2025年4月4日金曜日

『cocoon』-もやもや

 今日マチ子の原作は読んだ記憶があるが、見始めても一向にストーリーは思い出さない。とにかく戦争の悲惨さとはかなげな絵柄とのギャップに驚いたものだったが。

 どういう企画で今これがアニメ化されるのかも、どういうタイミングで放送されるのかもわからない。どうみても夏の放送が定番だろうに。

 アニメーションのレベルは終始高かった。ジブリと見まごうほどに。というか、なぜこんなにあからさまにジブリなのか、その意図が疑問ではある。

 だがこれがどうみても戦争をテーマとしている以上、そういう観点で見ないわけにはいかない。戦争の悲惨が描かれるためには、それをもたらす力学がどのようなものかを描かなければならないはずだ。でなければかわいそうなのは病気だろうが交通事故だろうがいじめだろうが同じだ。

 そういう意味で、本作が描く戦争は、敵にしろ戦闘にしろ、リアリティがなさすぎる。

 原作もそうだったのかどうかわからず、もやもや。

2025年4月1日火曜日

2025年第1クール(1-3)のアニメ

『全修』

 異世界転生ものも、それなりにあれこれ工夫をこらす。アニメ監督が転生した先が好きなアニメの世界で、知っているはずの展開が、自分が関わることで変わっていく、という設定。バッドエンドの鬱アニメが好きだった主人公は、自分が関わってしまうとその通りの展開を受け入れるわけにもいかず、ハッピーエンドを望んでしまう。

 有名アニメのパロディも、先の展開が気になるところも悪くなかったが、作画レベルがそれほど高くないのは『チェンソーマン』『呪術廻戦』のMAPPAにしてはと残念だが、そもそもこの会社は量産している中で質のそれほど高くないアニメもいっぱいある。


『花は咲く、修羅の如く』

 『響け!ユーフォニアム』の武田綾乃原作の、放送部を扱ったアニメだというので期待したが、面白くはなかった。登場人物も魅力的ではなく、ストーリーに盛り上がりもなく、放送部ならではの、あるある感が面白さを感じさせることもなく。それぞれにそれをないがしろにしているわけではないのだが。物語の神は細部に宿る。神はいなかった。

 主人公が朗読志望者で、初回の『春と修羅』だけはすごかったが、それ以外、劇中で披露される数々の朗読が、残念ながらうまくない。ここはちゃんと指導してほしい。誰か関係者が。これなしには放送部の物語を映像/音声で描くことはありえない。


『異修羅』

 シーズン2でまだまだ新キャラがどんどん出てくる。そしてますます何でもありだ。巨人とか竜とか。でもなんだか面白い。先が気になる。まだまだ話は続いている。


『チ。―地球の運動について―』
 年末の第4クールから年をまたいで第1クールまでの2クールで、単行本8巻までの全ストーリーをアニメ化した労作。OPのサカナクションもEDのヨルシカも話題で、アニメも良質だった。
 とはいえやはり物語の力ではある。
 いける、となったら結構続けて次々と見続けた。25話を5夜くらいか。もちろん面白い。それは原作の力なのだが、アニメではそこに声優陣の演技がキャラクターに厚みを持たせている面はもちろんある。それだけでなく(これはある人の受け売りなのだが)、本作のテーマに深く関わる夜空が美しく描かれていることは大きい。そういえば『よふかしのうた』もそうだった。アニメの演出は意図的なのだそうだ。
 物語としては、知への探求が命と引き換えにできるかどうかという点は共感を超えているとはいえ、全体としては緊密なドラマが展開している。見所の一つは、知への探究心とともに、継承というテーマだと思われるが、これに関しては、最終エピソードの一つ前のエピソードから最終エピソードへの受け渡しが希薄だったのと、通しの敵役であるノヴァクが、溺愛する娘を通して主人公側の真実への思いに触れる展開を作ってほしかったというのが、甘い話だが物語享受の素直な欲求ではある。


2025年3月25日火曜日

『ホットスポット』-得がたい

 バカリズムの連続テレビドラマとして、『ブラッシュアップ・ライフ』が連想されているのはキャストもそうだし、こちらの意識も。

 で、感動的という意味では『ブラッシュ』はやはりすごかったのだと思うが、ドラマとしての語り口としては、本作も相当に完成度の高いまま10話ずっと走りきった。どうしたことか、テレビドラマとしては意識的に、映画的な手触りの画面作りがされていて、画としても編集のテンポとしてもうまい。ドラマとしては基本的にはバカリズムの漫談の味わいではあるのだが、その皮肉なものの見方にニヤリとさせられるところに、登場人物たちの人柄やら関係性やらが物語に居心地の良い空間を作っている。

 とりわけ、10話を通じてほとんど笑わない演出がなされている角田晃広は「大豆田とわ子と三人の元夫」における役柄と、いじましさの点でかなり似てもいるのだが、それ以上に得がたいキャラクターを作っていた。ともすれば地球に生きる異星人としての孤独が描かれそうだが、いじましさがそうした視聴者の同情を封じて、逆に笑わないままにみんなに愛される存在として登場人物たちによる奇妙なコミュニティを成立させている。これが、謳い文句である「地元系」的な、ゆるやかなユートピア感につながっている。


2025年3月17日月曜日

『どうせ死ぬなら、パリで死のう』『明日、輝く』-甘い

 NHKが、なんだか似たような単発ドラマを、同じ45分枠で、一日おいて2本放送するのはなぜなのかわからない。見てみる。こういうことは前にもやっていて、いつも落胆させられる。さて。

 いや、どちらも、相当にダメだった。がっかりした。好感がもてる、というようなこともない。

 前者は伊吹一フジテレビヤングシナリオ大賞佳作だそうだし、後者は「創作テレビドラマ大賞」の1063作から選ばれた大賞作品だという。それでこれか。

 どちらも、テーマに対する掘り下げも、ドラマとしての緊迫感も、甘い。なおかつどちらも演出が、いかにもテレビドラマ、の感情を描くことに腐心して、結局作り物じみている。

 前者なら、「反出生主義」の絶望を描くことに対して、まるで真剣ではない。軽く「生きにくい」人たちを描き、当然のような予定調和で甥っ子と主人公のほのぼの友情に決着する。

 後者も、それぞれに生きにくい事情を抱えた二人が、立ち直って前を向く話ではあるのだが、それがどういう論理で成立するかについて、特段の新鮮さはない。

 どうしてこういうドラマが、わざわざ作られるのか。「ドキュメント72時間」の一編にも及ばないドラマが、それなりに金をかけてまで。


2025年3月15日土曜日

『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』-言葉のスパーリング

 討論の場面はテレビで放送されているのを観たことがあったが、映画としてまとめられているものをあらためて。

 三島や全共闘と学生運動、そして三島の自決まで、背景を説明する必要はもちろんある。

 問題はゲストの内田樹や平野啓一郎、小熊英二や橋爪大三郎のコメントだ。残念ながら、有効に使われているとは感じなかった。内田樹と平野啓一郎についてはいくらか討論のガイドとして有益なコメントもしているが、瀬戸内寂聴や小熊英二あたりはほとんどカットしても良かった。

 やはり討論の中身をどう捉えるかに不全感が残った。どのテーマについても、ほとんど何を議論しているのかわからない。三島への問いについても何を聞いているのかわからないし、それに対する三島の答えもどうかみあっているのかわからない。

 とりわけ芥正彦とのやりとりは、応酬が複数回にわたるだけに、わからなさがどんどん蓄積していく。ここに、現在の芥のコメントを上積みしても、何かが理解される期待はまるでできない。現在の芥の語ることもほとんど韜晦で、それ自体が現代詩のようだ。

 それでも、議論自体を三島が楽しんでいるらしいユーモアに満ちたやりとりが楽しいとは言える。抽象度の高い言葉の応酬をしつつも、赤ん坊を抱いて、そのうちあっさり場を去る芥のやりとりも、それ自体がユーモラスでもある。

 何か言葉でスパーリングしているような。


 でもどうにも、読解の必要も否定できないもどかしさがある。どんな枠組みで語られているのか。あれらの応酬が。


『ダンケルク』-間然するところないが

 未見のクリストファー・ノーラン作品ではあったが、最近『チャーチル』を観て、それにまつわる『映像の世紀 バタフライエフェクト』なども見返し、入りやすくなったところで本作を。

 さすがノーラン。冒頭のフランスの住宅街を主人公たち兵士が歩いて行く後ろ姿と舞い散るビラをスローで捉えるカットから、映画的な質の高さが満ち満ちている。物語はサスペンスに満ちていて、必要な劇的要素は揃っている。

 「ダンケルクの大撤退」については、ある意味での成功という結末は決まっているのだから、そこへ向かって着地させればハッピーエンドは約束されている。カタルシスはある。

 だが、文句なく凄い作品だったというような感動があるわけではなかった。これは映画制作者たちのせいではない。映画は間然するところがない。とにかく金のかかった、エキストラを大量に動員した画面も、船が倒れるスペクタクルをたっぷりと描く撮影も、燃料切れでプロペラが停まってから着陸するまで、ゆっくりと滑空する戦闘機の切なさと安堵感と、戦場から戻って故郷へ向かう列車の中で不意に車窓に映る田園風景も。映画的には文句なく凄い。

 が、それでも観るものとの出会いの魔法が起こるかどうかは偶然に左右されるのだ。



2025年3月11日火曜日

『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』-揺れるカメラ

 日本産「ループ」ものといえばヨーロッパ企画の上田誠だが、本作はまだ他に作品を知らない竹林亮と夏生さえりのオリジナル。

 その後繰り返されるエピソードが出そろう一周目から、ループであることが明らかになる二周目まで、アイデアがとにかく盛りだくさん。半信半疑の主人公が徐々に信じていく過程も楽しい。

 ループに記憶を保持しておければ、いろんなことに習熟していく。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』だ。

 ループが起こっているとするとどういうことが起こりうるか、どういう楽しみが設定できるかを、とにかく考え尽くして盛り込んでいる。そのアイデアの数はとにかく驚異的で、そのうえ、カットも豊富で編集のテンポもきわめて達者、映画的センスの良さは驚くべき。

 ものすごく楽しいタイプの映画だなと思って観ていたが、3分の2ほど進んで、最初のループ脱出の鍵が間違っていたことがわかってからの展開が、やや不満ではある。展開が、情緒を重視した人情話に傾いていく。

 もちろん、それが成功していれば、面白い以上に感動的になりうる。アイデアの数では双璧だと思える『カメラを止めるな』が成功しているように。

 が、そこはそうでもない。仲間との協力で、絆の大切さに気づきました、的な。

 惜しい。


 ところでどうも画面が常に揺れるのは、あえて手持ちカメラで撮っているらしいのだが、いちいち三脚でFixの構図を作らないことが、あのカットの多さを可能にしているのだろうか。

 興味深い。