2024年5月1日水曜日

『コーダ あいのうた』-予想内

 主演のエミリア・ジョーンズは『ゴーストランドの惨劇』の子役でがんばっていた子だなあと思っていたら、本作はアカデミー賞で作品賞を獲ってしまった。

 アカデミー賞前後であれこれ情報が入っているので、設定やらストーリーやらはわかっている。で、見てみるとほとんどそのままなのだった。両親と兄が聾者の家庭で一人健常者のヒロインが、音楽の道を目指して家を出る、という話。事前の作品情報でいくらか薄かったのは、ヒロインの才能を見出す音楽の先生のキャラクター及びレッスンの様子くらい。

 そして、もちろん良い映画だったのだが、何かすごいものを観たという感じにならないのはこの間の『ビューティフルマインド』に続いて、だった。ストーリーから予想される葛藤やら家族の愛情やらは無論上手く描かれている。助演男優賞を獲った、本当に聾者である父親の演技は、キャラクター造形もふくめて実にうまかった。

 だが、それ以上に動揺のような感動は訪れなかった。予想の範囲内に収まってしまったのだった。感動作というふれこみに期待値が上がり過ぎたせいかもしれない。

 それでも大きく心が動いた場面は二つ。一つ目は予想外に。二つ目は予想通り。

 一つ目は物語の大きな筋立ての一つである音楽の授業の受講者によるコンサートで、練習してきた曲をヒロインとヒーローが歌う場面。途中から音を消したのだった。音を消すことによって、そこにいる聾者の家族の立場に観客を置く。音楽を聴けないことの喪失感と、その分、周囲の人がその音楽をどう受け止めているかの観察と想像に頭が使わされる。それはそれで物語的な感動があって新鮮だった。

 二つ目は、最後のオーディションでヒロインが歌いながら、途中から家族に向けて手話で歌詞を翻訳する場面。これはまあ、この設定、筋立てからすれば当然そうだろうという展開で、それが至極真っ当に感動的だったのだった。

 エミリア・ジョーンズの演技も歌も見事な映画だった。


2024年第1クール(1-3)のアニメ

『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』

 題名から明らかなように、あまりにあからさまなライトノベル-ゲーム的世界観で、そうしたガジェットがこれでもかと連発される。そういう意味では『陰の実力者になりたくて!』などとも似た設定で、逆にこれは意図的にそれをパロっているのかとも思ったが、セリフも展開もあまりにチープで、そうした世界観、世界の論理への距離感は感じられない。まったく、どっぷりとそういう中二的世界で論理が完結しているように見えるところが、逆にすごいなあと思いながら見た。


『悪役令嬢レベル99~私は裏ボスですが魔王ではありません~』

 転生物でアニメの水準の低さの割に見てしまったのは前クールの『ポーション頼みで生き延びます!』に続いて、主人公がキャピキャピしていないのが心地良かったからだ。いささかチートではあるが天然で、めったに笑わない主人公が可愛いとも言える。まともに展開に期待していない分、溜めずに見てしまった。


『ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する』

 転生物で王女ものといえば『ティアムーン帝国物語』だが、あっちのばかばかしい展開と違って、こちらはきわめて真面目に理知的にやり直しを試みている。題名にある「気ままな」など、まったくの戯れで、実に真面目なお話だ。いくつかの場面では、論理の積み重ねと抑制された微妙な感情の表現が実現している会話劇のレベルに舌を巻いた。


『俺だけレベルアップな件』

 最初のうちは作画のレベルと、思いがけずシリアスな展開に釣られて観ていた。成り上がりの楽しさもある。とはいえ作画のレベルが落ちなかったので最後まで見たが、1クールまるまるもたせるにはいささかマンネリではあった。


『魔女と野獣』

 マンガの方は単行本で1巻だけ読んでいて、えらく絵が上手いマンガだと思っていた。アニメの方も総じて作画も美術も頑張っていて、雰囲気は悪くない。とはいえ、このクールではまだまだ物語の片鱗が見えたくらい。


『ダンジョン飯』

 娘と見ているせいで溜めない。アニメのレベルは極めて高く安定している。

 そのまま2クール目に突入する。


『葬送のフリーレン』

 冒頭の4回分だけスペシャル版の放送だったのを観たが、その後は録り溜めたまま。年を越えて2クール放送みたい。


『異修羅』

 手のかかったアニメだった。さまざまな修羅が戦う、というコンセプトなのだが人間やらワイバーンやらマンドレークやら天使やらが同じ土俵でトーナメントをやるらしい。人間とはいえ「世界詞」とかいう、何でも話したとおりにすることのできる能力までいて、強さのインフレもどれまでいくのやら。

 既に予選のような展開で、これでも相当なキャラクターが死んでいるのに、まだ16人トーナメントの4人が出そろっただけ。1クールで。

 もう次シリーズが制作中とか。


『メタリック・ルージュ』

 最初からやけにアニメの質が高いぞ、と注目した。出渕裕が監修もしている。世界観も複雑で確かだ。

 だが面白くて先を楽しみにするということにならずに、すっかり溜めてしまって、半ば義務のように見終えた。

 「ネオン」と呼ばれる人造人間が労働力として使役される未来の話。だが、相変わらず、そういう存在があまりに「人間」過ぎる。搾取される疑似人類という設定は見慣れていてまるで新味がない。何かの面白さが生み出されているかといえば残念ながらそんなことはない。

2024年4月17日水曜日

『すずめの戸締まり』-「なかったこと」

 ロードムービー的なストーリー展開は『天気の子』よりよほど、見ている最中には楽しかった。一方で『天気の子』の、ほとんど唯一の魅力であるところの、後半にいくにしたがって高まる不穏な空気感は薄れた。本作の「みみず」には、あれほどの不穏な空気はない。『もののけ姫』の祟り神を連想させる(というかパクリと言っていい)描写だが、あれほどにはおどろおどろしくはない。なんというか、なんでもない、という感じ。大きな被害をもたらす、と説明されてはいるが、どうせ主人公たちはそれを食い止めるんだろうと高をくくっているから、それほど切迫感はない。

 そしてそれを食い止める手段は、「勇気を出して」戸の前まで行き、肉体的な力で「頑張って」戸締まりをしているだけのように見える。大災害を食い止めるのに、押しくらまんじゅうのような肉体的行為と歯を食いしばるがごとき頑張りがあるばかり。

 といって「死ぬのが怖くないのか」と問いかけられたヒロインが、なぜ「怖くない」のかわからない。震災を体験したというのがヒロインのキャラクターのバックボーンらしいが、それがこれほどの特異性を生んでいるという理屈がなんなのか、よくわからない。

 いくつもわからないことがあるが、最も大きな疑問はヒーローが、物語の初期段階で木の椅子に封じられてしまい、それ以降は映画の大半を動く椅子として行動することに、どんな面白さが想定されているか、ちっともわからないことだ。それでいて、ヒロインの動機の最大のものはヒーローに対する恋愛感情であるように描かれている。どこでどうしてそんな絆ができるような物語的な厚みがあったのかわからない。

 「イケメン」は命をかけるほどの動機をヒロインに抱かせるか?

 そうだとしても、それならなぜ大半は木の椅子にしてしまうのか?


 そもそも基本設定にも納得するような必然性がない。「みみず」は天災(を引き起こすもの)のメタファーだ。では要石は? 閉じ師は? 天災の発生を防ごうとしている要石が、人知れず天災の元凶たる「みみず」と戦っているという設定は、人間には何の意味ももたないし、閉じ師なる存在もまた同様。人間にとって天災は天災なのだから、それを防ぐことに人間が「努力」することはできない。人間にできることは、その被害を軽減したり復興に努めたりすることだけだ。要石や閉じ師が人知れず天災を阻止しようとしているのだとしても、それは人間には関係ない。結果的に阻止できたとしても、人間にとってそれは全く文字通り「なかったこと」でしかなく、そこには何のありがたみもないし、阻止できなかったとすればそれは、単なる「天災」なのだから、そこに秘められた戦いがあったかどうかは全く無意味だ。

 とすれば、これは一体どんな戦いなのか?

 例えば西洋ならばこういう戦いはすぐに神と悪魔の戦いということになるのだろうが、あれにはあれで共感できない。といって、本作の戦いがなぜ設定される必要があるのかはわからない。起こってしまった天災を「みみず」のせいだと考えたり、要石や閉じ師の敗北か怠慢だと考えることに何の意味があるのか全くわからないし、天災が起こっていないことを同様に要石や閉じ師の献身のおかげだと考えることにも何の意味もあるとは思えない(西洋的な構図では神に感謝でもすればいいのだろうが)。

 ということで、基本的な設定に乗れない上に、展開上も腑に落ちないことばかり。

 それでも現実にヒットしているし。

 詰めかけた観客は一体何を面白がったのか。


2024年4月1日月曜日

『高速を降りたら』『ケの日のケケケ』『ある日、下北沢で』『島根マルチバース伝』

 年度末に放送された単発ドラマをまとめて録って次々と見た。

 どれも、それぞれに物語を作ろうとする脚本家の心意気があって、見始めてうんざりして止めるというようことはなかったが、どれも手放しで絶賛、残しておきたいと思えるようなものはなかった。が、こういうふうに物語を享受するのは精神の必須栄養素だという気もする。

 『高速を降りたら』は高速道路で東京から新潟に向かう車中の3人の男の会話劇。「男らしく」いたいと思いつつも情けない現実にどう折り合うか。3組の夫婦のそれぞれの事情が少しずつ語られていく。

 『ケの日のケケケ』はNHK創作テレビドラマ大賞作品の映像化(『高速を』の作者も以前の同賞の佳作受賞者だとか)。「不機嫌なモンスターにならないためには」というモノローグで始まるところにどきりとして、映像は実に映画的で美しい。感心して見ていたがどうも物語の感動が不足している。何だろう。感覚過敏の主人公という設定が斬新だともいえるが、「不機嫌」の原因がそうした、どうにもならない身体的な条件で、人物を巡る葛藤は思いのほか少ないのが致命的。唯一出てくる理解してくれない教師は類型的で無理があると思える。何か惜しい。あれだけの映像作品なのに。

 『ある日、下北沢で』は土岐麻子や曽我部恵一や西寺郷太が実名で出てきて、音楽も西寺というサブカル的内輪感に好感が持てないこともないが、いかんせん、物語は弱い。

 『島根マルチバース伝』は並行世界を体験できる装置で、いろんな可能性の世界を体験して、結局この現実で生きていくしかないという結論になる物語。「地方発ドラマ」という趣旨のシリーズとして「島根」という地方をフューチャーしているのだが、「この世界」と「この地方」が重なっているわけだ。


2024年3月23日土曜日

『ビューティフル・マインド』-高評価の訳

 天才数学者を描いた映画と言えば近いところで『イミテーション・ゲーム』だし、統合失調症を描いた映画と言えば『シャイン』だが、アカデミー賞を総なめにしている本作は、そのどちらほどにもよくできているとは言い難い印象だった。

 無論、出来が悪いとは思わない。映画自体はロン・ハワードによる手堅い職人芸だし、ラッセル・クロウもジェニファー・コネリーも達者な演技ではあった。が、監督賞や俳優賞をとるほどの特別さとも思えなかった。主人公の妄想が、ある時突然明らかになる時に壁一面に貼られたメモの異常さが画で示される映画的な描写は見事ではあったが。

 ことにアカデミーが脚本賞を与えたというのが解せない。どこにそんな面白さがあったか。妻の愛がジョン・ナッシュを支えたという結末なのだが、そうした過程が充分に描かれているとは思えず、彼女は単に苦労したが逃げ出さなかった程度にしか描かれていないように見える。その葛藤はどんな論理で描かれているのか。

 この映画の重要な映画的トリックであるところの叙述トリックも、驚きはしたものの、感動につながったかといえばそうでもない。叙述トリックが感動的であるためには、1.伏線を回収するカタルシス。2.妄想で見えている3人が、物語的にどういう意味を持った3人であるかに納得できる。3.妄想であることがわかったとき、その事実に身を切られるような喪失感を感ずる。といった要素が必要だろう。2についてはそれなりに説明できるものの、なるほどそうだと腑に落ちるように描かれているとも思えない。ということで、意外性と主人公の狂気を描くためにいたずらに設定されている感が強かった。

 良い映画ではある。だがあれほどの評価の高さがどこから生じているかがわからない。アカデミー賞の作品賞は、何かしらアメリカ的な事情があるんだろうなと思えるのだが、それが何なのかわからない。


2024年3月20日水曜日

『一秒先の彼女』-幸せに満ちた

 アマプラのリコメンドで上がってくるまでまったくなんの情報もなかったが、かなりの高評価に、リメイクは宮藤官九郎の脚本だという。リメイク版の最初をしばらく観たが、思い直して原作を。

 台湾映画といえば『牯嶺街少年殺人事件』くらいしか観た覚えがない。さて。

 最初のうちは高評価の期待に支えられて見続けたが、軽いコメディという感触くらいでしかなかったが、消えた一日の謎をさぐるべくヒロインが動き始めてからにわかに面白くなった。ヒロインの愛嬌のあるキャラクターの魅力でもあるが、謎でひっぱるストーリーテリングの巧みさが大きい。

 だがさらに、前半が終わって後半は主人公を変えて、前半のできごとを別の視点から見せる。そして消えてしまった一日へ展開する。コメディタッチの恋愛ドラマかと思っていたら、「時間が止まる」などという超常現象が起こる展開にびっくりし、その時間の特別さが実に愛おしく描かれる。

 とりわけ、満潮になると水面下に沈む、何かの養殖場らしい桟橋をバスが走るシーンは、高揚感に満ちた展開なうえにとても美しかった。

 基本的には伏線を張って、それを幸せな方向に決着させる、本当によくできた幸せな映画だった。

2024年3月2日土曜日

『スウィング・オブ・ザ・デッド』-低予算ゾンビ映画

 インディーズでゾンビ物といえば『コリン』だが、これもまあセンスは悪くない感じではあった。

 ただ、何か心揺さぶられるようなエピソードがあるかというとそうでもなかった。がっかりしてしまうような安っぽい描き方にいらいらするというわけではないが、だからといって面白さがあるかといえばまたそれは別の話。後味が悪いのも残念。

 緑がやたらときれいなのは印象的だったが。