突然自分がアマゾンプライム会員であることを自覚した。いつからなのだ。ある程度買い物を続けているというだけで自動的にそういう呼称になっているのかと思っていたら、どうやら会員料を払っているらしいことがわかった。いつの間に。支払いは口座引き落としだから見落として自覚もしていなかった。
で、にわかにアマゾンビデオで観られる映画を検索しだした。レンタルは300~500円くらいだから、DVDレンタルの方が安い。だが無料で観られるものも案外ある。
人気作は有料だろうと思っていたら、宣伝的な「特売」扱いなのか、本作が無料なのだった。
さて、ビートルズだしダニー・ボイルだし、面白くないわけがない。
コメディとして笑えたし、ラブロマンスとして切なくも微笑ましかった。
そして最後のハッピーエンドまで、実に幸せな映画だった。
だがダニー・ボイルに対する期待ということでは、期待値に対して充分ではなかった。
曲はもちろん良いが、音楽映画としては『ボヘミアン・ラプソディ』や『ジャージー・ボーイズ』の方が感動的ではあった。
その要因として、観ながら不満だったのは、主人公がソロで活動し続けることに納得がいかない、という点がある。一人で歌えば歌うほど、原曲はリンゴのリズムや、コーラスも入ってこそ「ビートルズ」の曲なんだと思わされる。
それでも、異世界でビートルズの曲を演奏しても最初のうちは誰にも注目されなくて、自分にはカリスマ性がないからだとがっかりするくだりは必要な過程だとして、それがなぜ世間に届き始めたかは、どうもはっきりしない。現代的に、SNSの影響で、というほどの描き方の工夫があったようでもない。
それと、文化的なビートルズの位置づけについての考察の後は感じられなかった。突然の異世界ジャンプの理屈は別につかなくてもいい。ただ、ビートルズが存在しなかったら世界がどうなっているかは、もっと考えれば興味深い問題のはずだ。オアシスが存在しない、くらいの影響ではないはずだ。
それは上記の音楽としての力も、単純に曲のメロディーと歌詞だけではないはずだというだけではなく、彼らのキャラクターやらファッションやら、時代との相互作用とか、さまざまな要因があるはずなのに、単に曲が良ければ受け容れられるかのように描いているのが浅く感じられるということとも繋がっている。
そういう意味では、これはとても幸せなラブコメディではあるが、真剣なビートルズ映画ではなかった。
それでも、ビートルズ愛自体は疑わない。
そして、ここはどうしたって実にうまい脚本上の工夫でもあり、まったく感動的な展開だった。
同じアイデアに基づいたかわぐちかいじのマンガ『僕はビートルズ』でも、(全体としては面白くないマンガだったが)、ホンモノが出てくるところだけはゾクっとさせられたが、それだけではない、幸福な感動があった。
そうすると、ビートルズがいないからといってポール・マッカートニーがいないわけではない。ポールはジョンと出会うことなく、ソロ歌手として活動している、とか、ポールが早死にしているとか、なんらかの展開がありそうだ。
ただしそれは描けない。存命中のポール・マッカートニーに許されるわけがない。
このあたりも何やら考えてみると面白そうな問題ではあるが、まあそういう映画ではないんだろう。
で、にわかにアマゾンビデオで観られる映画を検索しだした。レンタルは300~500円くらいだから、DVDレンタルの方が安い。だが無料で観られるものも案外ある。
人気作は有料だろうと思っていたら、宣伝的な「特売」扱いなのか、本作が無料なのだった。
さて、ビートルズだしダニー・ボイルだし、面白くないわけがない。
コメディとして笑えたし、ラブロマンスとして切なくも微笑ましかった。
そして最後のハッピーエンドまで、実に幸せな映画だった。
だがダニー・ボイルに対する期待ということでは、期待値に対して充分ではなかった。
曲はもちろん良いが、音楽映画としては『ボヘミアン・ラプソディ』や『ジャージー・ボーイズ』の方が感動的ではあった。
その要因として、観ながら不満だったのは、主人公がソロで活動し続けることに納得がいかない、という点がある。一人で歌えば歌うほど、原曲はリンゴのリズムや、コーラスも入ってこそ「ビートルズ」の曲なんだと思わされる。
それでも、異世界でビートルズの曲を演奏しても最初のうちは誰にも注目されなくて、自分にはカリスマ性がないからだとがっかりするくだりは必要な過程だとして、それがなぜ世間に届き始めたかは、どうもはっきりしない。現代的に、SNSの影響で、というほどの描き方の工夫があったようでもない。
それと、文化的なビートルズの位置づけについての考察の後は感じられなかった。突然の異世界ジャンプの理屈は別につかなくてもいい。ただ、ビートルズが存在しなかったら世界がどうなっているかは、もっと考えれば興味深い問題のはずだ。オアシスが存在しない、くらいの影響ではないはずだ。
それは上記の音楽としての力も、単純に曲のメロディーと歌詞だけではないはずだというだけではなく、彼らのキャラクターやらファッションやら、時代との相互作用とか、さまざまな要因があるはずなのに、単に曲が良ければ受け容れられるかのように描いているのが浅く感じられるということとも繋がっている。
そういう意味では、これはとても幸せなラブコメディではあるが、真剣なビートルズ映画ではなかった。
それでも、ビートルズ愛自体は疑わない。
そして、ここはどうしたって実にうまい脚本上の工夫でもあり、まったく感動的な展開だった。
同じアイデアに基づいたかわぐちかいじのマンガ『僕はビートルズ』でも、(全体としては面白くないマンガだったが)、ホンモノが出てくるところだけはゾクっとさせられたが、それだけではない、幸福な感動があった。
そうすると、ビートルズがいないからといってポール・マッカートニーがいないわけではない。ポールはジョンと出会うことなく、ソロ歌手として活動している、とか、ポールが早死にしているとか、なんらかの展開がありそうだ。
ただしそれは描けない。存命中のポール・マッカートニーに許されるわけがない。
このあたりも何やら考えてみると面白そうな問題ではあるが、まあそういう映画ではないんだろう。
やはりそのあたりは浅薄なのだった。
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