2020年1月20日月曜日

『スマホを落としただけなのに』-成田凌の快演だけは

 軽く観ることができるんで、録画してすぐ。
 たぶん面白い話なのだろうけれど、監督があの『インシテミル』が惨憺たる出来だった中田秀夫だし、と期待はしていなかった。やはりこれも惨憺たる出来だったという意味で、期待通りだった。ツッコミどころが満載で、話題作をこの程度にしか作れないという邦画の現状は本当に残念なことだ。
 ただ、予備知識がなかったので、成田凌の快演にはびっくりした。印象の激変が、見事に演じられている。ここだけが見所だった。
 ネットでも専らそこだけが評価されている。

2020年1月19日日曜日

『幕が上がる』-悪くない青春映画

 とあるサイトで本作が推薦されていたのを読んだのと、ちょうど演劇経験者の娘が帰省していたので、急遽レンタルして。
 ももクロに対する興味は皆無だが、高校演劇についての興味はいくらかある、という感じだが、ともあれ、皆で何かを作り上げる系の話は、よくできていれば面白くならないはずはない。監督が本広克行なのが不安だが。
 結果、悪くない映画だった。
 平田オリザのワークショップの様子が収録されているというメイキングも併せて借りてきた。メイキングを見るとえらく面白そうなのに、できあがった作品はそうでもない、というケースも多いが、本作はその落胆もなかった。それでも、その場面を撮ることにどれほどの苦労と手間と想いがこめられているかを知ることのできるメイキングはやはり感動的なのだが。
 なるほど、ももクロが初の映画出演ということで、そこでの映画作り経験と劇中の演劇作りがシンクロするわけだ。
 主演の百田夏菜子は、メイキングを見ると頭が悪そうなのに、初体験の演技に対してはえらく勘が良さそうで、実際に映画の中では、ちゃんと感動的な台詞を感動的に見せる。後からネットで見るとそういうキャラクターとして一般的にも見られているのか。

 ところで、始まってすぐに、背景となる山並みに見覚えがあるぞと思ったら、高校名が出てくるところで、やっぱり、となった。我らが故郷が舞台なのだった。どこの場面かわからなかったが、我が母校もロケに使われているらしいことが、エンドロールで確かめられた。
 知っていて観始めたんじゃないのか、とは同郷の家人の弁だが、いや、知らなかった。

2020年1月6日月曜日

『スノーピアサー』-全体に「噛み合わない」

 ということで続けてポン・ジュノ。
 だがアメリカ、フランス合作ということで、韓国映画らしからぬSF。始まってしばらく、おなじみのソン・ガンホが出てくるまでは欧米人しか出てこないので、『殺人の追憶』とは随分感触が違う。ティルダ・スウィントンとかエド・ハリスとかいうハリウッド大物が出てくる。
 こちらのソン・ガンホは『グエムル』や『殺人の追憶』のさえない中年男という役どころと違って、長い蓬髪に髭をたくわえ、「なにやらひとくせありそうな」技術屋で、立ち回りもしてみせる。
 だがこの、もってまわったキャラクターを描くために、ソン・ガンホに限らず、登場人物達の言動を不自然に描きすぎている。例えば、普通に返事をしない、などという言動で「なにやらありげ」を表現しようとしているところあたりが、もはやあざとく感じられる。
 そもそも人類滅亡後の特急列車の中の階級闘争を描くというこの映画の設定が狂っているから、こうした描き方はしょうがないのだろうか。
 この設定が面白いのだと考えるのは、観念的にはわかる。だが結局、スケールの小ささばかりが目立つ。もちろんそれでも濃密な人間ドラマを描くことはできるだろうが、どうも全体に「噛み合わない」感触ばかりが残った。

2020年1月2日木曜日

『殺人の追憶』-唸るほど面白い

 新作の『パラサイト』がカンヌ映画祭のパルム・ドール受賞というニュースが流れているせいで、『グエムル』に対する高評価で前から気になっているこの映画を、次にレンタル屋に行ったら借りてこようかとさえ思っていたところ、テレビ放送したので。
 面白かった。唸るほど面白い。映画的な見せ方を実に心得ている。例えばこんなカット。
 葦原を軽い俯瞰で捉える。そこに画面上方から葦を割って手前に歩く刑事の姿が画面に入ってくる。その前からの話の流れで証拠を探しているのだとわかる。そのまま画角が広くなると、その刑事の後ろには数十人の警官が列になって、同じように葦原を割って進んでいる。これだけのカットが実に映画的なのだ。
 警察が被害者の遺体を探しているという「意味」を伝えるだけではなく、観客が見たものを次々と解釈する心理を誘導して、それをコントロールしている。
 被害者が赤い服を着ているという情報が伝えられ、登場人物の一人が赤に近い服を着て登場すると、これはそういうことか、と観客は予想してその不安を抱きながら続きを観る。その人物に犯人の魔の手が迫る。そのうえでこの予想を裏切りさえする。
 連続殺人事件を追う刑事達の話ということでは、実話がベースでどちらも未解決事件を扱ったデヴィット・フィンチャーの『ゾディアック』を思い出させたが、並べても遜色ない面白さ。どちらも監督の力量が高いのが画面のそこらじゅうから滲み出ている。

『WASABI』-際物

 リュック・ベッソンなのだから、それなりに手堅く面白いものを作るんだろうと思って観始めると、妙にコメディタッチでチープだ。広末涼子が出てきてからは、当時の広末の魅力で見られるようになったのだが、お話としては最後までチープ。日本の街中で銃撃戦は無理だな。そうした事態のシリアスさがまるで描かれないアンバランスさが、物語全体をしらけさせてしまう。
 日本人には広末人気をあてこんだのか? フランス向けには「レオン」の二番煎じとしてヒットが期待されたのか? どういう需要があったのかわからないが、まあキワモノなんだろう。
 ジャン・レノと広末がデパートで買い物をする件などは、コメディとしては悪くないテンポだったのだが。広末は、演技も堂々として、ジャン・レノの存在感に見劣りしなかった。

2019年12月30日月曜日

2019年のテレビドラマ・テレビアニメ

 今年はクドカン脚本の大河ドラマ『いだてん』を1年間見通した。大河ドラマを見通したのは山田太一の『獅子の時代』と、堺屋太一原作の『峠の群像』以来30年振り。
 情報を入れてなかったので、大河ドラマ史上最低視聴率なのだと終わってから知った。クドカン作品としては『ゆとりですがなにか』の密度には並ばないが、オリンピックの歴史について学ぶことができたり、何度かはとても感動的だったり、ものすごい人の力でできてることが想像されたり、良い作品だったと見做すことにためらいはない。
 それにしても単独でも最低視聴率を更新した第39回が、一方で「神回」と呼ばれているなどというのも皮肉なことだ。確かに39回は神回だった。実に密度の高い、実に感動的なエピソードの並んだ回だった。
 最終回も実に感慨深い。さまざまなことが思い出されるのは、これだけの時間を共に過ごしたと思える大河ドラマ連続視聴ならではの感慨だし、紆余曲折あって実現した東京オリンピックはとりわけ閉会式が感動的だったし、「富久」に重ねた後半の構成も見事だった。
 それぞれの競技の帰趨なぞも描けばどんどん膨らむことは間違いないが、そうもいくまい。女子バレーは前からの引きでいくらか言及するとはいえ。ということで嘉納治五郎にからめて柔道競技を描いて欲しいとは個人的な期待だったが、残念。
 なるほど、大河ドラマを見続ける層のニーズには合わないということがあるのか。これほどの作品なのに。残念なことだ。

 『同期のサクラ』も、1話の途中から観始めて(後でネットで冒頭から観直した)、最後まで毎週楽しみだった。
 何話かは確実に感動的だった。笑わない主人公が、各回の最後辺りでほんの一瞬笑う瞬間に、毎回心が動かされた。
 だが、同時に毎回「私には夢があります」で始まる定型の台詞は見るに堪えないと思っていた。ドラマ的な誇張が、こちらの許容範囲を超えて白けてしまう瞬間だった。
 終わり近くなるとこの「白けてしまう」瞬間がドラマ全体に増えてきて、最後は残念だった。「同期」がテーマのこのドラマで、その仲間の絆が、強調されればされるほど白々しく思えてしまう。残念ながらそこに共感できるほどのエピソードの積み重ねはなかった。
 細かいことだがとても気になったことがある。
 このドラマは「空気を読まずに正論を吐く」主人公のキャラクターが核心にある。それ故の衝突の連続が物語を引っ張るのだが、例えば街角で歩きスマホをしている人を注意する際に「やめていただけると助かります」と言うのが気持ち悪いと毎回思っていた。歩きスマホをやめるべきだと考えるのは自分が「助かる」ためではないはずだ。「やめなさい」ではいくらなんでも高飛車で、視聴者の共感を得られないと考えて、こういう言い方になったのだろうとは思うが、一方で論理の一貫性がなくなってしまうことが。
 それともまさか、「やめるべき」だと考えるのが自分の性分に過ぎず、それに合わせてもらうことは自分にとって「助かる」というだけであることを自覚してそのように言っているのか。

 今年、1クール見続けたアニメがどれくらいあるかとWikipediaで調べてみると…
「荒ぶる季節の乙女どもよ。」「ガーリー・エアフォース」「賭ケグルイ××」「歌舞伎町シャーロック」「鬼滅の刃」「キャロル&チューズデイ」「ケムリクサ」「荒野のコトブキ飛行隊」「コップクラフト」「PSYCHO-PASS サイコパス 3」「さらざんまい」「女子高生の無駄づかい」「続・終物語」「進撃の巨人3」「厨病激発ボーイ」「Dr.STONE」「どろろ」「ナカノヒトゲノム」「ノー・ガンズ・ライフ」「BEASTARS」「ブギーポップは笑わない」「モブサイコ100 II」「約束のネバーランド」「Revisions リヴィジョンズ」「ワンパンマン」「警視庁 特務部 特殊凶悪犯対策室 第七課 -トクナナ-」
 うわっ、わりとある。50音順だから、年の最初の方のは結構懐かしい。
 さて、今年ばかりこんなことを振り返ってみたのは、最近終わった第4クールの『BEASTARS』が素晴らしかったからだ。
 制作のアニメ会社・オレンジは『宝石の国』も素晴らしかったが、『BEASTARS』ではもう一段階レベルアップしている。CGくささがなくなって、セルアニメに近い画の柔らかさと、セルアニメには難しい細密さとが同居している。
 何より素晴らしいのは演出の繊細さで、場面によっては原作よりも、ある瞬間の「劇」的な情感が増してさえいる。
 シーズン2もあるらしい予告だったので、楽しみ。

 上記の中には、見続けはしたものの、ほとんど宿題のようにいやいや片付けたものもある。
 上記以外に言及しておきたいのは、7話まで放送されてから、もう一度1話から再放送をするという謎の放送となって年を越す『バビロン』だ。7話は、正直、ここまでやって大丈夫かと心配になる展開で、その翌週から再放送になったので、やっぱり問題になったのかなあ、などと心配になった(サイトでは続けて新年に放送するようだ)。このままいけば傑作の予感なのだが、野崎まどは「正解するカド」が最後に残念なオチになったので、期待半分不安半分。

 それから、2話まで観てやめた『星合の空』が、とても心を動かした。悪い意味で。
 どうでもいい作品はどうでもいい。だが赤根和樹は『鉄腕バーディー DECODE』のアニメーションが素晴らしく、この『星合の空』も期待して見た。
 確かにアニメはクオリティが高い。軟式テニスを題材にしているのだが、フォームもスピード感もいい。
 だが演出がひどい。これがまた、どういうわけだ、と呆れるようなひどさなのだった。なんだかちょっと良い感じのドラマ的描写が、あまりに文脈のバランスやリアリティを無視して描かれるのだ。この気持ち悪さは『同期のサクラ』にも通じるのだが、あちらはドラマ的誇張をどれくらい受け入れることができるかという視聴者の好みとのマッチングによって許容できたりもするのだろうが、このアニメの気持ち悪さを受け入れることのできる人はいるのだろうか。
 同時に、この作品は監督のオリジナル脚本でもあり、物語としての辻褄や整合性、リアリティに対する余りの意識の低さが、演出のひどさと完全に同期している。単なるスポーツ物ではなく青春期の心の揺れを描こうとしているらしいことや、「毒親」などシリアスな問題を扱っていて、それが充分な繊細さで考えられていないところが一層無惨に感じられる。
 2話でやめたあと、何かの間違いだったのだろうかと11,12話を観てみたのだが、印象は変わらなかった。大会における試合が描かれる2話だったのだが、劣勢からの逆転が、どういう必然性によって起こっているのか、まるでわからない。
 もちろん現実の勝負の帰趨は偶然と実力によって淡々と決まる。だからリアルに描こうとするなら「偶然と実力」以外の必然性はいらない。
 だが物語としてはそこに物語的な必然性を与える方が面白いはずなのにそれはなく(少なくとも説得力のある形では)、一方で「形勢が逆転する」という物語的な要請にしたがって試合が展開しているだけで、それが「実力」を反映しない「偶然」に拠るものだという描かれ方をしていない。ならば必然性が必要なはずだが、それはない。というか「形勢が逆転する、という物語的な要請」自体が「必然性」になっている。こういうのを「ご都合主義」というのだ。
 「物語」や「人間」に対する認識の浅さとアニメーションの質の高さが、驚くべきアンバランスで同居している。ある意味すごいアニメだ。

2019年12月26日木曜日

『監禁探偵』-物語構造の破綻

 我孫子武丸がシナリオを書いているマンガが原作なのだということは、観終わってから知った。
 前半は楽しいぞと思いながら見ていた。謎とサスペンスに満ちた矢継ぎ早の展開に加えて、監禁されている夏菜演じるヒロインが、「安楽椅子探偵」ならぬ「監禁探偵」として事件を推理しつつ、監禁している側の主人公との立場を逆転してむしろ優位に立っていく過程は、気の利いた会話とヒロインの魅力で、かなり楽しかった。
 前半の推進力は殺人事件の犯人が誰かという謎だ。そこに、さらなる推進力としての、明らかにダリオ・アルジェントの「サスペリア2」からの引用である、鏡に映る女がからむ。同時に殺された女の背景を探る、制限時間を設定された探索行動が物語を引っ張る。これらがどんな真相に収斂していくかと期待していると、まるで呆れた決着を見るのだった。女の背景が殺人事件に全く関わりがない上に、「鏡の女」の正体も、まるで唐突でなんの驚きもない(まるで何もないことに驚くくらいに)。この肩すかしは、ドンデン返しの快感というよりは、呆気にとられるばかりだった。これは完全に脚本の構造の破綻だ。「サスペリア2」もどきの犯人の設定も、オマージュだかリスペクトだか、そのわりに原作の精神をまるで表現していない無残なモノマネだった。
 夏菜が魅力的だっただけに残念。