2024年10月12日土曜日

『プラットフォーム』-社会の隠喩としての穴

 公開時も、アマプラ配信開始時も気になっていた。ソリッド・シチュエーション・スリラーは好物だ。巨大構造物の一部に閉じ込められるらしい設定は『CUBE』を思わせる。そういうSFなのかと。

 で、米国製なのかと思っていたらスペイン映画なのだ。テイストも、ハリウッド製のSFとは違って、何やら象徴性に満ちていて意味深。シンプルな脱出譚などでないのも、不快なことが起こる陰鬱な世界観も『CUBE』に通じるものがあるが、あれこれの社会批判に通じていそうなところはかなり違う。『CUBE』

 原題は、訳すと「穴」だということで、それはもっともな話だ。邦題の「プラットホーム」は、穴を上下に移動するテーブルを列車のホームに見立てて「プラットホーム」なのだと解釈していたが、どうなのか。

 「穴」と「プラットフォーム」は意味するものが違う。目の前のテーブルに注目するか、それが設置されている施設全体の構造に注目するか。これはどうみても社会の縮図、隠喩として描かれているのだから「穴」が適切であるのは言うまでもない。原題の意図はそこだろう。邦題が「プラットホーム」ではなく「プラットフォーム」と表記することで社会の「基盤」の意味を含意したいということなら、それはそれで原題の意図を酌みつつ、誤解を生みそうな「穴」という語を避けたかったのだと理解はできる。どうなのだろう。邦題の意図を過剰に酌んでもしょうがないのだが。

 さて、単なる脱出譚と違うのは、主人公が志願してここにいるという設定にも明らかだ。だが、入ってみるとそれは絶望的なところなのだ。それは格差社会の残酷さのデフォルメされた縮図であることが観ているうちにわかってくる。そして社会的位置のどこに置かれるかという初期条件は偶然で、富める者は恵まれ、恵まれないものに分け前を渡す気がない。平均化も逆転も起こらない。

 とはいえ1ヶ月ごとに初期条件がシャッフルされる設定になっているから、それぞれの立場を経験することになる参加者は、互いに相手を思いやるように「教育」されていくことが期待されているかの推測も語られる。が、そのようにはならない人々の愚かさばかりが描かれる。その愚かさをむき出しに暴くことこそが施設の目的であるかのようにも思えてくる。

 ひどい世界観の中で、物語は、そうした状況を変えようと挑戦する登場人物を描いていく。理想主義者の絶望的な呼びかけに応えて、絶望と良心の間に揺れる主人公は次第に無謀な挑戦に取り組む。平和的な方法ではなく、邪魔者を暴力的に排除しながら、理想を実現することに挑戦する。

 さて、この挑戦が成功しそうな描き方ができるはずもないので、最後も後味は悪いのだが、ともあれ、世界のありかたに抗う絶望と強さが印象的な物語ではあった。


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