2024年12月30日月曜日

『アイの歌声を聴かせて』-AIを描く困難

 テレビスポットではキャラクターの絵柄に魅力がないなあと思っていたが、Amazonのレビューは高評価。『サカサマのパテマ』の吉浦康裕でもあるしと。

 ただAIを扱うことについては困難が予想される。成功例は数少ない。深夜アニメのSFではいつもがっかりさせられる。

 さて、本作。

 だめだった。AIがどのようなものであるかについて、何も考察されている様子がない。ちょっとピント外れのキャラクターを登場させるため、それをAIに託しているだけだった。デビュー作の『イブの時間』からそのテーマを考え続けてきたはずの吉浦が、どのように考察を深めてきたようにも見えないのが残念。

 冒頭近く、男子高校生たちが掃除ロボットをからかっていじめている場面があって、もうここで萎える。全くリアリティがない。掃除ロボットがヒロインロボットと技術レベルが違いすぎるのも、そうした単なる「道具」でしかないロボットをいじめるような人格投影する心理も、全くリアルではない。わかりやすい差別意識を描こうとして失敗しているばかりか、それが物語の本筋に繋がるような人々の意識を描くことにつながっているわけでもない。AIの社会への浸透が、人々のどのような反応を引き出すか。人間より優れた能力を見せるAIが、同時に「人格」のように感じられるキャラクターをもったときこそ反発もあるはずなのに、どこの誰がルンバをいじめて喜ぶものか。

 万事がこの調子で、リアリティのある描写がないと、どう感情移入しようもない。浅春群像劇もミュージカル仕立ても、どれも中途半端で見せられるような要素ではない。シングルマザーの仕事の困難もステロタイプだし、どうでもいいのに、そこに尺がとられる。

 ひどいなあと思って見ていると、ヒロインロボットのAIの来歴が語られる件で、突然感動的になった。長い時間の積み重ねが、思いの強さに変換される設定。簡単な言語処理プログラムが、主人公の幸せを願うよう自己進化する。

 ここだけに特化して物語を構築すべきなのだ。そして、そこにつながるエピソードだけを重ねればいい。伏線張り放題ではないか。さまざまな違和感が、回収されて、そうだったのか!にかわるストーリーテリングを目指すべきだったのに。開発者も知らない設定なのだ。開発者が感じる違和感をなぜ描かないのか。女性の社会進出の困難など描いている場合ではない。

 エンタテインメントを目指すのはいい。それで失敗しても同情できる。「面白さ」を現出させるのは難しい。

 だが、テーマについて考察が浅いまま、テーマが前面に喧伝された作品が作られてしまうのは不快なのだ。

2024年12月28日土曜日

『善き人のためのソナタ』-娯楽映画として

 評価が高い映画なので、見放題終了前に、と。偶然にも邦題が「~ための」映画が続いた。ものすごく久しぶりに一日2本鑑賞。

 ベルリンの壁崩壊5年前の東ドイツのシュタージの活動を描くという点に興味を引かれるが、観終わってみると、そこに何か特別なものを感じたわけではなかった。監視・密告社会の恐ろしさというような表現で想像されるような状況が描かれているにとどまる。

 では、といってストーリーは良くできている。監視する側と監視される側に共感が生ずるという展開から、秘密警察及び政権に対する抵抗運動が進行して、やがて残酷な悲劇の痛みと、計画の成功による快哉と転ずる。

 ベルリンの壁崩壊後のエピローグが意外と長く、だがそこにこそ味わいがあった。自由を求める戦いに協力したことで失脚する主人公の監視者の、苦く穏やかな雌伏の時間が描かれ、それが最後に救いに変わる。

 監視の対象となっていた作家は、やがて監視者の協力を知る。そして自由になったドイツであらためて公然と、かつてはできなかった社会批判を記した本を出版する。そこに協力者への謝意を書き込む。

 主人公が書店の店頭でそれを見つけ、開いて自分への献辞を見つける。購入しようとすると、レジの書店員が「ラッピングしますか?」と尋ねる。主人公はそれを断って「それは自分のための本だから」と、ハッとするダブルミーニングの台詞を吐いてストップモーションになってエンドロール。見事な幕切れだった。

 この「巧さ」に唸らされて終わる幕切れは、すこぶる爽快なのだが、いささか苦言を呈すると、主人公が監視しているうちに体制への批判に共感していく、というこの物語の核心であるべき心理ドラマは描けていないと感じた。社会批判という意味では、この映画は問題の掘り下げが不十分なのだ。これは監視社会の恐ろしさが想像を超えていないことと一致している。社会主義を存続させたものはイデオロギーへの信奉か、権力欲か、抑圧と恐怖か、習慣に固執する慣性か。どう描いているかよくわからない。それと、そうした体制に反して作家に共感していく体制側の手先たる主人公の心理に共感できないことは表裏一体なのだ。

 これはつまり、巧い映画として楽しめばいいということなのだろう。大失敗作だった『ツーリスト』の監督でもある本作監督の、デビュー作にして、幸福な成功例として、本作は娯楽映画としては十分であり、それ以上ではないということなのだろう。

『君のためのタイムリープ』-愛おしい

 台湾映画。『一秒先の彼女』以来だが、タッチとしては似ている。いくらかの超常現象を含む青春映画であり、ハッピーエンドを期待するばかりの映画。高校のバンドの歌姫が、卒業して20年後、若くして命を絶つ。ふとしたことから高校卒業前にタイムリープしたメンバーの一人、主人公が、彼女の死に繋がる成り行きを変えようと奮闘する。

 タイムリープ先は1997年。この頃の台湾の高校生にとって日本が憧れだった。ヒロインは安室奈美恵のように日本でスターになることを夢見ている。その夢が、中途半端に続いてしまうことが悲劇になるこちから、主人公はその夢の実現を邪魔しようと画策する。同時に、ヒロインを応援したいという気持ちとの板挟みにもなる。

 手放しで賞賛するほどの巧みさはないが、もちろんこういうのは「愛おしい」映画なのだった。

2024年12月27日金曜日

『ザ・デッド2 インディア』

 事前情報なしで観始めると、題名に『2』とある。とりあえず調べてみると、続編とはいえ、全編の「アフリカ」編とは話がつながっているわけではないらしい。アフリカに続いて、インドを舞台にしたゾンビ映画。インドだというのに、物量作戦はとらない。ゾンビの数はごく控えめで、アメリカを舞台にしたほどの広さも感じない。単に予算の都合だろう。別にインドであることの特別さはない。

 が、映画自体は悪くなかった。冒頭のムンバイの町並みを描くカメラが、悪くない映画的手触りを感じさせる。画面の精細さと、スローモーションを交えた編集のリズム。

 ロメロの「ゾンビ」に比べても一層ゆっくりした不活発なゾンビは大した脅威にはならないが、それでも、その条件の中ではそれなりのスリルとサスペンスは描いている。パラグライダーで脱出する際も、簡単にゾンビの群れを置き去りにすることはできず、風に乗れずに一旦ゾンビの群れの中に着陸してしまうあたりの演出はうまいもんだと思う。

 全体がロードムービーになっているのも好感がもてるし、一旦別行動になった登場人物が再会するのは嬉しい。ゾンビ映画ならではの残酷なドラマも描いている。

 悪くない映画だと思っていたが、結末が八方塞がりで終わるのは残念。脱出して終わってほしかった。ここに社会批判や苦さを味わいたいわけではなく、単なる娯楽映画として観たかった。

2024年12月14日土曜日

『呪術廻戦0』-サプリメント

 アニメのレベルは無論高い。といって、テレビが十分高かったから、劇場映画とはいえ、それ以上ということもない。むしろシーズン2の恐るべきレベルの高さを経験した後では、そこに感動を見出すことは難しい。

 といって物語がとりわけ面白いとも言えないので、これはやはり本編に愛情を抱いている人向けのサプリメントなのだろう。

2024年12月3日火曜日

『素晴らしき哉、人生』-多幸感に満ちた

 これを、日本を舞台に翻案したという芝居に誘われて行くことにしたので、予習として。

 いやあ、素晴らしかった。人生も映画も。そう思わせてくれる、多幸感に満ちた映画だった。

 冒頭の神様と天使の会話シーンがどういうわけで星空と音声だけなのかは謎だが、あれは意図的なものではなく制作の都合なのかもしれない。ともかくそんなグダグダな始まり方をするものの、ほどなくまっとうなハリウッド映画になる。金がかかっているらしい画面作りも堂に入ったものだ。ジェームス・スチュアートはなるほど器用に善人の主人公を演じている。善人で健気で好漢。

 あちこちに張られた伏線が回収されるのも気持ちよいし、とりわけ、不幸な展開から、いっそう悲惨な「もしも」の世界に行って、元の世界に戻ったときの幸せ感ときたら!