それにしても、真木よう子や寺島しのぶがうまくても今更驚かないが、柴咲コウのキャラクターがなんとも上手い造型で良いなあと思ったら、原作ではこれが主役なんだな。
これは原作も読んでみねば。
そういえば『すべてがFになる』のテレビドラマ版も、朝刊で突然知って第一話を予録して観たが、とりあえず原作に対する思い入れに落とし前をつけなきゃなるまい、という動機だけで期待などできるはずもあるまいという予想通り、安っぽいドラマだった。あの薄っぺらいテレビ特有の画面は、テレビマンの矜持だとどこかで読んだことがあるが、いったいそんな矜持をどうしたいというのだろう。あんな物語を日常(だがテレビドラマという作り物じみた非日常)的な画面で見せて何をねらうつもりか。とりあえず、であれ、映画的な異空間を作ってこそはじめて、あの
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