2024年12月28日土曜日

『善き人のためのソナタ』-娯楽映画として

 評価が高い映画なので、見放題終了前に、と。偶然にも邦題が「~ための」映画が続いた。ものすごく久しぶりに一日2本鑑賞。

 ベルリンの壁崩壊5年前の東ドイツのシュタージの活動を描くという点に興味を引かれるが、観終わってみると、そこに何か特別なものを感じたわけではなかった。監視・密告社会の恐ろしさというような表現で想像されるような状況が描かれているにとどまる。

 では、といってストーリーは良くできている。監視する側と監視される側に共感が生ずるという展開から、秘密警察及び政権に対する抵抗運動が進行して、やがて残酷な悲劇の痛みと、計画の成功による快哉と転ずる。

 ベルリンの壁崩壊後のエピローグが意外と長く、だがそこにこそ味わいがあった。自由を求める戦いに協力したことで失脚する主人公の監視者の、苦く穏やかな雌伏の時間が描かれ、それが最後に救いに変わる。

 監視の対象となっていた作家は、やがて監視者の協力を知る。そして自由になったドイツであらためて公然と、かつてはできなかった社会批判を記した本を出版する。そこに協力者への謝意を書き込む。

 主人公が書店の店頭でそれを見つけ、開いて自分への献辞を見つける。購入しようとすると、レジの書店員が「ラッピングしますか?」と尋ねる。主人公はそれを断って「それは自分のための本だから」と、ハッとするダブルミーニングの台詞を吐いてストップモーションになってエンドロール。見事な幕切れだった。

 この「巧さ」に唸らされて終わる幕切れは、すこぶる爽快なのだが、いささか苦言を呈すると、主人公が監視しているうちに体制への批判に共感していく、というこの物語の核心であるべき心理ドラマは描けていないと感じた。社会批判という意味では、この映画は問題の掘り下げが不十分なのだ。これは監視社会の恐ろしさが想像を超えていないことと一致している。社会主義を存続させたものはイデオロギーへの信奉か、権力欲か、抑圧と恐怖か、習慣に固執する慣性か。どう描いているかよくわからない。それと、そうした体制に反して作家に共感していく体制側の手先たる主人公の心理に共感できないことは表裏一体なのだ。

 これはつまり、巧い映画として楽しめばいいということなのだろう。大失敗作だった『ツーリスト』の監督でもある本作監督の、デビュー作にして、幸福な成功例として、本作は娯楽映画としては十分であり、それ以上ではないということなのだろう。

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