冒頭の「娘を亡くした」エピソードがどう本筋に絡んでくるのかわからずに見続ける。
ファーストコンタクトものとしてはむろんよくできている。宇宙船らしき物体のデザインにしろ、コミュニケーションのとりかたにしろ。ただしエイリアンが古式ゆかしいタコなのはどういうセンスなんだか。まあ人型ってわけにもいかないということか? それにしても相変わらずエイリアンに服を着せない。
問題はコミュニケーションだ。コミュニケーションこそが地球来訪の目的であり、コミュニケーションこそが人類にとっての恩恵だという結論になる展開はSFとしてのセンスオブワンダーに満ちていて良い。認識は言語に拠っている、という中心的な命題も国語教師好みではある。それはまあ原作の価値なんだろうが。
邦題の「メッセージ」は宇宙人から地球人類に対してなのだろうと思っていると、これは地球人から宇宙人に対してでもあり、人間同士の「メッセージ」でもあり、ということがわかるところも伏線回収なのだが、原題の「arrival」(到来)もまた同様のダブルミーニングなのだろうか。宇宙人の地球到来でもあるが、時間が顕現する、という意味でもあるんじゃなかろうか。
途中の展開のハラハラにしろ伏線回収にしろ、終わりの切なさの余韻にしろ、大いに良い映画だったが、いくつか不満も。
中国を始めとする、攻撃すべき論のばかばかしさが戯画的に感じる。そういう攻撃的な人たちがいるにしても、科学力の差が圧倒的である以上、国として攻撃すべきという決定がなされる説得力がない。
主人公カップルの一方、「理論物理学者」が専門性をまるで活かさないまま計画に参加しているのはどういうわけか。むしろヒロインの言語学的アプローチの手伝いしかしていない。
問題のコミュニケーションが容易に過ぎる。最初苦労しているようにも描かれているが、その後たちまち成立してしまう。言語学的に翻訳の難しさが語られる場面があるにもかかわらず、それがどう乗り越えられたのかわからない。それは各国のそれぞれの言語的アプローチを照らし合わせ、かつAIによるディープラーニングを組み合わせて、ようやく解明されていく問題ではないか。それなのにそういった描写もなく、主人公が単独で解明したかのような描き方になっている。
アンバランスな安っぽさが同居するのは不思議。
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