2024年6月11日火曜日

『ザリガニの鳴くところ』-湿地

 とにかく湿地の風景が珍しくも美しかった。

 人間ドラマとしてももちろん観られたのだが、ミステリーとしては中途半端。というか、そこでそれくらいのどんでん返しをすることが、この映画全体の味わいにどう影響を与えるともつかない感じではあった。


2024年6月10日月曜日

『ザ・ファブル』『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』-アクション

 今シーズンのアニメが妙に面白くて、実写版を見ようという気になって、見始めると、あまりアニメのストーリーとは一致していない。まあ設定は同じだから、いろいろ省略もあるんだろうと見続けているうち半分以上過ぎてもアニメのストーリーが出てこないんで調べてみると続編だった。中断して、まず一作目を観て、さらに二作目の続きを観て、併映を一度に、という昔の映画館のようなことになった。とはいえどちらも2時間以上ある。

 主人公の無敵感が「俺つええ」系の快感なのだろうか。さらにヤクザたちの強面がその対比として登場しているから、主人公の強さが一層の快感になる、わかりやすい構造ではある。

 とはいえ、二作どちらも、邦画としては突出したアクションの質の高さが際立っていた。一作目は廃棄物処理場を舞台にした長い長い戦闘シーン、二作目では冒頭の立体駐車場のカーアクションがもうすごいのだが、さらに後半の改装工事中のマンションでの、足場を活かしたアクションは、動きが立体的に構築されていて目くるめくような展開だった。そうしたアクションをイメージすることも撮影のための計画を立てることも、俳優たちがそれを実演することも、どれほどの能力と準備が必要だろうと思うと、感嘆しつつ感動したのだった。

 それにしても、そうしたアクションの魅力があるわけではないアニメが妙に面白いのはなぜかという謎は深まる。


2024年6月8日土曜日

『蜜蜂と遠雷』-音楽を描く

 原作が面白いであろう事は想像に難くないが未読なので、映画単体で。

 音楽コンクールを描くということの手間はいかばかりかと思いやられる。オーケストラを用意し、その演奏の映像を様々な角度から切り取り、演奏自体と俳優による吹き替えを合わせ、編集する。そしてできあがった音楽映画は映画なのか。音楽会、コンサートのライブ映像ではいけないのか?

 格闘技も、単にプレーだけを見たいわけではなく、戦う者たちの背景が見えないと充分に感動的ではあり得ない。それぞれの負けたくない思いに感情移入したときに、格闘技の観戦は見る者の感情を揺さぶる。

 『セッション』も『コーダ』も、単に音楽のコンサート映像を見ているわけではない。そこにドラマを見ているから感動的でもあり得る。本作はどうなのか。

 クラシックというジャンルにおけるコンクールは、単に売れる売れないという形で表れる評価とは別に、審査員に選ばれることによる不全感が拭いがたくつきまとい、さまざまな思惑が絡み合うドラマを生む。競争心と嫉妬、そして正直な賞賛。

 コンクールで競い合う者たちの友情も美しいし、丁寧に細部を描いた上で豊富なインサートでイメージを複雑にする映画作りも達者だった。

 それでも充分に面白い映画だったかといえばそうでもない。音楽における「天才」の描き方に疑問が残った。無垢なる天才というステロタイプ。どうなんだろ、小説ではここに十分な深みが描かれるのか。

 音楽を描く小説という不可能性もある一方で、単なる音楽会を撮影した映像を超える音楽映画という困難。

2024年5月1日水曜日

『コーダ あいのうた』-予想内

 主演のエミリア・ジョーンズは『ゴーストランドの惨劇』の子役でがんばっていた子だなあと思っていたら、本作はアカデミー賞で作品賞を獲ってしまった。

 アカデミー賞前後であれこれ情報が入っているので、設定やらストーリーやらはわかっている。で、見てみるとほとんどそのままなのだった。両親と兄が聾者の家庭で一人健常者のヒロインが、音楽の道を目指して家を出る、という話。事前の作品情報でいくらか薄かったのは、ヒロインの才能を見出す音楽の先生のキャラクター及びレッスンの様子くらい。

 そして、もちろん良い映画だったのだが、何かすごいものを観たという感じにならないのはこの間の『ビューティフルマインド』に続いて、だった。ストーリーから予想される葛藤やら家族の愛情やらは無論上手く描かれている。助演男優賞を獲った、本当に聾者である父親の演技は、キャラクター造形もふくめて実にうまかった。

 だが、それ以上に動揺のような感動は訪れなかった。予想の範囲内に収まってしまったのだった。感動作というふれこみに期待値が上がり過ぎたせいかもしれない。

 それでも大きく心が動いた場面は二つ。一つ目は予想外に。二つ目は予想通り。

 一つ目は物語の大きな筋立ての一つである音楽の授業の受講者によるコンサートで、練習してきた曲をヒロインとヒーローが歌う場面。途中から音を消したのだった。音を消すことによって、そこにいる聾者の家族の立場に観客を置く。音楽を聴けないことの喪失感と、その分、周囲の人がその音楽をどう受け止めているかの観察と想像に頭が使わされる。それはそれで物語的な感動があって新鮮だった。

 二つ目は、最後のオーディションでヒロインが歌いながら、途中から家族に向けて手話で歌詞を翻訳する場面。これはまあ、この設定、筋立てからすれば当然そうだろうという展開で、それが至極真っ当に感動的だったのだった。

 エミリア・ジョーンズの演技も歌も見事な映画だった。


2024年第1クール(1-3)のアニメ

『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』

 題名から明らかなように、あまりにあからさまなライトノベル-ゲーム的世界観で、そうしたガジェットがこれでもかと連発される。そういう意味では『陰の実力者になりたくて!』などとも似た設定で、逆にこれは意図的にそれをパロっているのかとも思ったが、セリフも展開もあまりにチープで、そうした世界観、世界の論理への距離感は感じられない。まったく、どっぷりとそういう中二的世界で論理が完結しているように見えるところが、逆にすごいなあと思いながら見た。


『悪役令嬢レベル99~私は裏ボスですが魔王ではありません~』

 転生物でアニメの水準の低さの割に見てしまったのは前クールの『ポーション頼みで生き延びます!』に続いて、主人公がキャピキャピしていないのが心地良かったからだ。いささかチートではあるが天然で、めったに笑わない主人公が可愛いとも言える。まともに展開に期待していない分、溜めずに見てしまった。


『ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する』

 転生物で王女ものといえば『ティアムーン帝国物語』だが、あっちのばかばかしい展開と違って、こちらはきわめて真面目に理知的にやり直しを試みている。題名にある「気ままな」など、まったくの戯れで、実に真面目なお話だ。いくつかの場面では、論理の積み重ねと抑制された微妙な感情の表現が実現している会話劇のレベルに舌を巻いた。


『俺だけレベルアップな件』

 最初のうちは作画のレベルと、思いがけずシリアスな展開に釣られて観ていた。成り上がりの楽しさもある。とはいえ作画のレベルが落ちなかったので最後まで見たが、1クールまるまるもたせるにはいささかマンネリではあった。


『魔女と野獣』

 マンガの方は単行本で1巻だけ読んでいて、えらく絵が上手いマンガだと思っていた。アニメの方も総じて作画も美術も頑張っていて、雰囲気は悪くない。とはいえ、このクールではまだまだ物語の片鱗が見えたくらい。


『ダンジョン飯』

 娘と見ているせいで溜めない。アニメのレベルは極めて高く安定している。

 そのまま2クール目に突入する。


『葬送のフリーレン』

 冒頭の4回分だけスペシャル版の放送だったのを観たが、その後は録り溜めたまま。年を越えて2クール放送みたい。


『異修羅』

 手のかかったアニメだった。さまざまな修羅が戦う、というコンセプトなのだが人間やらワイバーンやらマンドレークやら天使やらが同じ土俵でトーナメントをやるらしい。人間とはいえ「世界詞」とかいう、何でも話したとおりにすることのできる能力までいて、強さのインフレもどれまでいくのやら。

 既に予選のような展開で、これでも相当なキャラクターが死んでいるのに、まだ16人トーナメントの4人が出そろっただけ。1クールで。

 もう次シリーズが制作中とか。


『メタリック・ルージュ』

 最初からやけにアニメの質が高いぞ、と注目した。出渕裕が監修もしている。世界観も複雑で確かだ。

 だが面白くて先を楽しみにするということにならずに、すっかり溜めてしまって、半ば義務のように見終えた。

 「ネオン」と呼ばれる人造人間が労働力として使役される未来の話。だが、相変わらず、そういう存在があまりに「人間」過ぎる。搾取される疑似人類という設定は見慣れていてまるで新味がない。何かの面白さが生み出されているかといえば残念ながらそんなことはない。

2024年4月17日水曜日

『すずめの戸締まり』-「なかったこと」

 ロードムービー的なストーリー展開は『天気の子』よりよほど、見ている最中には楽しかった。一方で『天気の子』の、ほとんど唯一の魅力であるところの、後半にいくにしたがって高まる不穏な空気感は薄れた。本作の「みみず」には、あれほどの不穏な空気はない。『もののけ姫』の祟り神を連想させる(というかパクリと言っていい)描写だが、あれほどにはおどろおどろしくはない。なんというか、なんでもない、という感じ。大きな被害をもたらす、と説明されてはいるが、どうせ主人公たちはそれを食い止めるんだろうと高をくくっているから、それほど切迫感はない。

 そしてそれを食い止める手段は、「勇気を出して」戸の前まで行き、肉体的な力で「頑張って」戸締まりをしているだけのように見える。大災害を食い止めるのに、押しくらまんじゅうのような肉体的行為と歯を食いしばるがごとき頑張りがあるばかり。

 といって「死ぬのが怖くないのか」と問いかけられたヒロインが、なぜ「怖くない」のかわからない。震災を体験したというのがヒロインのキャラクターのバックボーンらしいが、それがこれほどの特異性を生んでいるという理屈がなんなのか、よくわからない。

 いくつもわからないことがあるが、最も大きな疑問はヒーローが、物語の初期段階で木の椅子に封じられてしまい、それ以降は映画の大半を動く椅子として行動することに、どんな面白さが想定されているか、ちっともわからないことだ。それでいて、ヒロインの動機の最大のものはヒーローに対する恋愛感情であるように描かれている。どこでどうしてそんな絆ができるような物語的な厚みがあったのかわからない。

 「イケメン」は命をかけるほどの動機をヒロインに抱かせるか?

 そうだとしても、それならなぜ大半は木の椅子にしてしまうのか?


 そもそも基本設定にも納得するような必然性がない。「みみず」は天災(を引き起こすもの)のメタファーだ。では要石は? 閉じ師は? 天災の発生を防ごうとしている要石が、人知れず天災の元凶たる「みみず」と戦っているという設定は、人間には何の意味ももたないし、閉じ師なる存在もまた同様。人間にとって天災は天災なのだから、それを防ぐことに人間が「努力」することはできない。人間にできることは、その被害を軽減したり復興に努めたりすることだけだ。要石や閉じ師が人知れず天災を阻止しようとしているのだとしても、それは人間には関係ない。結果的に阻止できたとしても、人間にとってそれは全く文字通り「なかったこと」でしかなく、そこには何のありがたみもないし、阻止できなかったとすればそれは、単なる「天災」なのだから、そこに秘められた戦いがあったかどうかは全く無意味だ。

 とすれば、これは一体どんな戦いなのか?

 例えば西洋ならばこういう戦いはすぐに神と悪魔の戦いということになるのだろうが、あれにはあれで共感できない。といって、本作の戦いがなぜ設定される必要があるのかはわからない。起こってしまった天災を「みみず」のせいだと考えたり、要石や閉じ師の敗北か怠慢だと考えることに何の意味があるのか全くわからないし、天災が起こっていないことを同様に要石や閉じ師の献身のおかげだと考えることにも何の意味もあるとは思えない(西洋的な構図では神に感謝でもすればいいのだろうが)。

 ということで、基本的な設定に乗れない上に、展開上も腑に落ちないことばかり。

 それでも現実にヒットしているし。

 詰めかけた観客は一体何を面白がったのか。


2024年4月1日月曜日

『高速を降りたら』『ケの日のケケケ』『ある日、下北沢で』『島根マルチバース伝』

 年度末に放送された単発ドラマをまとめて録って次々と見た。

 どれも、それぞれに物語を作ろうとする脚本家の心意気があって、見始めてうんざりして止めるというようことはなかったが、どれも手放しで絶賛、残しておきたいと思えるようなものはなかった。が、こういうふうに物語を享受するのは精神の必須栄養素だという気もする。

 『高速を降りたら』は高速道路で東京から新潟に向かう車中の3人の男の会話劇。「男らしく」いたいと思いつつも情けない現実にどう折り合うか。3組の夫婦のそれぞれの事情が少しずつ語られていく。

 『ケの日のケケケ』はNHK創作テレビドラマ大賞作品の映像化(『高速を』の作者も以前の同賞の佳作受賞者だとか)。「不機嫌なモンスターにならないためには」というモノローグで始まるところにどきりとして、映像は実に映画的で美しい。感心して見ていたがどうも物語の感動が不足している。何だろう。感覚過敏の主人公という設定が斬新だともいえるが、「不機嫌」の原因がそうした、どうにもならない身体的な条件で、人物を巡る葛藤は思いのほか少ないのが致命的。唯一出てくる理解してくれない教師は類型的で無理があると思える。何か惜しい。あれだけの映像作品なのに。

 『ある日、下北沢で』は土岐麻子や曽我部恵一や西寺郷太が実名で出てきて、音楽も西寺というサブカル的内輪感に好感が持てないこともないが、いかんせん、物語は弱い。

 『島根マルチバース伝』は並行世界を体験できる装置で、いろんな可能性の世界を体験して、結局この現実で生きていくしかないという結論になる物語。「地方発ドラマ」という趣旨のシリーズとして「島根」という地方をフューチャーしているのだが、「この世界」と「この地方」が重なっているわけだ。