2018年8月4日土曜日

『カメラを止めるな!』-生涯ベスト級

 とにかく映画館で映画を観ようという機会があって上映中の映画を調べてみると、最近評判になっているこれが丁度上映しているのだった。そうして、拾い物、というくらいの期待はしてもよかろうと思って行ったのだが、思いがけず、生涯ベスト級の映画を観てしまった。
 ゾンビ映画を撮影していると本物のゾンビが現れ…という設定と、長回しがすごいということと、シーンの意味が後で変わるということと、ラストには多幸感が得られるということと、低予算映画であることのみが事前情報。
 長回しと言えばアルフォンソ・キュアロンの『トゥモロー・ワールド』がすごかったが、あれでも6分ほどだそうで、それに比べてこちらは37分というから桁違い。それに、キュアロンのはCG合成を駆使しての6分で、実際に演者とカメラがその時間に撮影を続けているわけではない。そういえば『LA LA LAND』の冒頭ハイウェイも、ものすごい長回しに見えるシークエンスだが、あれももちろん合成だろ。
 だからこそ空間の設計が見事に組み立てられて、そこを自在に移動する視線が映画的な(ゲーム的? ジェットコースター的?)な快楽をつくりあげていた。撮影には当然レールもクレーンも使っているんだろう。
 一方の本作では、合成なしに本当に37分をワンカットで撮り切っている。しかもすべて手持ちカメラだ。画面は揺れるし、オートの絞りはすぐに切り替わらないから屋内と屋外で場面が連続する時には画面が明るすぎたり暗すぎたりする。低予算映画らしい画面のチャチさから、合成であるという可能性を感じさせないが、そもそも本当にそうだと宣伝しているのだから信じない理由はない。『トゥモロー・ワールド』や『LA LA LAND』のように、そもそも通常の手作業では撮影不可能と感じられるような圧倒的な映像技術で観る者を圧倒する、というような意図が感じられる、ある意味で押しつけがましい長回しではなく、本当に仲間が創意工夫でやりきったというような、熱気と高揚感に溢れる手作業の長回しなのだ。
 だがこの映画の価値はここではない。いや、これだけではない、というべきだろう。この37分だって、随分と楽しい。だがここまでには、そこここに「うまくない」と感じられる部分はある。だがそれが伏線として、あえて演出されたものであることが後半にわかる。ここからはもう本当に脚本の見事さに脱帽するしかない。
 まず、この冒頭の長回しの終わりに、エンドロールが流れるのを見て、あれ? っとなる。事前情報からは「ゾンビ映画を撮っている映画クルーたちが本物のゾンビに襲われる」という物語なのだと思っていたから、いくつもあるカットの中で、冒頭のカットがとりわけ長い、ということなのかと思っているとそうではなく、これは物語内物語の入れ子構造になっているのだった。事前情報の映画紹介は、この冒頭のワンカットについてのみの紹介なのだった。
 画面のトーンが変わって、そこからの物語がいわば「映画」になる。映画愛溢れる…と評される本作だから、最初のワンカットこそが自主映画もどきの低予算映画(しかも映画作りをする物語という設定がますます自主映画っぽい)なのだと思っていたが、そうではないのだ。そこまでは、物語内の設定としても映画ではなくテレビ番組だし、大げさな芝居もリアルタイムで物語が進行する感触も、言ってみれば舞台劇的でもある。
 だがそのシークエンスが終わってからが本当に「映画」なのだった。それも「新人監督による低予算映画」らしからぬ見事なまでにこなれた商業「映画」なのだった。低予算映画だというのは事実だというのに。
 そうした安定した手触りにのせて、なんともはや、思い出しても溜息の出るような見事な脚本による物語が展開する。小ネタから大ネタまで、さまざまな伏線が次々と回収される快感とともに、はずさない手堅い笑いや、親子の絆の確認などといったベタなくすぐりとともに最後には、頑張る人たちが何事かを成し遂げる、というまっとうすぎる物語のカタルシスをたっぷりと味わうことができる。
 しかも多くの登場人物の群像劇として、それぞれがそれぞれの物語において、それをやるのだ。
 しかもそれらはすべて、いわゆる「無名の」俳優たちによって演じられている。本当の映画のエンドロールで、俳優の名前が役名と似ているのに気づいて、あれ、と思ったが、後から調べてみると、すべて当て書きなのだそうだ。ということはつまり、もはやこの映画の作られ方自体が、映画内物語の外側に、さらに入れ子になってこの物語そのものだということではないか。
 日本映画としては『12人の優しい日本人』『キサラギ』『鍵泥棒のメソッド』に続く、最高レベルのエンターテイメント映画である。

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