テレビスポットではキャラクターの絵柄に魅力がないなあと思っていたが、Amazonのレビューは高評価。『サカサマのパテマ』の吉浦康裕でもあるしと。
ただAIを扱うことについては困難が予想される。成功例は数少ない。深夜アニメのSFではいつもがっかりさせられる。
さて、本作。
だめだった。AIがどのようなものであるかについて、何も考察されている様子がない。ちょっとピント外れのキャラクターを登場させるため、それをAIに託しているだけだった。デビュー作の『イブの時間』からそのテーマを考え続けてきたはずの吉浦が、どのように考察を深めてきたようにも見えないのが残念。
冒頭近く、男子高校生たちが掃除ロボットをからかっていじめている場面があって、もうここで萎える。全くリアリティがない。掃除ロボットがヒロインロボットと技術レベルが違いすぎるのも、そうした単なる「道具」でしかないロボットをいじめるような人格投影する心理も、全くリアルではない。わかりやすい差別意識を描こうとして失敗しているばかりか、それが物語の本筋に繋がるような人々の意識を描くことにつながっているわけでもない。AIの社会への浸透が、人々のどのような反応を引き出すか。人間より優れた能力を見せるAIが、同時に「人格」のように感じられるキャラクターをもったときこそ反発もあるはずなのに、どこの誰がルンバをいじめて喜ぶものか。
万事がこの調子で、リアリティのある描写がないと、どう感情移入しようもない。浅春群像劇もミュージカル仕立ても、どれも中途半端で見せられるような要素ではない。シングルマザーの仕事の困難もステロタイプだし、どうでもいいのに、そこに尺がとられる。
ひどいなあと思って見ていると、ヒロインロボットのAIの来歴が語られる件で、突然感動的になった。長い時間の積み重ねが、思いの強さに変換される設定。簡単な言語処理プログラムが、主人公の幸せを願うよう自己進化する。
ここだけに特化して物語を構築すべきなのだ。そして、そこにつながるエピソードだけを重ねればいい。伏線張り放題ではないか。さまざまな違和感が、回収されて、そうだったのか!にかわるストーリーテリングを目指すべきだったのに。開発者も知らない設定なのだ。開発者が感じる違和感をなぜ描かないのか。女性の社会進出の困難など描いている場合ではない。
エンタテインメントを目指すのはいい。それで失敗しても同情できる。「面白さ」を現出させるのは難しい。
だが、テーマについて考察が浅いまま、テーマが前面に喧伝された作品が作られてしまうのは不快なのだ。