2014年12月30日火曜日

「こころ」9 ~遺書を書いたのはいつか

 今年度の授業の成果は前半の「曜日を確定する」の展開だし、その前の要約しながらの通読という展開も、いささかしんどかった(生徒が、である。しんどそうにしている生徒が持ちこたえてくれることをハラハラしながら見守るこちらも多少はしんどかった)が、手応えはあった。
 だが新鮮な驚きをもたらせてくれたのは、先に触れた、「K」の遺書は上野公園の散歩の晩(「曜日の確定」授業の結論に拠れば自殺を決行した前の週の月曜日)に書かれたものであり、「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」だけが自殺を決行した土曜の晩に書き加えられたのでははないか、という解釈である。これを述べたのは先述の通り、とある女子生徒だったが、別のクラスで同じ見解を述べる男子生徒がいたのである。二人は今年度の4クラスの中でもとりわけ信頼の置ける生徒である。それが図らずも同じ解釈に至ったのである。
 管見によればこうした解釈を唱える研究者はいない。さんざん読みこんできたつもりの私も、そもそも発想したことがなかった。前回はこの解釈について次のように述べた。
 結論としてはこの見解には首肯しかねる。「墨の余りで書き添えたらしく見える」という描写は、この最後の文句までが一連のものとして書き足かれたものであることを示している。したがって遺書全体が、やはり土曜の晩に書かれたものであると考えるべきだと思う。
さらにこの説を否定したいと考えるのは、「K」がこの日の昼間言った「覚悟」が処決の覚悟だとしても、「覚悟」は「決意」ではなく、「K」はこの時点ではまだ処決を実行に移すに至る契機を得ていないと考えるからだ。
 一般的な解釈は、深夜の「K」の訪問を自殺の決行のための偵察であるとする(にもかかわらずそれを忘れて「K」が「私」に裏切られたから自殺したかのように「エゴイズム」テーマ説を唱える)。私は深夜の訪問は「K」から「私」への不器用なアプローチであったと考えるし、「覚悟」を実行に移すには上記の「二日余り」が契機として必要であったと考えている。だからこの晩に「K」が遺書を書いているとは考えなかった。
 だがその後考えているうちに、次第にこの説の説得力が増してきた。
 「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」を除けば、それ以外の文言をこの晩の「K」が書き付けることを想定するのは、この時点での「K」の心理からしてもあながち不可能ではない。昼間の「覚悟」は自ら処決する覚悟であることは疑い得ないからだ。
 だが、そもそもそうした解釈を受け入れるためには、漱石がそれを意図し、そのサインを読者に提示していることを納得する必要がある。文中で否定されていない解釈というだけなら、相当程度のトンデモ解釈でも明らかに文中で否定されるわけではないし、整合的に成立するというだけでも解釈の幅はかなり広く確保される。
 だが小説は現実ではないのだから、作者が想定した物語世界の限界については、作者が文中に何らかのサインを書き込んでいることによって保証されると考えるべきなのである。とすれば、この「遺書は月曜の晩に書かれていた」という、明らかにはされていない「真相」を読者に伝えるべく漱石が残したサインは見つかるか?
 これが見つからないと考えていたからこそ、こうした説を否定していたのだが、考えているうち、そもそも先に否定するための根拠として挙げた「最後に墨の余りで書き添えたらしく見える」という文言こそが、この部分とそこまでの部分の書かれた日時の断絶を示しているのではないか、とも考えられることに気付いた。
 なぜそこだけが「書き添えたらしく見える」のか、については去年、考えられる理由を列挙してみた。
 その文言の後半になるにつれ、墨がかすれ気味になっていくことを指しているのもしれない。あるいは、そこまでが堅い「候文」であるのに、ここだけが幾分崩れた口語調になっているということかもしれない。また、そもそも他の部分が「礼」や「依頼」といった、宛先である「私」へ向けたことが明白である文章であるのに対し、この部分だけが独り言のような調子であるせいかもしれない。
こうした「見た目」や「文体」や「内容」による差異によってこの文言が特別な位置にあることが示されたとしても(だからこそこの文言をめぐる考察が一般的な授業展開だとしても)、あくまでそれは「遺書を書く」という一連の行為の中での差異であるとして、そこに表れた「K」の真情を探る考察が必要だと思われていた。
 だが、こうした意味ありげな特徴(「符牒」といってもいい)こそが、この部分とそれ以前の文面が別な機会に書かれたものであるという「真相」を読者に知らせようとしているサインなのではないか?
 だがまだ読者がそれと気付くための符牒としては不充分である。そもそも差異のもつ意味合いとしては、先に「月曜日に遺書の本文は書かれていた」という解釈がなされなければ、その差異を日時の断絶を意味するものとして解釈することなどできないのだ。だからこうした解釈はまずもって月曜の「K」の深夜の訪問を自殺の決行のための偵察であると解釈することに付随して成立したことは間違いない。
 深夜の訪問の意味をそのように解釈しないとして、それでも「K」がこの時、遺書を書いていたのだという「真相」を漱石が想定していたとしたら、それはどんなサインとして文中に記されているのだろうか?
 43章にはこうある。
 上野から帰った晩は、私に取って比較的安静な夜でした。私はKが室へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍に坐り込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。
例によって「私」は「K」を闘争的に捉えている。「私」は「K」という「敵」に「勝利」していると感じている。だが「K」が「迷惑そう」なのは、「私」が「勝利」や「得意」を感じているのと相対的に「K」が「敗北」や「失意」のうちに置かれているからではない。「K」は一人で考えたいことがあったからだ。むろん昼間の「私」との会話の内容についてである。「K」にとってそれは「恋か道か」というような選択の問題ではない(「こころ」という物語が巷間言われているように「恋か友情か」という選択の物語でなど、いささかもないように)。言うまでもなく、はからずも自らが口にしてしまった「覚悟」についてである。
 まずはこのように「K」の心を何かが占めていたことを確認して先を読み進めると、「K」の訪問は次のように書かれている。
 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵のとおりまだ灯火がついているのです。
この「灯火(あかり)」は「Kの黒い影」を演出するものとして言及されるのだと考えられがちだ。つまり読解のための関心は「黒い影」に焦点が合っている。だがふと視線を逸らせてみれば「灯火」は「K」の室内に灯って、そこで「K」が「宵」から過ごした時間を暗示しているとも思えてくる。「K」は何をしてそこまで起きていたのか?
 「Kの黒い影」は「黒い影法師のようなK」と繰り返されて読者の注目を誘導するが、一方「灯火」も「洋灯(ランプ)」と繰り返される。「K」は暗闇で沈思黙考していたのではなく、ランプの下で何事かしていたのである(むろん「私」に声をかけるにあたって灯りを点けた可能性もなくはないが、「宵のとおり」という形容は灯りが宵からその時点まで連続して灯っていたことをイメージさせる)。
 さらに次の一節である。
 Kは洋灯の灯を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私にはわかりませんでした。けれども彼の声はふだんよりもかえって落ちついていたくらいでした。
「彼の顔色や眼つきは、全く私にはわかりませんでした。」は、「K」の存在が「私」にとって不可解な、不気味なものとして感じられていることを示しているのだ、などと説明されることが多いが、もちろんこれも「私」と「K」の意思の疎通の断絶を示す構図でもある。
 だがそれより看過できないのはそれに続く「けれども彼の声はふだんよりもかえって落ちついていたくらいでした。」である。昼間「私」によって死刑宣告を受け(「精神的に向上心のない者はばかだ」は「K」にとってはそういう意味にほかならない)、「彼の目にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました」と形容されていた「K」が、夕方に「私」の世間話を「迷惑そう」にしていた「K」が、この場面で「落ちついていた」とわざわざ形容されるのはいかにも不自然である。いったいどういうわけか?
 この点については去年の段階では次のように書いた。
 一つの解釈は、実際に「落ちついていた」のではなく、「私」の不安がその裏返しとして「K」の言葉を「落ちついていた」と感じているのだ、というものである。
 もう一つの解釈は、昼間の最後の台詞「覚悟ならないこともない」によって、「K」は自身の決着の行方について、一定の〈覚悟〉を宣言することで(または自覚することで)、抱えていた苦悩について一段落させたのだ、というものである。自殺という決着点の宣言は、ただちに決行しなくても、それを他人に向けて宣言することでとりあえず今現在の迷いに安定を与えたのだと考えられるのである。
だがさらに今回の説を想定するならば、「K」は懊悩に決着をつける道として昼間口にした「覚悟」を実行に移すための証としての遺書を書き終えることで、現在の迷いに対して一応の納得を得たと考えることができるのではないか?
 だからといって依然としてこの晩に「K」が自殺を決行しようとしていたとは考えられない。その決定的な理由は、そうした解釈では、物語がこの後、お嬢さんとの婚約の事実を知ってから「K」が自殺するという展開に至るドラマツルギーの必然性と整合しないと考えるからである。そして「K」の訪問の意味も、やはり「K」から「私」へのアプローチであるとも思う。
 それでもなお、上記の二つの解釈で「K」の声がなぜ「落ちついていた」のかという理由として確信するに足る納得をしきれなかったのが、「K」は遺書を書き終えて隣室をのぞいたのだという想像によれば、相対的に強い納得が得られるとは思う。
 こうした「納得」は、繰り返すが、正確に言えば「なぜKの声は落ちついていたのか?」という疑問に対する「納得」ではなく、「Kの声が落ちついていたことを書き込むことで作者はどのような解釈に読者を導こうとしているのか?」という疑問に対する「納得」である。

 さてこの「新説」についての結論は、当面は「保留」とする。まだ確信しきれない。だが一蹴することはできないし、考慮する価値のある解釈であると思う。
 すると、問題の土曜の晩には、「K」は十日余り前にしたためておいた遺書を読み返し、そこに溢れる悲痛な思いを書き添えてから「手紙を巻き収めて…封の中に入れ…机の上に置き」、さらに襖を開けて「私」の寝顔を眺めてから、徐ろに実行に及んだという場面が想像されることになる。
 これがまだ前後の解釈に決定的な変更を迫るものかどうかはわからない。が、とりあえず今年の授業の成果として記録しておきたい。

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