2021年8月8日日曜日

『スカイ・クロラ』-狙い通りの退屈

 神山健治の一方で、押井守に対するケジメの一つがこれ。公開から13年経つ懸案(だがまだ『イノセント』が残っている)。

 世評からするに、面白くなる期待はできない。

 だが少なくともアニメーションは悪くないだろうと思って観てみると、なるほどいい。そこはこだわりなんだろうから当然とも言えるが、戦闘機の空中戦のスピード感やカメラワークはもう今更という感じだが、それが海に堕ちるときに一緒にカメラも一瞬水面下に沈むカットなどは息をのんだ。


 とはいえ、やはり面白くはない。

 静かで動きのない物語やら芝居やらは、それ自体に面白くない原因を見出そうとしても、そうした批判はあまりに当然すぎて押井守には通じないだろう。

 退屈ささえ、この物語の狙い通りなのだから。

『積むさおり』-象徴としての耳

 とりあえず短いホラーを観たいと検索すると、『本当にあった怖い話』シリーズが出てくる。なるほど確かに短編だ。比較的評価の高いものを2本ほど観てみるが、まあ予想の範囲内。で、それよりもうちょっと評価が高くて、ちょっと長いが、なんだかよくわからない本作を観始める。

 これは良くできていた。『本当にあった怖い話』やら『新耳袋』あたりの、怪奇現象が起こるたぐいのホラーではなく、いわば心理サスペンスだが、監督がホラー映画に関わりのある人だというので検索に上がったのだろう。

 話は単純で、中年の再婚夫婦の、主人公である妻に「積」もっていく微妙な不満が、幻想の中で爆発する、というだけ。結局は、実際に夫を惨殺して…といったホラー展開にはならない。

 特に悪気があるわけでもない夫の無神経なふるまいが、これはそういうことか? と思っていると、そうなのだ。その微妙な描写の積み重ねが巧みなのと、主演の黒沢あすかの演技が圧倒的なのがまず高評価なのだが、それだけではない独特の仕掛けもある。音である。

 不満の累積が耳鳴りというか、難聴のような症状として表れてくるのだが、同時に、不快な音だけは強調して聞こえてくる(これはテレビでは観られないと、パソコン再生でヘッドホンをして視聴した)。

 と同時に、散歩の途中で見つけた、公演の一隅にある枯れ木の隙間が、なにやら象徴的な心の暗闇にように感じられ、それが最終的に耳の比喩として描かれる。そこに巨大な「耳かき」を入れて、様々な「不満」を掻き出すのだが、その巨大な「耳かき」が、人体を模している奇妙な造型なのが印象的だった。

 この奇妙なオブジェがどのように発想され、かつそれがなんでこんなによくできているのかと思って調べると、そもそも監督は特殊メイクの専門家なのだった。その専門性を活かして、かつ繊細な演出を積み重ねた心理サスペンスとしての佳品だった。監督自身の脚本でもあり、主演女優が実生活の妻でもあるところに好感度も増す。

 結局日常に戻っていく結末を、ハッピー・エンドだと捉えて良いのやら。

 怖い。

2021年8月7日土曜日

『ヴェノム』-軽い

 こういうのは気楽だから録画してすぐ溜めずに観てしまえる。

 始まってすぐの宇宙船墜落現場の空撮がなかなかによくできていたりして、映画を観ている愉しみを感じられたりする。

 だが肝心のヴェノムのCGは、まだ実写部分と違和感なく動かせているかというとそんなことはなく、すごい技術進歩だなあと思っていた20年くらい前から変わらない。部分の細かさや質感は増したが、全身の動きが自然な生物らしく見えないと、力強さもスピード感も空々しくなってしまうのだ。

 だから冒頭の空撮にせよ、途中のカーチェイスにせよ、すごいのは実写部分だった。その後の敵数十人との戦闘や、ラストの敵異星人との戦いなどは、もうどうでもいいという感じだった。

 一方でこれは異星人に乗り移られるけど共生の方法を探るバディものでもある。となれば『寄生獣』だ。確かにデザイン的にも連想されるところが随分あるから、比べたくなるのも人情。

 で、比べてどうだというのも、真面目に語るにはばかばかしい。『寄生獣』のような真面目な考察がされているわけもない。ヴェノムの行動原理が浅くしか感じられない。生き延びようとして主人公に味方するのはわかるが、異星人としてはうだつが上がらないのが、地球で生きていく方がいいのだとラスボスを倒すことにしたのだという理由付けは無理矢理。ラスボスが異星人を「何百万」も連れてくるという計画も、まったく実現の方法が視聴者にわからない。それでどんな危機感を抱けば良いのか。

 あちこちの軽いやりとりがそこそこ楽しかったり、アクションが爽快だったりする部分もあったが、全体には軽く観るしかない。

2021年8月5日木曜日

『ブラッド・パンチ』-低予算の良品ホラー・コメディ

 「タイムループの呪い」という邦題が信じ難いほどダサいのだが、観てみると本当に「呪い」というような設定なのだった。

 ループが完全な復元ならば、誰もそれを覚えていないのだから、そもそもループしていると言うこと自体が無意味になる。ループ、と言った瞬間に、それを外部から観察する、記憶をとどめておく者の存在が必要なのだ。

 それが「ハルヒ」の「エンドレス・エイト」における長門であり、「ひぐらしのなく頃に」の梨花であり、「リセット」における浅井ケイだ。そして、全てのループ物における観客だ。

 ところが珍しいタイプの作品もあって、記憶以外にも、何か物理的な変化が伴っていて、それが記憶とともに蓄積されていくことがある。

 本作では劇中の殺人によって生じた死体が、ループの中で消えずに蓄積していく。

 これは『トライアングル』ではないか!

 『トライアングル』同様、本作でもこれがどういう仕組みなのかがわからない。何せ「呪い」だ。合理的な説明はないのだ。ただ、ループ物の悲劇を映像として見せることで観客に与える衝撃を目的としていた『トライアングル』に比べ、本作ではこの設定による物語的な面白みをあれこれと追究している。それはホラーと言うよりコメディだ。この感触は『ハッピー・デス・デイ』だ。

 そう、ホラーはルールが肝心だ。設定はどうであれ、一旦その設定をしたあとで、そのルールの中でどれほど遊べるかが勝負だ。

 その点、本作は低予算の制約の中で誠実な工夫を凝らしていた。

 良品。

2021年7月23日金曜日

『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY』-最高に高品質

 神山健治作品を続けて。

 昔テレビで放送されているのを断片的に見たはずだがなんだかまるで話が把握できなかった。前のテレビシリーズとの関係もわかってなかったし、そもそも話はきわめて複雑だったのだ。

 警察組織を舞台にしているのだから当然犯罪が起こらねばならず、捜査の過程で大掛かりなアクションも描かれる。緊迫感は高く、ダイナミックだ。

 だが事件の全貌は容易には明らかにならない。現在の日本の延長としての未来の日本がかかえる社会問題として、目につくたけでも、難民受け入れ、テロリズム、老人福祉、児童虐待といった諸問題が事件の背後に見え隠れして、そこに本作の主要テーマである電脳化の問題がからむ。

 対立は、例によって充分な正当性が双方にないと興醒めになってしまうのだが、その点は充分。日本の抱える問題に対して解決を図るべく、部分的な人権侵害や法を逸脱する方策をとることに対する信念と、それを取り締まるべき警察組織の対立。

 その中で起こる人間ドラマの重厚さ。

 とりわけ、登場人物の一人が、自分の娘のために命を投げ出す決意をする場面の緊迫感は実に緻密に演出されていて、感動的だった。

 その上で、この事件そのものが単なる政治的信念の問題ではなく、『攻殻機動隊』全体に通ずる電脳ネットワークにおけるゴーストの存在に拠るらしい真実が垣間見える結末まで、恐ろしく高品質な物語が紡がれていた。

 『ULTRAMAN』による神山健治評価の凋落を一気に挽回する最高級の作品。


2021年7月18日日曜日

『009 RE:CYBORG』-郷愁に浸ることなく

 神山健治作品くらいちゃんと追ってもよさそうなもんなのに、本作でさえ13年も放っておいた。『ひるね姫』も見ていない。もうすぐ閉店するというゲオの棚に見つけてようやく。

 とはいえ『攻殻機動隊SAC』から『東のエデン』まではともかく、『精霊の守人』が残念だったのと、『ULTRAMAN』に心底がっかりしたから、同じCGアニメの本作はどうか。

 「ウルトラマン」を現代版にする、という発想は最近の「シン・ゴジラ」から、この後の「シン・ウルトラマン」「シン・仮面ライダー」まで共通している。世代的に、子供の頃に洗礼を受けた世代が作り手になっているということなのだろう。

 そこで作られるものとしては、庵野秀明の方は着実に仕事をしているというのに、アニメ版『ULTRAMAN』がなぜあれほどひどいことになってしまったのかは、まったくもって謎だった。これが『攻殻機動隊SAC』と同一人物の手になるものだと信じられないというほど。

 さて『009』の方はどうか。


 結論としては『ULTRAMAN』のようにひどくはなかった。が、『攻殻機動隊SAC』ほどのレベルでもなかった。

 もともとの原作『009』が今やどう見ても子供向けでしかないのは明らかだ。その制約があるのだろうか?

 それに比べて『攻殻機動隊』はもともとの視聴者対象を、あたう限り高く設定しても良い。それがあの高品質を保証しているのかもしれない。

 とはいえ、『009』が対象としているかつての子供は今や高齢者だ。だから原作に合わせて子供向けアニメを作るべきなのか、大人の鑑賞に堪えるものすべきかが定まらない。単なる郷愁として見ることを想定するのだというなら、いたずらに高度なSFにしてしまうのはふさわしくない、という判断もあるかもしれない。

 そもそも主人公たちの年齢も、どう設定すべきか。原作通りにするなら、ヒロインが60台になるのだそうだが、それでいいのかという問題がある(で、結局やめて、そこそこ成熟した女性にしてしまって、なんだか清純なヒロインの面影を求めてしまう旧作視聴者には不満もあろう、という感じ)。

 だが、とりわけ原作に思い入れのあるわけではない身としては、いたずらに郷愁に浸ることなく、単なるエンターテインメントとして観たい。

 そういう意味では、アニメーションのレベルは高いし、主人公の能力「加速装置」が何を可能にするのか、といった思考実験を比較的真面目に探究しているのは楽しかった。

 

2021年7月9日金曜日

『星を追うこども』-あまりにひどい

  あまりにひどいので何かの間違いか(こちらが必要な情報を受け取ってないからか)と思って、翌日もう一度見直したがやはりそうではない。これは唖然とするほど酷い映画だった。

 唖然としたのは期待との落差のせいだ。新海作品と思わなければこれほど驚きはしない。そしてまたアニメーションの質の高さとの落差がなければ。

 質の高いアニメとはいえ、あの新海誠が何をジブリ擬きをやっているのか、まったく理解できない。ジブリっぽいということなら、米林宏昌作品、宮崎吾朗作品でさえ、これよりはましだと言っていい。「メアリと魔女の花」の最初のあたりにはワクワクさえした。「ゲド戦記」の旅は宮崎駿のイメージだとはいえ、本作のアガルタの旅よりよほどイメージ豊かだった(『アーヤと魔女』のひどさはいい勝負かもしれないが)。


 最初の違和感は序盤で、トトロと祟り神を足して2で割ったような化け物が登場するシーンの演出だった。いかにも恐ろしげな様子で主人公に吠えてみせるが、それでいてなぜ襲ってこないのかわからない。もしかしてこれは主人公からは怖く見えるだけで、化け物自身が怖がっているか戸惑っているということなのかと思って2度目に注意してみると、現れた「ヒーロー」が闘っているから、ちゃんと危険ではあるらしい。

 だが危険を証し立てる攻撃はしない。大きな口を開けて牙を見せて吠える。

 つまり単に虚仮威しなのだ。

 この、あまりに下手な演出に呆れていると、その後は全編がこの調子なのだった。


 面白いものを作るのは難しい。しかしひどいことになることをなぜ止められないのか。

 登場してたちまち主人公の心を奪ってしまう「ヒーロー」が、主人公とどういう関係なのか、何のために地底世界アガルタからやってきたのか、なぜすぐに死んでしまうのか、しかもなぜわざわざ岩の上から逆さまに落ちるのか(そんなことをすれば死体がどれほど悲惨なことになることか!)、といった当然の疑問を、どういうわけで観客に説明しなくていいと思えるのか、全く理解できない。観客はまるでオイテケボリなのだ。

 主人公がアガルタから地上にきた男と地上の女の間に生まれた子供であるという極めて重要な設定も、その気になれば推測は可能かもしれないが、それをさせるような導因が物語に埋め込まれていないから、マンガだか小説だかにあるという情報をネットで見て初めて知るばかり。

 なぜそのことを主人公本人が知ることの感慨を観客に味わわせなくてもいいのか。

 この構図は先日の『スーパーカブ』炎上問題と同じだ。アニメの観客には「それらしい」雰囲気だけを見せていればいいという判断なのだ。物語の辻褄、必然性がどうなっているのかを知らせる必要はない、と。

 だがそれではどのようにして登場人物の感情に共感して、物語の起伏に同調して、心を動かせば良いのか。


 アガルタがモンゴルのようなパタゴニアのような風景なのも、きれいなのはいいが、腑には落ちない。青空に白い雲を浮かばせてどうする。地底の異世界というなら「逆さまのパテマ」のようにクラクラくる世界観を見せるでもなし。

 世界設定といい物語の展開といい登場人物の行動原理といい、とにかく全編ツッコミどころしかない。


 そして悲しいことに主人公の女の子の不自然な幼さと序盤の「ヒーロー」の異様に優しい口調は、かなり気持ち悪かった。いずれも声優のせいではなく、演出のせいだ。

 物語がひどいと、そこに生きる人物までこのようにしか描かれない。

 本当に悲しいことだ。