『一秒先の彼/彼女』-改悪

 2年越しの宿題で、日本版を。

 宮藤官九郎にはずれなしの評価は、映画ではいくらか外れるのだが、これはまた本当にひどい裏切りだった。ちっとも面白くならない。最大の問題はキャスティングだとは思うものの、クドカンの脚本がいささかもそれを救っていない。この物語の魅力の一つは伏線回収の構成の妙にある。こういうのはクドカンの得意技ではないか。それが、原作のいくつかの伏線を省略した上で、加わるところは何もない。どこまでが脚本の問題なのかはわからないとはいえ、リメイクの際に付け加わった変更が成功しているところがあるとは思えない。主人公と同居する妹カップルとか謎の洛中マウントとか、何の面白みも生んでいない。

 そのわりに、原作では前編の後半(映画全体が二章構成で、その前編の後半)で、ヒロインが謎を解くべく奔走する、ロードムービー的展開で、物語がみるみる魅力的になっていったくだりだったのに、それが大幅にカットされている。それは主人公が消えた1日を探す旅であるとともに、後半で男性主人公の思いに気づいていく重要な助走であるはずなのに。

 こうした構成上の問題もあるとはいえ最大の問題はキャスティングだ。男女逆転の配役は、それだけで失敗が必然的とは言うまい。だが結果的には致命的な失敗だった。台湾版の二人が、それぞれに冴えない30代で、それだけにその愛嬌や誠実さや不器用さや前向きさが愛おしいと思えるキャラクターであり得るのに、それを岡田将生と清原果耶にして、どう「冴えない」と思えば良いのか。

 前半主人公の台湾版のヒロイン、ペティ・リーは美人ではないが愛嬌があって、映画が進むにつれてみるみる魅力的になっていくというのに、岡田将生は見た目に反して冴えないという設定になってはいるが、単に嫌な感じの人物になってしまっている。対する後半主人公のリゥ・クアンティンは(いくらか個人的な事情で特別の思い入れもあるとはいえ)不器用で愛すべき人物として感じられるのに、清原が「パッとしない」と言われても無理がある。リゥ・クアンティンがどれほどヒロインを大事に思っているかを、清原は、あの演技力があったとて、到底実現してはいない。リゥがペティを大切に思うことは切実に感じられるのに、清原が岡田を大切に思うことに、まるで共感できない。何であんなやつにとだけ思えるばかりで、まるで共感できない。

 それでも監督がなんとかしてくれ。一体何をしようとしているんだ。単に本家の魅力を殺いで殺いで、何を付け加えるつもりなのか。いや、単にカメラワークとか編集とかいった映画本来の要素でさえ、本家のうまさに比べて全く印象に残らないほど凡庸なのは一体何なのか。

 製作の都合で短くなっているせいであれこれ削られているのかと思って上映時間をみると、台湾版と同じ2時間。豊かな時間に満ちていたように思える台湾版に比べて、あれこれが「ない」と思えるのに。手応えはまるでスカスカ。

 どうもおかしい、あの感動は気のせいだったのか、と台湾版を見直してみた。どちらも2時間あるので、余裕のある休日とはいえ、すっかり夜更かし。

 設定がわかってしまってからだと、あの驚愕の展開や構成の妙からくる感動は失われているかと思いきや、台湾版はやはり細部に至るまで素晴らしいのだった。軽妙な笑いを生み出す台詞回しこそ得意であるはずのクドカンでは全く可笑しくなかったというのに、こちらは可笑しくて笑ってしまうほどのユーモアが横溢している。それは主人公の二人に対する愛おしさゆえに、温かい気持ちで受け入れられる笑いだ。岡田の「嫌なヤツ」に笑う気にはなれないし、清原は外れ役に痛々しいばかり。

 それだけではなく原作では、牡蠣養殖場をバスが走るシーンの美しさとか、時間の止まった街の異常さに、いつしか心浮き立っていくくだりとか、日本版からはすっかり抜け落ちてしまった映画的な魅力にも溢れている。

 そしてやはり台湾版ではヒロインを思う男性主人公の健気さがひしひしと胸を打つ。やはり物語の核心はそこにある。その切実さがユーモアとともに、観客に共感されていく。それに対して、清原がそれを感じさせないのは本当に残念だ。単に大学7回生というくらいでは「冴えない」が現前してこない。岡田を大切に思う気持ちに、まるで共感できない。

 そしてそのキャスティングのせいで、バス運転手役にあらためて荒川良々を物語に介入させることで整合性をとるしかなくなっているのだが、これはまた全く何の魅力も増しておらず、単にそこに時間がかかるぶん差し引きが大きくマイナスになるだけ。原作ではリゥはバスを運転しながら、時間の止まったペティに「真相」を語る。日本版では清原が語るのが荒川相手になるのは、辻褄としてはしょうがないのだが、これで本家の感動的な語りはすっかり台無しになっている。リゥの語りはまっすぐにペティに向けられていて、それを受け止めるペティは笑顔のまま固まっている(ここは物語の展開を詳述しないが、これもまた周到に伏線が張られた結果としてそうなっている)。ここに物語上必然性を持たせられなかった改作版では、岡田は無表情のまま。これがどれほど物語の興趣を殺いでいるか。本当に残念な改悪だった。

 山下敦弘は「リンダ リンダ リンダ」でも、雨の中で登場人物を演技させるというリアリティより「劇的さ」を優先する演出に醒めて評価できなかったのだが、本作はもっとはっきりと落胆した。あれほど素晴らしい原作があるというのにこの駄作ぶりは何事だ。いくら「大人の事情」があろうとも。いや、この一観客の嘆きを受け止める責任こそ「大人」であるべきだ。


2026年4月2日木曜日

『きさらぎ駅Re:』-ループものとして

 こちらが本命で前作を観たのだった。前作の準主役の本田望結が、こちらでは主役となる。前作で「きさらぎ駅」に残してきた恒内を救うために異世界に戻る。

 冒頭、モキュメンタリーふうに展開するので、これは白石晃士監督だったっけと思ったが違った。CGの安っぽさも白石作品を彷彿とさせるが。

 そこで異世界に戻る動機を説明しておいて、さて「きさらぎ駅」に戻ってからの展開はおなじみ。先の展開を知っているぞと思うと、ところどころ微妙に変化したりもする。で、やっぱりうまくいかないと思っていると展開の冒頭に戻る。あれっ、これはループものではないか!

 となれば、これはやりなおしながらクリアを目指すことになるのだが、その過程でどんどん面白くなっていった。試行錯誤で課題を解決していく創意工夫も、習熟して敵を打ち倒す爽快感も楽しい。演出はそれを意図して「ノって」いることが明らかだった。

 まるでホラーではない。前作も怖くはなかったが本作は怖くなりようがない。同乗者が「仲間」になっていくのだ。不愉快でしかなかったあのホラーにおける脇役が。彼らは通常、不愉快であることと引き換えにホラーにおける犠牲者となるのがお約束なのだが、本作では物語が進むにつれて、主人公とともに課題をクリアしようとする盟友になってくる。『遺書、公開。』の映画版は、原作のその要素が削られていたのが残念だったが、こんなところでその要素が満たされる映画に出くわそうとは。

 本作の本田望結は前向きで真摯で、いくらか脳天気ともいえる明るさが魅力的で、本作の味わいにもおおいにプラス要素だった。


2026年4月1日水曜日

2026年第1クール(1-3)のアニメ

『グノーシア』

 前クールから引き続き。

 結局面白くならなかった。あの絵のうまさで、あの豪華声優陣で、なぜ、という感じだが、そもそもどう面白さが想定されているのか、ゲームをやっていない身には想像できない。船に乗り合わせる登場人物たちの仲間意識が育まれていく過程など、感情移入できれば面白くなるだろうに、それもできず、原作に感動した二人の話を聞くに、原作の喪失感や喜びが、アニメでは感じられないというのは口を揃えて証言しているので、アニメだけ見ていたこちらにはいかんともしがたいか。


『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』

 2クール連続。原作の面白さがアニメでも伝わってくるようで、毎週楽しみだった。が、話としてはこれで終わって、何の大団円でもない。相変わらず世界は危機のままだ。本家「仮面ライダー」では2話で、あっという間に解決してしまう「怪人」2体に、こちらの人類は2クールかけても「ひと泡吹かせた」程度の反撃しかしていない。いや、まだ人類は何もしてはいない。民間の素人が草の根で活動しているだけだ。この、超現実のSF設定にミスマッチングな日常展開と、それでも日常を柴田ヨクサル的にはみ出していく過剰さと、どう決着するでもない物語的構造が妙な手触りのまま終わった。アニメはクールの切れ目で終わるものの、原作はどう決着させるんだろう。


『死亡遊戯で飯を食う』

 とにかく全編、美術の雰囲気が良いなあと思い続けて観たが、いかんせん、人物が覚えられないで、感情移入もできずに終わった。この説明不足な感じも、時間の流れがやたらとゆっくりなのも、終わってから調べると『義妹生活』の監督だというので納得。しかし面白いと思えるためには決定的に不親切なアニメ化だった。いや、一気見しないとだめなのか?


 ここんとこ何本か観るようになってしまったラノベ異世界物3本。

『異世界の沙汰は社畜次第』

 3年くらい前までは最初からトばしていた転生ものという設定の安易さはもはや文句を言ってもしょうがないほど自然なものになってしまい、ただただ面白いかどうかだけが問題なのだろう。

 本作は「社畜」などという設定を持ち込んで、かつBL物という、誰得なのかという異世界魔法物。そういった要素には興味がないが、真面目な人柄がちゃんと異世界でも有用性を持っていて、それが認められていくという物語の進行は基本的に心地よい。真面目な分、結構笑えた。最初から悪ふざけをしているアニメだと笑えない。

『穏やか貴族の休暇のすすめ。』

 絵柄的には驚くほど『社畜』と似ている。こちらは異世界から異世界への転生のようでわけがわからない。見るだけで人々が「貴族様?」と思う印象というのも、どういう設定なのだか。やたらと人に好かれる、というか彼に好かれたがるという属性があるところがチート。

『魔術師クノンは見えている』

 主演の少年役を早見沙織が演ずる。これもチートなところが安易ではあるが、調子の良い主人公が嫌みでもないユーモアをもっていて、これが明るくて楽しかった。


『ダーウィン事変』

 思想的にも現実認識的にもレベルの高さはさすがの『アフタヌーン』クオリティだった。ただ、物語としてどんどん先を見たくなる面白さだったかと言えばそうでもない。しかも全く途中のままこのクールが終わって、これは完全に続くのだが、2クール放送でもない。もどかしい。

 opの髭男「Make Me Wonder」は髭男史上でも1,2を争う名曲だった。


『違国日記』

 1話の放送後に観て、あまりの素晴らしさに感嘆して思わず娘にその素晴らしさを伝えたのだが、その後、毎週観ることはやめて完結まで録画して、それを3回に分けて観た。最後はラスト4話を続けて観たのだが、いやはやすごいアニメ作品だった。原作未読でそれが素晴らしいことは想像に難くないが、同じヤマシタトモコ作品のアニメ化として素晴らしかった『さんかく窓の外側は夜』に比べても圧倒的だった。何が素晴らしいと言葉にするのは難しい。牛尾憲輔の音楽が絶妙な「違国」感を感じさせつつ、音楽として気持ちよいのに目立ちすぎないのにも終始感心し続けたし、沢城みゆきはこの間の『よふかしのうた』に続いてそれそれは見事な人物像を造型した。森風子も、あれこれ出過ぎの諏訪部順一も、本作はとりわけ素晴らしかった。原作の演出なんだろうが、ドラマの途中で突如虚構の異空間に重なっていくのは、同様の演出をした『小市民シリーズ』に比べてもはるかに効果的だった。主人公の一方が小説家ということもあってか、言葉の扱いが繊細なのも嬉しかった。

 それにしてもドラマとしての人物描写、台詞、エピソード展開が、たぶん原作の魅力を欠かすことなく描ききっているのだろう。もしかしたら増幅しているのではなかろうかとさえ思えるほど繊細な描写でアニメ化した本作は、『呪術廻戦』『チェンソーマン』などの化物とは別の意味で数年に一度の傑作だった。


『ゴールデンカムイ 最終章』

 このクールの初回を観たら、前からのつながりがまるで思い出せないので、先に原作を通読した。通読は初めてでこれは圧倒的な盛り上がりだったのだが、その直後に観てみると、やはり原作ほどには面白くならないのだった。お話の面白さで観られるとはいえ。

 だが最後の最後、これから終わりに向けて怒濤の展開、というところで一段落。間に1,2クールをおいて次が最終回までいくのな。


『勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録』

 一話冒頭からその圧倒的な作画力、演出力に驚嘆して、放送終了まで待ってからまとめて観た。そのままレベルを落とさずに最後までクールを終えた。『呪術廻戦』や『チェンソーマン』のような化物もあるとはいえ、これもテレビアニメとしては最高レベル。

 ドラマとしても、最終話の強さに感心して、これは続きを期待しよう。


『地獄楽 第二期』

 第一期は1クールの中でだんだん作画の質が落ちてきたのと、どんどん敵が人知を超えたものになりすぎて冷めていったが、二期はまた残った者たちのそれぞれのキャラクター立ちと「チーム」としてのまとまりができていく過程に思い入れて、楽しく観た。やはり背景となる過去編が語られるとにわかに物語に立体感が増す。

 お話は完全に次のクールに続くな。


『呪術廻戦 死滅回游 前編』

 肝心の「死滅回游」の設定がちっともわからないのだが、アニメーションは呆れるようなレベルで、戦闘シーンのイマジネーションの奔流に圧倒される。たぶん世界最高峰の映像コンテンツだ。ハリウッド映画でもこのレベルの物はない。


『【推しの子】第3期』

 前のクールではアニメーションの質の高さと芸能界裏話のリアルさに感心することしきりだったが、このクールはそれぞれのドラマの掘り下げが胸をつく展開になった。クールの最後で大ネタを入れてきて、これは最後に持ってくるのでは予想していたネタだったのでいささか残念ではあったが、やはり感動的だった。


『勇者のクズ』

 2クール続きらしいので、保留。


『葬送のフリーレン 第2期』『TRIGUN STARGAZE』は録画したものの、いつ観るのやら。


これ以外にも5話目くらいまでは見ていて、見切りをつけたのもいくつかあり、忙しい(というか未消化な)クールだった。