2026年4月2日木曜日

『きさらぎ駅Re:』-ループものとして

 こちらが本命で前作を観たのだった。前作の準主役の本田望結が、こちらでは主役となる。前作で「きさらぎ駅」に残してきた恒内を救うために異世界に戻る。

 冒頭、モキュメンタリーふうに展開するので、これは白石晃士監督だったっけと思ったが違った。CGの安っぽさも白石作品を彷彿とさせるが。

 そこで異世界に戻る動機を説明しておいて、さて「きさらぎ駅」に戻ってからの展開はおなじみ。先の展開を知っているぞと思うと、ところどころ微妙に変化したりもする。で、やっぱりうまくいかないと思っていると展開の冒頭に戻る。あれっ、これはループものではないか!

 となれば、これはやりなおしながらクリアを目指すことになるのだが、その過程でどんどん面白くなっていった。試行錯誤で課題を解決していく創意工夫も、習熟して敵を打ち倒す爽快感も楽しい。演出はそれを意図して「ノって」いることが明らかだった。

 まるでホラーではない。前作も怖くはなかったが本作は怖くなりようがない。同乗者が「仲間」になっていくのだ。不愉快でしかなかったあのホラーにおける脇役が。彼らは通常、不愉快であることと引き換えにホラーにおける犠牲者となるのがお約束なのだが、本作では物語が進むにつれて、主人公とともに課題をクリアしようとする盟友になってくる。『遺書、公開。』の映画版は、原作のその要素が削られていたのが残念だったが、こんなところでその要素が満たされる映画に出くわそうとは。

 本作の本田望結は前向きで真摯で、いくらか脳天気ともいえる明るさが魅力的で、本作の味わいにもおおいにプラス要素だった。


2026年3月10日火曜日

『テミスの不確かな法廷』-法律とASD

 法廷ものとしてまず関心をもつ。主役の松山ケンイチ演ずる判事は高機能自閉症スペクトラムという設定だが、そういえば『僕達はまだその星の校則を知らない』のスクールロイヤー(弁護士)も軽微なそれであるような描かれ方をしていた。ASDと法律は相性が良いように、それぞれのドラマで描かれている。実態としてそういう傾向があるのかはわからないが。

 全体に、感動的な場面がいくつもあった優れたドラマだった。

 『シナントロープ』のレギュラーメンバーだった鳴海唯が、あちらとはまるで印象の違う軽やかさでヒロインを演じていて、調べてみると『地震のあとで』にも出ていて、あの子か! と結びついた。これは今後に期待かもしれない。

 松山ケンイチはむろん見事だったが、上司の遠藤憲一がまた素晴らしかった。現実と理想の間で引き裂かれながら職務に努めるリアリティと虚構性のせめぎ合いを見事に演じていた。

 最後のエピソードは、複雑な設定が徐々に明かされるミステリー的興味もあり、よくできているなあと感心もした。

 「分からないことを分かっていないと、分からないことは分からない」は授業でも引用したり。

『きさらぎ駅』-安っぽくて

 ネット怪談としての「きさらぎ駅」というモチーフに詳しいわけではない。2チャンネルのユーザーではないからまとめて追ったことはなく、いろいろな作品に出てくるので知っているくらい。配信のおすすめに本作がやたらと上がってくるなあと思ってはいるが積極的に見ようという動機はなかった。が、続編の評価がそこそこ高いので、気楽に見られるホラーとして観てしまおうかと。

 いや恐ろしく安っぽかった。あんなCGで劇場版として公開していいのかと思うほど。だがまあそこに金をかけたCGで異界を作ったからといって面白くなるというものでもないのだろう。

 怖かったかというと全く怖くはない。同監督の『真・鮫島事件』の方がずっと怖い。あれも同様に安っぽいCGに驚いたが。

 不思議なことが起こる展開は基本、元になっている都市伝説(いや田舎だが)から引き継いでいるんだろうが、登場人物がゾンビみたいな化け物として襲ってくるなんて展開は原話にはなかったんだろう。そのメイクもまた安っぽい。そして、それらが襲ってくる理由も、その不思議展開も、多分何かの象徴だったりするような意味はない。

 ホラーにおける脇役は不愉快な言動をするのがお決まりで、これもまた定型を守っていたが、残念なことに主演の恒松祐里も魅力的な人物ではなかった。

 このないない尽くしで、うんざりするばかりかというと、これが、なんだか妙に面白かったのだ。これはひとえに原話の世界観の魅力なのだろうと思われる。異世界観を出そうと、いくらか色味を変えたりCGで靄をかけたりしているが、結局はまるで現実のロケ地そのままであることがまるわかりなところが間抜けなのだが、そのことがかえってこの都市伝説の魅力であるようにも感じられる。ただの知らない街並みが、しかし異世界でもある、という。


2026年3月8日日曜日

『グッドワン』-苦い

 父親とその友人の山登りに付き合う女子高生という設定は稀有というべきか珍しくはないというべきか。父親のアウトドア趣味に家族総じて付き合う習慣の家庭というのはもちろんあるんだろうが、離婚を経て父親の元で暮らす女子高生が、それでも付き合い続けるというのが普通のことなのかどうか。珍しいからこそ題材にされたのかもしれないが。

 とはいえ地味な映画だった。劇的なことは起こらず、一夜の登山行を追って、そこで起こる感情の起伏を描いていく。離婚をめぐる親世代の屈託に対し、悟ったような、妙に醒めたような態度で接する娘は、しかし登山行自体にはつきあっている。娘の鬱屈もあるのだろうが、それが前面に出るよりも、父親たちに対して、時にはできるだけ好意的に、しかし苛立ちや哀しみを覚えつつ接していく過程が、静かに描かれる。

 終盤、不意に娘が親たちを置いて一人で下山してしまう。麓に置いた車で待つうちに、追いついてきた父親が訳を聞くが、娘は明確には答えない。この展開に、一緒に観ていた娘はわけがわからないと言っていたが、これは確かに言葉にするのは難しい感情の機微が描かれているということなのだろう(別に不条理を描こうとしているということではなく)。

 敢えて言葉にすれば、人生を長く続けていても、それほどうまい生き方をできるわけではない中年たちに、怒りと失望を覚え、それを表明しているのだろうとは思う。娘にとって人生の希望や憧れではあり続けられない先達の姿は哀しくも苛立たしい。不機嫌な娘を強くは責められない父親も、それを感じとっている。

 山の景色は美しかったが、苦い映画だった。それでも娘を「グッドワン」と呼ぶことに救いを見出すべきか。


2026年3月1日日曜日

『六人の嘘つきな大学生』-ドラマの失敗

 ミステリーなのだろうと思いつつも、就職活動を題材にしたとなれば『何者』を思い出しもする。同時に、会議室の中で嘘と本音が絡み合うドラマが展開するSSSでもあるんだろうと期待もする。

 ま、そうなのだが、会議室展開は半分で終わって、一応の「真相」が明らかになり、とはいえ時間的にそれだけでも終わらないんだろうと思っていると後半でどんでん返しが行われる。

 お話のつくりは悪くない。好みではある。だが演出としては心理の描き方があまりに大げさで芝居がかって醒める。ドラマを作ろうとして失敗している。後半の、登場人物の病没の設定も、どういう必要があるのかわからない。真相の掘り起こしのためではあるのだが、何か喪失感のような感情を呼び起こすというわけでもないのに。

 監督は『キサラギ』の佐藤祐市なのか。これ以外の作品を観ていないのだが、『キサラギ』も脚本の勝利なんだろうと思っていて、監督を評価してはいなかったのだが。


2026年2月25日水曜日

『ゲッタウェイ』-わからない

 スティーブ・マックイーンつながりで、録画「積ん読」状態だったのを観てしまおうと。

 『パピヨン』と同時期の本作、『パピヨン』では老けメイクも見せたが、こちらは終始、実にかっこよかった。

 とはいえ『パピヨン』とは違って悪党ではある。こういうのはどうやって観たものか。フィクションを享受するのに、別に不道徳であることをことさらに忌避するつもりはないのだが、さりとて共感できるかと言えばそれも難しい。

 対抗する悪役は実に悪辣で、それは見事な悪役なのだが、大詰めまで迫ってきてあっさり倒される。

 ああいうあっさりさ加減がサム・ペキンパーの美学なのだろうか。よくわからない。

 あんなに酷い話が何やらハッピーエンド風に終わるのも。

2026年2月22日日曜日

『パピヨン』-不屈

 子供の頃に観た記憶はあるが、それが小学生なのか中学生なのかもからない。脱獄物だから、ストーリーの骨格は単純で、とにかくラストシーンの、断崖から海に飛び降りる画を覚えている。

 脱獄物といえばNHKのドラマ『破獄』で、あれはまた希有なドラマだった。調べてみると放送は大学時代だから、録画もできずに放送時に観たのだったか。強い印象を受けていたところ、そのちょっと後に我が恩師となる教官が学生に薦めたい小説としてこの原作小説を挙げていたので驚きもし、その後原作も読んだのだった。

 数年前に再放送されたものはさすがに録画して観た。これはまた時代を経てもまるで古びない、おそろしい手応えの作品だった。

 さてさらに間隔を開けての本作は、驚くほど『破獄』と似た印象だった。そしてまたブログを繙いてみると、10年前に『ショーシャンクの空に』のことを書いた中で『破獄』と本作を並べて言及しているのだった。そう、共通テーマはやはり「不屈」なのだった。

 見直してみても、スティーブ・マックイーンのタフさがすごい。タフガイのアクションスターだが、こちらはもちろん精神的な意味で。

 脱獄を企てると独房に入れられる。二回の脱獄でそれぞれ2年と5年。独房というのは監視の必要よりも罰としての意味合いが強いのだろう。想像だに恐怖だ。それだけでなくその途中で、覆いをして真っ暗にされるという罰が追加される。これが精神的にどれほどの苦痛か想像するだけで怖くてたまらない。

 孤独や不自由に対する苦痛だけでなく、否応なく衰えていく肉体に対する恐怖もまた。歯が抜けるシーンの怖さ。

 それでも友の名を売らず、自由への意志も失わない。二度目の独房入りから解放されると既に肉体は老人となっているにもかかわらず、自由を求めることが存在そのものであるかのように次の計画を考える(この老人のメイキャップがまた見事だった。歩き方も完全に老人に見える。タフガイのアクションスターが、本当に体まで縮んだかのように。これは『破獄』の緒形拳も見事だった)。


 ダブル主演のダスティン・ホフマンとの友情も感動的。可能なところでは助けようとするが、それぞれの意志は尊重しようとする。最後の流刑地で、それなりに安住しているダスティン・ホフマンが、自由への意志を失わない「パピヨン」を疎みながらも再会を喜び、自由への一歩を二人で踏み出すところでためらって別れるシーンはやはり胸が熱くなった。