2017年9月20日水曜日

『チェンジング・レーン』-満足度の極めて高い傑作

 ベン・アフレックとサミュエル・L・ジャクソンだから、悪い映画ではなかろうと、それ以外の予備知識なしで録っておいたのだが、いやこれは拾い物だった。
 髭のないベン・アフレックはこんな間延びした顔だったんだな、などと呑気に観始めたのだが、ソツのない描きぶりにあれよと見続けてしまう。

 ベンの弁護士とサミュエルの元アル中の保険外交員が、ハイウェイでの車線変更(チェンジング・レーン)がきっかけで接触事故を起こす。ベンは裁判に必要な書類を事故現場に置き忘れ、車の動かなくなったサミュエルは子供の親権をめぐる裁判に遅れて親権を失う。そこから要求と互いの行為への怒りが、脅迫や嫌がらせの応酬にエスカレートしつつ、それぞれの人生に対する見直しへとスライドしていく。
 次々と展開するお話をコントロールする脚本の出来には脱帽。これだけのスピード感で、これだけ起伏のあるエピソードを次々と詰め込んで、そこにどんな感情を付加していくかを充分に計算している。事態の収拾をはかろうとあがいたり、相手への怒りのあまり報復してそれを台無しにしたり、それでも反省して自分の人生を良いものにするために努力したり、それぞれの行動に充分の動因が働いている。
 そしてそのストーリーを描くための演技も演出も編集も文句のつけようのないうまさだ。親権を得るために戦うはずだった裁判に備えて、車の中で考えていた口上を言う間もなく裁判が終了し、それでも虚しく、芝居がかった口上を言いかけるが、無情にも裁判官に遮られてしまうシーンの滑稽さと哀しさ。裁判官がまったく自然な仕事ぶりをする常識人で、悪役なぞに描かれないバランス感覚。失意のサミュエルが、ベンの必要とするファイルを、裁判所入口のゴミ箱に投げ入れるシーンに観客が感じる焦燥の強さ。
 裁判事務所の共同経営者としての成功を守るか、倫理的な満足を選ぶかという選択は、それこそ「羅生門」のような観念的で、まるで現実感のない問題設定と違って、その成り行きに感情移入してドキドキした。依頼人の財団からの詐取の首謀者、事務所の上司である義父を演ずるシドニー・ポラックがまた良い。許される行為ではないはずなのに、自分の行為に対する信念の揺らぎはない。自分が救っている人間の方が多いという確信が自分の行為を支えているという哲学を語る場面は迫力があった。
 そして最初の車線変更が、最後には人生の車線変更へとつながる物語全体の構成は、本当に見事だった。最後のハッピーエンドを甘くなく描くことのできるバランス感覚は驚嘆すべきものだ。

 これがまたなんともはや呆れたことにネットでの評価は賛否半ばするのだった。口を極めて酷評する人も多い。
 登場人物たちが不愉快?
 もちろんわが身可愛さの保身も感情的な嫌がらせも醜い。
 一方で可能な限り紳士的に、常識的に振る舞おうとする努力も描かれていて、選択の難しさは充分描かれている。
 話の展開が退屈?
 あれほどの起伏と速度で展開するストーリーが退屈?
 いやはや、人の感じ方はこんなに理解しあえないものなのか。
 そうすると先日の『打ち上げ花火~』も、あれに感動したり面白がったりする人もいてもおかしくないわけだ。

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