2016年7月8日金曜日

『マン・オブ・スチール』 -スーパーマン映画の不可能性

 スーパーマン映画に興味はなかったが、ザック・スナイダーには興味はある。『300』『エンジェル・ウォーズ』と見て、映画を手放しで賞賛する気にはならなかったが、映像の斬新さには目を瞠った。『Dawn of the Dead』のリメイクがデビューだというのは後から知った。本家に及ぶべくもないとはいえ、悪くないリメイクだった。
 だがまあ、今回も映像の凄さに感銘が比例しない。
 「悩めるヒーロー」像は今さら新しくない。最近は「スパイダーマン」シリーズ、ちょっと古くなると「エヴァンゲリオン」、物心ついたときから平井和正がそういうのを描いていた。そこにスポットがあたっているようだが、そうしたテーマが深められているようには思えない。
 ではストーリーが、波瀾万丈、スリルとサスペンスでドキドキするか? ヒロインとのロマンスにドキドキするか? 笑えるか? ほのぼのするか? 感動するか?
 しない。
 スーパーマンの物理的な、数値的な巨大さを描けば描くほど、スリルはなくなっていくというこのアンビバレンス。格闘を見ていても、どれが致命的なのかの実感がまるで湧かない。どうせいくら激しい物理的負荷を受けても無事なんだろ、と思えてしまう。
 街が激しい破壊を受けて、一体何十万人が死んでるんだろうと思われるのに、直接には死者は描かれない。死にそうになる人物が描かれるが、だからもうサスペンスはない。この状況で今更なんだ? と思ってしまう。
 だから、たぶんスーパーマン映画を面白く描こうとするなら、ドラマにしては駄目なんだろう。ひたすら豪快で爽快なヒーローの活躍を描くしかないんじゃないかと思う。

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