2017年2月24日金曜日

『モンスターズ/地球外生命体』 -愛しい怪獣映画の佳作

 ギャレス・エドワーズのハリウッド・メジャーの第一作『ゴジラ』はあまり感心しなかったが、その前の低予算デビュー作のこちらはどうも評判がいいので見てみた。怪獣映画なのにロード・ムービーというコンセプトにも惹かれるものを感じたし。
 宇宙から、生命体のサンプルを持ち帰った探査船がメキシコ上空で大破し、地上で生き延びた生命体が増殖するメキシコが「危険地帯」として隔離されている世界。新聞社の社長令嬢をメキシコから連れ帰ることになったカメラマンと令嬢の道行きを辿るというから、本当にロード・ムービーだった。
 「怪獣」などというモノがいるのだとして、それがただちに人類存亡の危機をもたらすほどのものだとしたら、それは大規模予算のパニック映画になってしまうはずだし、それほどのモノではでないとしたら、そんなものはさっさと捕獲するか駆除してしまうはずだから、何年もの間、ある意味では「怪獣」と共生している世界というのは一体どういう事情なのだろうと思って観てみると、なるほど、こういう感じなのかと腑に落ちた。
 要するに、ジャングルに交じって生きている、その大きさから、度はずれて厄介な野生動物ではあるが、それでも生態系にそれなりの位置を占めつつあるという存在になっているのだ。個体数もよくわからず、生態も把握しきれず、かろうじて人的被害を抑えようとはするが、時折被害は出てしまう、という…。
 壁のポスターには、むしろ怪獣よりもそれを攻撃する軍の空爆こそが人々の批判の的になっている世論のあることが示されている。
 つまりはこの「怪獣」はゲリラのようなものなのだ。ベトナム戦争でもイラク戦争でも、アメリカ軍がいくら強大でも、だからといって容易に決着はついたりしないのだ。
 なるほど、そういうあり方も可能なのか。

 もう一つ、現代社会を反映した要素として、メキシコを封鎖するためにアメリカ国境との間には巨大な壁が建設されている、という設定がある。映画が作られた2010年にもそれはすでに不法移民の問題を示唆していたのだろうが、現在、ああいうこと言ってるのがアメリカ大統領になった今では、その設定の符合がアメリカ人にはどう見えているのだろう。
 その巨大な壁をメキシコ側から二人が見る風景を始め、とにかく風景の印象的な道行きだった。
 壁を見るために登ったのは、マヤ文明か何かの遺跡だった。あるいは映画のあちこちに見られる廃墟も、それが怪獣の存在を示すという物語上の意味合いだけでなく、もう風景として美しい。
 映画としては、特に前半、短くて印象的なカットを連続させる編集のリズムがやけにうまくて、「情念」だか何だかを醸し出すべくたっぷりと長回しされる邦画のリズムに比べて、見ているだけでもう快感だなあと思っていた。
 人間ドラマとしては、同行の二人が惹かれ合っていく様子が、どうも吊り橋効果だとは思いつつも感情移入してしまい、それでもままならない関係がなかなかに切なかった。
 そして怪獣映画としては、特に派手なパニック映画、ディザスター映画を求めているわけではないので、いくつかの場面に見られるサスペンスで充分満足できた。 
 というわけで、思いがけず満足度の高い秀作に出会えたのだった。

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