2026年6月13日土曜日

『マイケル』-映画館で音楽映画を

 公開中の『プラダを着た悪魔 2』を観ようと映画館に行くと、時間を間違えていて観られない。で、急遽本作を。

 何かと『ボヘミアン・ラプソディ』と並び称される音楽伝記映画だが、どちらも映画館で観たことが幸いしている。この間のチャック・ベリーの『ブラウン・アイド・ハンサム・マン』は単に既存のライブ映像の継ぎ接ぎで、YouTubeとの差別化が難しかったが、『ボヘミアン・ラプソディ』も本作も、ライブ映像は再構成されているし、伝記映画としてのドラマ性もある。

 とはいえ、マイケル・ジャクソンのファンだという思い入れがない観客にとっては、ドラマとしては『ボヘミアン・ラプソディ』の方が強かった。こちらのマイケルの父親の毒親ぶりはいささか型通りで、そこから逃れる成長物語としては単調なドラマにとどまった。

 とはいえ音楽は、映画館で観る価値が十分だった。今まで知っている曲が、例えばテレビやPCで観ていたのに比べてもはるかに感情を揺さぶるのは、もちろん映像の見せ方にもよるが、まずは映画館の音量だ。


2026年6月10日水曜日

『プラダを着た悪魔』

 観ているのは確かだが、もう12年以上前で、細部はおろか基本的なストーリーもまるで覚えていない。設定は覚えているというか周辺情報でわかってしまっているし。例えばエミリー・ブラントなどという女優も、今なら『クワイエット・プレイス』のあの人、という認識ができるのだが、この映画に出ている人だという認識は全くなかった。

 面白かった印象だけはある。それは信頼できる。

 そして観てみるとやっぱり面白い。問答無用に面白い。隅々まで面白い。

 こういう、映画としての描写自体が良くできているから面白いというのは、例えば『幸せのレシピ』だし『マーガレット・サッチャー』だ。そういえばサッチャーを演じているのもメリル・ストリープだ。映画が何を描くべきかが明確で、それが役者によって体現されていて、その微妙な感情の推移に感情移入もできて、とそのストーリーとかドラマツルギー以前の映画的描写のレベルが高いのだ。

 そしてアン・ハサウェイ演じるヒロインの成長物語としても、仕事に生きる女の孤独も、謀略と逆転劇と。

 やはり良くできた映画だ。


2026年6月8日月曜日

『勝手にふるえてろ』-消化不良

 『私をくいとめて』の大九明子の前作。松岡茉優の初主演映画なのだという。あれほどの活躍をしていて、意外ではある。その次の主演作が『蜜蜂と遠雷』なのか。

 『私をくいとめて』と同じく綿矢りさの原作。どちらも妄想癖のある主人公の日常を描くから、現実の境界が曖昧な描写が特徴。いや、設定が似すぎだろ。ありなのか、これは。

 それと、のんも松岡も、これが「冴えない」コミュ障なのかというのがどうもすんなりと受け入れられない。コミュ障はともかく、どうみても可愛い。これで人に好かれにくいという設定が難しい。といって本当にそういうキャラクターが似合う女優が演じて、それでも魅力的に見せなければならないとなると、それはそれで難しいだろうが。

 あちこちでこれは喜べば良いのか悲しめば良いのか観客として判断に迷う場面が続いて、最後の「勝手にふるえてろ」の解釈ができなかったこともあって消化不良。 


2026年5月29日金曜日

『侍タイムスリッパー』-映画業界の自己愛

 『銀河の一票』で山口馬木也が良い芝居をしてるなあと思って、出世作を見ようと。

 なるほど、山口は素晴らしかった。顔立ちがちゃんと「侍」然として表情も内面の葛藤を表現している。

 とはいえ、脚本の甘さと演出の甘さはいかんともしがたい。脚本兼監督の安田淳一の目線の低さは、本当に素人レベルとしか感じられない。

 低予算映画のヒットということで『カメラを止めるな』の再来らしいのだが、観始めると全然レベルが違う。役者陣の演出が甘くて、いわゆる学芸会。だがこれは役者が下手だというより演出の目線が低いのだろうと思われる。編集のタイミングもうまくない(だというのに、アカデミー賞では編集賞!!)。

 それでも、中盤からの意外な展開が、確かにわずかに面白さを感じさせるから、そこに注目すれば、面白い映画だったという感想はありうる。だがそこから発展させられる可能性ばかりがあれこれ浮かんでしまって、せっかくの美点も惜しいばかり。

 これは一体何事だろう。

 たぶん映画業界の自己愛なのだろうというのが推測(憶測、邪推)だ。『桐島部活辞めるってよ』のアカデミー賞にもそう思った。あちらはそれなりにあれこれ感じる人もいるらしいので好みの問題なのかもしれないが、本作の方は、特別に映画製作に思い入れのない観客から見ても、これが本当に強い物語たりえていると、アカデミー賞関係者は思っているのだろうか。この、スカスカで浅い映画が。

 『カメラを止めるな』がアカデミー作品賞をとれなかったのは『万引き家族』が同じ年だったから仕方ないとはいえ、脚本から役者陣の演技まで、魅力に満ちた奇跡のようなあの映画と本作を並べて語ることなど、とてもできない。

 米国アカデミー章はやはりアメリカの状況を反映した選考に首をかしげつつも理解もできるのだが、日本アカデミー賞はこういう選考をするから信用できない。

2026年5月10日日曜日

『特捜部Q 知りすぎたマルコ』

 『特捜部Q』は主要キャストを代えて続くようだ。安っぽさはまったくないが、さりとて面白いとは思えず、何となく見終えた。なんだろうと『檻の中の女』を見直してみたらちゃんと面白かった。

 瑕疵がないことと、面白いことは別、なのか、観ていた姿勢が悪かったのか。

2026年4月29日水曜日

『冬のなんかさ 春のなんかね』-リアル・アンリアル

 映画監督としての今泉力哉作品は観ていないのだが、映画監督がテレビドラマを撮って圧倒的なクオリティを示す例は是枝裕和の『ゴーイングマイホーム』で驚嘆したことがある。

 観始めると、とにかくうまい。どこまで演出かわからない自然さで登場人物が演じる。微妙なアドリブが許されているのか、言い淀みとか言い直しとかを含む台詞回しと間。カメラの切り替えなのか編集なのか、シーンの長い芝居をたっぷり見せて、感情の微妙な動きを豊かに描く。

 これが映画を本職とする監督のレベルかと舌を巻いていると、脚本も今泉。器用だ。

 フィクションは、そのメディアの語りの上手さが十分に発揮されていれば、それだけで快感ではある。

 にもかかわらず、お話としてはいささかうんざりする部分があちこちにあって、終わりもまた後味が良いとは言えない。それは現実の苦さだといって納得できるわけでもない。途中の人物描写はむしろ現実離れしている。特に主人公の元彼たちは総じて。

 リアルだと思える描写と、どうにも現実離れした設定やら人物造型やらが同居している。

2026年4月27日月曜日

『花束みたいな恋をした』-閉鎖感

 坂元裕二の脚本に対する期待から、かえって観ることをためらっていたふしもある。宇田丸さんが言うように面白いんだろうか、と。

 さて総評としてはそれほど楽しめなかった。『問題のあるレストラン』でも『カルテット』でも、『大豆田』でも『初恋の悪魔』でも、あんなに面白いテレビドラマに対して、この映画での盛りあがらなさと抵抗感と。クドカンのテレビドラマと映画の差も連想される。

 一つにはテレビドラマには、あの長い時間をかけて「彼ら」に感情移入していくことの力がある。その分喪失感は大きい。映画ではあれよと時間が展開して、それほど思い入れないまま、何かが失われるにしても痛みは小さい。

 それだけでなく、テレビドラマが隅々まで面白いように、例えば本作は楽しくはなかった。ひとつには「やりすぎ」だと思えてしまったこともある。主人二人の共通点が、これでもかと描かれるが、それはいくらなんでも偶然が過ぎる。最初の押井守をカフェで見かける興奮には共感したが。

 それから、やっぱり主人公二人がそれほど好きになれなかったということかもしれない。例えば最近作で言うと『初恋の悪魔』は、 林遣都の「鹿浜」さんに好感が持てたから、あれほど切なかったのだ。本作ではそうはならなかった。なんだろう。二人は共通点で惹かれ合っているが、それは本人たちの人間的魅力なんだろうか。どうもそういうふうには感じなくて、その閉鎖感にうんざりしたのかもしれない。