さて初マリックはどうだったかというと、これがどうにも困った。
とにかく説明がない。20世紀初頭のアメリカ。兄妹に兄の恋人を加えた若い3人がテキサスの農場で麦刈りの季節労働者として働く…というのだが、時代背景は冒頭の工場や農場の様子、最後近くに出てくる兵士から見当をつけるしかないし、農場がテキサスであることはわからない。ネットで調べて、テキサスかぁとぼんやり思うだけである。この三人の背景もわからない。戦争孤児ということなのかもしれない。アメリカ人が観れば、その辺りは明瞭だということなのだろうか。
サム・シェパード演ずる、若い農場主も、どうして家族がいないのか、説明されたりはしない。
大まかなストーリーや、それを動かす登場人物の心の動きなどが観客にわかるだけの描写は入れているのだが、その語り口は、実に淡泊で寡黙、見慣れたエンターテイメント系の物語とのあまりの違いにとまどう。
同時に、自然の風景や動物などのショット、人物を写した短いショットなどが随時挿入されるのだが、それが必ずしも物語上の「意味」を指し示しているわけではないのだ。主人公の横顔でさえ、あるときはなるほどここは恋人と農場主の関係に対する嫉妬の感情を表しているのだろうなどとわかる時もあるが、まるでわからない時も多い。感情というだけでなく、物語上の「意味」、それがそこに挿入される必然性がわからないのだ。
それでも、映画としてはそれでいいのだという確信で作っているのだろうという感触はある。というか、意図的にそうしていることもわかる。ストーリーを形作る人間ドラマは、手堅い愛憎劇ではあるがそれほど深遠なものでもない。
それよりなにより風景だ。とにかく美しい光景だ。この映画が語られる時に誰もが触れる、アルメンドロスの撮影だ。
これがもう全編、ミレーだったりアンドリュー・ワイエスだったりと、呆れるほどの美しさなのだ。
農場で過ごす1年あまりは、恋人が農場主に見初められてからの優雅な日々の前、過酷な労働の日々でさえ、その美しさから「天国の日々」に思える。貧しさの中でこそ輝く美しい瞬間に満ちている。
最後の悲劇の展開は「天国の日々」を完結させるために必要なんだろう。後味は良くないがそれは「天国の日々」の輝きの代償だ。
結末の、妹の寄宿舎からの脱走も、相変わらずの説明不足で、今後がどうなることやらわからない。だがそもそも、どうして物語上このエピローグが必要なのかがわからない。ここはわかるべきところなのだろうか。
何やら妙に印象的ではあるが。
印象的と言えば、印象的このうえないテーマ曲はどこかで聞いたことがある。音楽がエンニオ・モリコーネというから、この映画のテーマとして聞いたことがあるのかと思ったら、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」の中の「水族館」なのだった。
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