2017年7月4日火曜日

『コラテラル』 -展開のスピード感と余韻

 4月からこっち、一本の映画を通して観る時間がとれない。
 生活が忙しいというのももちろんある。単純に帰りが遅くなった。
 同時に今期はとりあえず見通すと決めたドラマとアニメがやや多めなクールだった。前から見ている格闘技番組や情報番組以外に、今クールは「ボク、運命の人です。」「100万円の女たち」のドラマ2本と、アニメを5本くらい。その録画番組を「消化」するだけで毎日の隙間の時間が埋まってしまっていた。

 その中で、録画してみた映画の「消化」優先順位を決めようと、ちょっとだけ様子見と、『コラテラル』の冒頭だけ観てみた。
 …のつもりだったが、あれよあれよと途中まで観てしまって、見始めがそもそも遅い時刻だったのに、覚悟を決めて最後まで観た。
 それくらい面白い映画だったのだ。最初の、主人公のタクシー運転手と乗客の会話から妙に真面目に面白いぞと思っていると、それが案外長い。その女性客が検事で、再登場する重要人物だというのがだんだんわかる。
 次に乗せるのがトム・クルーズだから、いよいよかと思っていると、停車中の車の屋根にビルから死体が降ってくる展開で主人公同様度肝を抜かれて、あとはあれよと物語に飲み込まれる。
 度肝を抜く展開はこれだけではなくて、次々と、という感じで襲ってくるのだった。車のハンドルに拘束されて、道行く人に助けを求めると近づいてきたチンピラがいきなり銃を突きつけて強盗になるとか、その強盗に追いついたトム・クルーズが、どうやって鞄を取り返すのかと思っていると、いともあっさりと撃ち殺してしまうとか。その「いきなり」さ加減が実に上手い。
 とりわけ、ジャズ・バーのオーナーであるトランペッターを撃ち殺す場面の唐突さはすごかった。殺し屋はどうやらジャズファンらしい。トランペッターのプレイに敬意を抱いて、席に招いてジャズ談義を繰り広げていたとと思っていたら、途中でそのトランペッターがターゲットなのだという展開に驚かされる。殺し屋とターゲットがテーブルをはさんで味わい深い会話を重ねて、緊張感はあれど、殺すのは避けるかと思っているといきなり額を撃ち抜く。撃たれた者が、後ろへではなく前へ倒れてくる顎を、銃を持っていない左手で受け止めて、テーブルへ静かに下ろす。この一連の動作が、呆気にとられている一瞬で描かれる。
 かような演出の妙に、脚本がまたうまいこと。次から次へと緊迫感のある展開になる構成もすばらしいが、途中の会話の味わい深さも格別なのだ。
 殺し屋のトム・クルーズのシンプルな行動原理を支える自己認識が、主人公の運転手の市民感覚とぶつかって、どう動かされているのだろうと推し量って観ているのだが、どうにもわからない。だが、まるで影響しないだろうと思われては興味が失われるから、何か響くものがあるんじゃないかと期待はしてしまう。といって彼は殺し屋の使命を全うすることをやめはしない。
 タクシー内部のドラマから、ロサンジェルスのビル街まで大きく移動する物語展開、主人公二人にターゲット、依頼主の麻薬密売組織や市警、FBIをからめた人間ドラマの展開、実に完成度の高い映画だった。

p.s
 この映画を見て間もなく、ライムスターの宇多丸のラジオ番組でトム・クルーズ映画の人気投票をやる企画があって、さて『コラテラル』はどのあたりかと思ってランキングを遡る発表を聴きながらも、よもやベスト10に入ることはないだろうと思っていた。トム・クルーズといえばそうそうたる有名作が目白押しだ。今回初めて知ったこの映画が、順位の上の方で登場するという期待はしていなかった。だが結果は、なんとまさかの第一位。発表直後に宇多丸が「読めねー」と叫んだのは、やはりこの順位の意外さを物語っていたのだろうが、個人的にも、意図せざる映画視聴とラジオ番組のタイミングの偶然の近接に何やら不思議な気がしたのだった。

2017年7月2日日曜日

蝙蝠

 夜中に目が覚めた時に、ふと、掛け布団の上の黒い塊に目を停めて、その正体の思い至らなさに手を伸ばすと、蝙蝠の子供(たぶん)なのだった。以前、部屋に入ってきて飛び回ったことがここ20年のうちに一度あったが、蝙蝠が部屋の中に入ってくるのは二度目だ。どこから入ったものか。
 それだけ。

2017年5月21日日曜日

『ある日どこかで』 -ロマンチックなタイムトラベルものだが

 根強い人気があると聞いていたタイムトラベルもの。
 なるほど良い場面はある。1910年頃の光溢れる昼下がりの海辺はクラシカルな美しさで1980年の映画とも思えない。あるいは人物が画面の右側に不自然に寄っているなあと思っていると、画面の左側の空間に入っている人影が物語にからんでくるあたりは、一応映画の文法、効果を心得てる感じではある。音楽もたっぷりロマンチックで美しい。あるいは、少々の伏線回収もされていて、ああ、とも。
 だが全体としては感心するのは難しい。
 まず、自己催眠によってタイムリープするという設定は、斬新と言うには無理がありすぎてついていけなかった。あっさり成功するわけではなく、いちおうの苦労はしているが、それも頑張って自己暗示をしているわりには、成功するとあっさりと1910年に存在してしまう。そもそもやるのなら、最初のところで、もうちょっと行きつ戻りつの試行錯誤があれば、過去に行くことの不安定さが表現されて、そのサスペンスが、ポケットに入っていたコインによって現在に引き戻されてしまうという展開につながるはずなのに。
 そして、エンディングのアンハッピーエンドも許し難い。これは好みの問題ではある。あの筋立てならば、喪失感を伴った現実への復帰でなければならないはずだ。
 何より、「運命の出会い」に入り込めない。いきなり二人とものめり込みすぎだろ。肖像写真を見ただけの女優に惹かれて、現在を捨てて過去にタイムリープしてしまうには(確かにいささか、現在に倦んでいる様子は描かれるにせよ)、唐突すぎてノれない。相手の女優も、最初こそためらっているが、あれよとその気になって、どうにも「運命の人」という以上の理由付けはないのだった。
 折しもテレビドラマの「ボク、運命の人です。」を見ているところなのだが、これは、神様に「運命の相手だ」と言われて出会う男女が、運命の計らいやら本人たちの努力やらで少しずつ距離を縮めていく話だ。距離の縮め方にはこれくらいのなじませ方が必要なのだ。
 あるいは映画という長さならば『ローマの休日』はさすがにゆるぎなき名作だった。あれは「運命の人」というのとは違うが、1日という長さで惹かれ合っていく男女が充分に感情移入可能な必然性で描かれていた。もちろんそれはあの「休日」という特殊性にもよるのだが、それにしてもあの「喪失感を伴った現実への復帰」は見事だった。
 本作がなぜそれを目指さずに、いたずらな悲劇でありながら、幻想の中でハッピーエンドにするなどと二重に許し難い結末にするのか、全く理解できない。

2017年5月14日日曜日

『アフター・アース』 -作られる必然性がわからない

 M・ナイト・シャマランは『シックス・センス』以外は駄作だという意見が大方のところだが、個人的には『ハプニング』は、結末の不全感はどうにもならないが過程のサスペンスは大いに結構だった。さて、大作SF映画はどうか。
 いやはや、どうにもならない。
 宇宙船の事故で、かつての「地球」に不時着したウィル・スミス演ずる「将軍」の息子が、救援を呼ぶために、落下した宇宙船の残骸までの100キロを4日間で走破する話。怪我で動けないウィル・スミスは、息子の旅を無線通信で見守る。
 偉大な父からの独立がテーマであることは明らかだ。しかも対地球人の生物兵器に対抗するためには「恐怖」を克服する必要があるという設定がされていて、結末は息子がこれに成功して怪物を倒すのだが、この恐怖の克服がすなわち父からの独立にもなっているのである。
 一応、テーマ的なねらいはわかる。だがどうにもならない。
 危険な道行きは、そもそも困難でなければ面白くないのだが、一方で成功すればご都合主義に見えてしまう。そして見事にご都合主義で、まるで緊迫感が感じられない。こういう、異世界とか異星物とかは、どうにもその塩梅が難しい。成功するはずがないほどの危険があってもいいはずだ。それがなぜに、あのように「丁度いい」危険なのか。最初から地球でいいではないか。日本列島横断くらいでいいではないか。

 また、主人公の息子は父へのコンプレックス全開で、とても愚かしく見苦しい。こういうキャラクターは「エヴァンゲリオン」でもうんざりなのだ。「ガンダム」のアムロは愚かではなかったから不愉快ではなかったのだが。
 主人公の成長も、結局何が要因だったのかわからずに成されてしまって、やっぱり予定調和。
 そして何より、CGで異世界を作って出来の悪い映画はほんとうにやめた方がいい。そんな必要のない小規模な映画を作ろうよ、シャマラン。

2017年5月7日日曜日

『天国と地獄』 -犯罪捜査の過程は丸

 新幹線での身代金受け渡し場面が名高い、黒澤明作品。
 丘の上の豪邸に住む製靴会社重役の息子が誘拐され、身代金の請求の電話が犯人からかかってくる。設定を知っているという以上に、見覚えがある。観たことがあるのだろうかと考えるが、結末が思い浮かばない。
 調べてみると数年前にテレビドラマになったものを観ているのだった。鶴橋康夫演出だというのに、特に印象もない。
 さてその後、運転手の息子が間違って誘拐されたのだとわかるが、かまわず身代金が請求され、見殺しにするわけにもいかない重役は支払いに応ずる。
 重役を演ずるのは黒澤映画おなじみの三船敏郎。そういうわけですっかり立派な人という扱いになっているが、あそこは運転手が銀行から借りるというのが筋なのだから、一時的に雇い主である製菓会社重役がお金を出すにせよ、重役の手元にお金が戻らないということにはならないはずなのだが。そこに人間ドラマを設定するのは無理があると感じた。
 有名な新幹線での身代金受け渡し場面は映画の前半部で、これも特筆するほど面白いと感ずる展開でもなかった。
 題名の『天国と地獄』というのは丘の上の重役邸と犯人の住む下町の対比の比喩なのだが、そこに何かドロドロした人間ドラマが描かれているかというとそんなこともない。ラストの犯人の山崎努の演技はやはりそれなりに見応えはあったが、いかんせん、映画全体がそのドラマを支えるような細部を持っていない。 
 だが、誘拐と身代金奪取は成功してしまって、さてそこから後半部は警察の捜査の過程に重点が移って、じわじわと面白くなる。そういえば原作はエド・マクベインの「87分署シリーズ」の一編で、つまり警察の捜査チームの群像劇だ。捜査の過程も犯人の追跡も麻薬街の造形も見応えがあった。
 それでもイギリス、グラナダテレビの『第一容疑者』シリーズや横山秀夫原作の警察物に比べると大分食い足りないのだが、これも時代のせいか?

2017年4月9日日曜日

『パーフェックト・ストレンジャー』 -面白さの想定が空振りしている

 ハル・ベリーとブルース・ウィリス主演のクライム・サスペンス。ひどいことにはなるまいと思って見続けていると、どうも面白くない。確かに「ひどく」はないのだが。
 ハル・ベリー演ずる女性記者が、友人の殺人事件を追って、ブルース・ウィリス演ずるIT企業の社長に迫るのだが、いよいよ社長の逮捕から裁判と流れる展開のあっさりさにとまどっていると、そのあとにどんでん返しの真実が明らかになる。
 なるほど「どんでん返し」ね。
 これが「面白いはず」と想定されていることはわかる。だがこの面白さの想定は空振りしていると思わざるをえない。そこまでの真実究明の過程にひねりもサスペンスもなく、ひっくり返されても特に感慨がないのだ。単に、そういうことをしたい映画だったの!? とびっくりしただけだった。
 ジョヴァンニ・リビシ演ずる主人公の同僚は、主人公に対する愛情が報われない、変質的で切ないキャラクターといい、演技といい絶品だったが。

2017年4月8日土曜日

『ヨコハマ買い出し紀行』

 連載開始が1994年というからもう四半世紀近くなるのだ。連載終了後にしてももう10年以上前になる。

お祭りのようだった世の中が
ゆっくりとおちついてきた
あのころのこと
のちに夕凪の時代と呼ばれる
てろてろの時間
つかの間のひとときをご案内しましょう
夜が来る前に
まだあったかいコンクリートにすわって

 地球温暖化によって海面があがり、海岸線は徐々に日本列島を浸食して、現在の横浜は水没していたりする(連載開始時、やがてはそうなると信じられていたのだ)。未来の神奈川県を舞台にした、ロボットの「アルファ」が営むカフェに集う人々の物語。
 物語は実に「てろてろ」としている。ほとんど連載の一回ごとにエピソードは分かれているから、面白いと思って最初の方を買っていたが、先を読み進めることを急がされずに、そのうち単行本も古本屋の100円コーナーで見つければいいやと思って「てろてろ」と放置していた。
 十数年をかけて最近最終刊が見つかって全巻揃いとなったところで、頭から通読してみた。
 デビュー作だから、最初の方とは絵柄がずいぶん違っていたなあ、とか、かろうじて覚えているエピソードがあったりもする。どれもちょっと良い感じだが、強力に物語を推し進める力はない。
 だが、12年間の連載を、さらに連載から10年以上の時が経って読むというこのシチュエーションがなかなか良かったりする。
 「あのころ」と語られるのは、未来の物語のさらに先までアルファが生きていて、その時点から語っていることを示している。そこでは登場人物の「人間」たちはもう誰もいないに違いない。今回通読してみると、物語中でも、おそらく20年以上の時間が経っているのだ。その間、子どもは大人になり、海岸の浸食は続く。
 だがその年月を振り返って一望し、さらに続く人類の黄昏を愛おしむような視線が、こんなふうにこの物語を読むのにふさわしいような気もする。なんだが切ないのと暖かいのとがまざったまま最後まで、ようやく読み終えたのだった。