2020年8月2日日曜日

『ブリグズビー・ベア』-成長を描く多幸感

 先に絶賛レビューを知っていて、その期待で観るとはたして裏切らないのだった。
 誘拐されて外界から隔絶された生活を25年送った青年が、警察の捜査の結果、元の生活に戻る。誘拐犯は元大学教授とその妻で、軟禁生活の間、自作の「教育番組」を見せていた。それが題名の「ブリグズビー・ベア」なのだが、「外界」に適応しようとする青年は、しかし「ブリグズビー・ベア」の続きを作ろうとする。
 設定の共通性からどうしても『ルーム』を連想してしまうが、あちらは堂々たる名作であり、こちらはあちらほどのドラマの強さはないものの、多幸感は大きい。とても良い映画だった。

 ネットでは創作の喜び、という方向で語られることが多いようだ。特に映画が好きな人は映画作りの喜びという枠組みで理解しているようだ。
 だが映画を作りたいという情熱が周囲を巻き込んで成功に至る、という話として捉えるのはちょっと違う気もする。好きなことをひたすらにやることは素晴らしい、といったメッセージとは。
 彼の作った「ブリグズビー・ベア」の断片は、「続き」というより「完結」を目指しているように見える。
 とすれば彼の映画作りは、幼児期に懐古的に戻りたがっているというより、それを終わらせ、そこから踏み出そうとしているものと受け止めるべきなのではないか。

 といってそれは「ブリグズビー・ベア」の否定というわけでもない。
 「ブリグズビー・ベア」の内容を直接観客が見ることはできないから、それをNHK教育あたりの幼児向け番組のようなものをイメージしておくと、それはおそらく基本的な人間愛や道徳を教えているのだろう。
 そこには非現実的な簡略化はあるかもしれないが、基本的な人間のあり方としてそれを否定する必要もないはずだ。
 とすればそれはあくまで揺籃の如きものとして受け入れつつ、そこから現実を、それにふさわしい精度で受け止めるようにしていけばいいはずだ。それこそが「成長」というものではないか。
 とすれば、この映画がもつ多幸感は、幼児期に戻ろうとする退行的なものではなく、真っ当な成長が持っている(だが楽天性に支えられた)前向きなものなのである。 

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