2017年2月14日火曜日

「博士の愛した数式」の授業 2 野球中継と涙の意味

 承前

 さて、さらなる考察を誘導するため、生徒に、考える材料を提供する。
 注目させたいのは、この後2ページにわたって描写されるルートと「私」のやりとりに、随時挿入されるラジオの野球中継である。
 実はここまでの問答の途中で、この野球中継の挿入がうるさい、という印象を述べた生徒がいた。こうした感想が授業という場に提出されるのは有益なことである。こうした違和感こそ、考察を展開する糸口になるからである。
 この野球中継はルートと「私」の会話の無意味な背景ではない。どうみても意図的な挿入である。といって「不機嫌の原因がタイガースでないのは明らかだった。」「ルートの耳には何も届いていなかった。」とあるから、この野球中継が直接、ルートや「私」の心情に影響しているというわけではない。むしろこれが意味するものは、読者に向けて物語の方向性を指示することである。
 もちろん、じっくり読まないと生徒にはそれがどのような方向であるかを把握することが難しい。まず野球の試合がどのような状況であるかを把握するのが難しい。「亀山」「桑田」がどちらのチームの選手であるか、ルートがそれらのチームに対してどのような立場であるか確認する。
 「私」は不機嫌なルートの態度に「タイガース、負けてるの?」と問う。ここからは、ルートがタイガースに肩入れしていることを確認する。
 続いて試合の状況である。この場面の序盤で、ゲームは九回表、巨人とタイガースは同点である。ルートは不機嫌の理由を聞かれて、答えることなく怪我をした手を机に打ち付ける自傷的なふるまいをする。中盤でタイガースの「亀山」がバッターとなる。「亀山」が「桑田の球威に押され……二打席連続三振を喫しています…」という状況を伝えるアナウンスが挿入されたあと、ルートは「声も漏らさず、体も震わせず」「涙だけをこぼしていた」。タイガースは「負けてる」わけではないが、劣勢である。
 そして、ルートの怒りの訳がルート自身の口から語られた後、それに対する「私」の反応についての説明・描写を一切差し挟まずに、次のようにこの章は終わる。
 亀山が二球目を右中間にはじき返した。和田が一塁から生還し、サヨナラのホームを踏んだ。アナウンサーは絶叫し、歓声はうねりとなって私たち二人を包んだ。
この描写は何を意味しているか。どのような印象を受けるか、と生徒に聞いてみる。
 ここに示されている、タイガース選手の劣勢からのサヨナラ勝ちという展開は、明らかに事態の好転である。つまりこの場面は全体としてハッピーエンドへ向かって決着しているのである。必ずこのことを確認しておく必要がある。つまり、ルートの怒りが母親に向かって爆発することは、肯定されるべきことなのである。

 もうひとつの手掛かりはルートの流す涙について述べた次の一節である。
 けれど今回は、かつて目にしたどの涙とも違っていた。いくら手を差し出しても、私が拭うことのできない場所で、涙は流されていた。
この一節については教科書の「研究」でも「どのようなことか」と問うている。だがこの問いに対する「母親という立場では触れ得ない心の世界を息子が持ったことをはじめて知らされたということ」という指導書の解説ははほとんど同語反復にしかなっておらず、この涙の機制を説明してはいない。
 問題は「私が拭うことのできない場所」という一種の比喩表現が意味しているものをどう捉えるかである。
 生徒には「かつて目にした」「涙」と目の前の「涙」の違いは何か、と聞く。今までの涙は「私が拭うことのでき」る「涙」であり、この時の「涙」は「拭うことのできない場所」で流される「涙」である。では「私が拭うことのできない場所」とはどこか。どこで流される涙ならば「拭うこと」ができるのか、と聞く。それらと今回の涙の違いは何か。
 指導書は、今回の「涙」が「男の涙」と形容されていることに注目している。この点は重要である。だがそれが「息子に突き放されて手の届かない母親の思いを伝えている」と解説されてしまうと、先に確認した、このシークエンスをハッピーエンドとして読むという方向と齟齬が生ずる。
 この涙は、母親との断絶を意味しているのではなく、「男の」が示すとおり、素直にルートの成長を意味していると読むべきである。そのうえで、このシークエンス全体の意味に位置づける必要があるのである。

 問題を整理しよう。考えさせたいのは、このシークエンス全体の意味である。ルートの「怒り」は何を意味しているか、である。だがこうした問い方は、生徒にとってわかりやすい形ではない。したがって、実体に応じて、前段の親和的な雰囲気が「不機嫌」に変化した理由は何か、という問い方になるのは構わない。ルートはなぜ「不機嫌」になり、なぜ苛立ち、なぜ泣くのか。
 つまり最初の問いである。ただしその際、先の諸点を考慮に入れることを必須条件とする。

  1. なぜ「とたん」なのか(態度の急な変化のわけ)。
  2. なぜすぐに理由を言わなかったのか。
  3. ルートの涙が「拭うことのできない場所」で流される「男の涙」であるということ。
  4. このシークエンスがハッピーエンドであること。

 ルートの語る「ママが博士を信用しなかったから」は、充分にルートの怒りを説明していない。なぜ前段から態度が急変したかも、すぐに怒りの理由を母親に言わないかも、充分には説明できない。ルートは「怒り」を押し隠して、表面上、和やかな空気を作っていたのではなく、むしろ前段の三人の間に生まれた親和的な雰囲気こそ、ルートの「怒り」を生んだのではないか。
 といって、博士に対する親愛の情が、博士を信用しなかった母親への怒りに変化したのだ、と言っただけでは、涙の訳がわからない。ルートの涙にただ「突き放され」たと感じたと言っただけでは、ハッピーエンドであるという読み方ができない。
 では一体、このシークエンスはどのような事態を表現しているのか。

 続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿