2015年1月18日日曜日

「こころ」10 ~曜日を特定する

  「こころ」の授業について以前3回に分けてアップした「曜日を推定する」授業展開は、今年度の「こころ」の授業の中では最大の収穫だったから(尤も、「遺書を書いたのはいつか」も、授業展開としては扱わなかったが、大きな収穫であった)、この冬休みに、まとめて発表できる体裁に整理してみようと思っていた。あちこちの文章を書き直しているうち、過去の記事「曜日を推定する」の本文も、直したものに更新したくなっていたのだが、最終的な文章はブログ初出掲載時の1.5倍ほどになり、その変化も記録に留めておきたくなったので、あらためて別エントリーとしてアップすることにした。長いものなので、置き場所を定めてリンクを貼っておくだけでもいいかとも思ったが、ネット環境にいまいち不案内で結果が怪しいので、無茶だとは思うがブログ本文としてもアップする。
 一応PDFをGoogleドライブに置いてみる。
 ついでに、スクロールだけでなく、章立てをしておいてジャンプできるようにリンクを付けようと思ったのだが、試行錯誤の結果、断念。章見出しのみ残す。

1.出来事を時系列順に確認する

  現在「現代文」教科書に収録されている「こころ」本文は、出版社によってその始まりと終わりに若干の違いはあるものの、基本的には第三部である「下」の40章から48章までを共通部分としている。48章で「K」が自殺したのは「土曜の晩」である。では、45章の「奥さんとの談判」、あるいは40章の「ある日」は何曜日のことか? これらを特定しようというのがこれから展開する授業である。
 まず黒板の右の端に40章「ある日」と書き、左の端近くに48章「Kの自殺」と書く。また、それより左に、後述する内容を書くための余白をとっておく。「ある日」とは図書館で調べ物をしていたら「K」が訪れて、その後上野公園を散歩することになる日のことだ、と確認しておく。この始点と終点の間にあった出来事がそれぞれ何曜日のことか、可能な限り精確に推定せよ、と指示する。3~4人のグループを作って話し合いながら進めるように指示する。
 これだけで生徒の話し合いはすぐに盛り上がる。せっせと教科書をめくりながら、これがいつのことで、そこまでにどれだけ間が空いてるはずだから…、と互いに気がついたことを出し合う。
 しばらく自由に話し合わせておいてもいいのだが、時間を短縮する必要があれば、もしくは考えに行き詰まって集中力をなくすグループが出てくるようなら、一旦話し合いを中断し全体を集中させて、「ある日」と「Kの自殺」の間に、本文にあった出来事や場面を挙げさせて書き出していく。この段階ではまだ曜日について言及しなくてもよい、ただ物語中の出来事の順番を確認するのだ、と言っておく。次々と指名した生徒が挙げるエピソードなり本文の一節なりを、それまでに挙がった出来事の前後のどの位置に書くべきかを確認して、黒板に書き出していく。

 40章  ① ある日~図書館
 40~42章  上野公園の散歩
 42章    黙りがちな夕飯
 43章  ② 真夜中のKの訪問「もう寝たのか」
 43章  ③ 「その日」~登校途中、Kを追及するが明確な答を得ない
 44章    「覚悟」について考え直す
 44章    仮病を使って学校を休む
 45章  ④ 奥さんとの談判「お嬢さんを下さい」
 45~46章  長い散歩
 46章    夕飯の席で奥さんの態度にひやひやする
 47章  ⑤ 奥さんがKに婚約の件を話す
 47章  ⑥ 奥さんから⑤の件を聞く
 48章  ⑦ Kの自殺

 実際には右のように章番号ではなく、使用している教科書のページや行番号を付して書き出していく。
 また、授業を行う全てのクラスで右のように各項目が整理されるわけではない。右のそれぞれの出来事の一部が分割されて挙げられてしまうかもしれない。例えば「上野公園の散歩」の中の一部分の描写や台詞が次々と挙がったりもする。あるいは「出来事」として特定できない記述を挙げる生徒もいる(「胸を重くしていた」「Kに説明するのが厭になった」など)。かまわない。授業者は生徒の発言を整理整頓しながら、ともかくも物語の流れを黒板一面に整理していくのである。とりあえず右の①~⑦は少なくとも挙げさせて、書き出しておきたい。
 この中で、②や④に比べて③や⑥は「出来事」としてはエピソードとしての立ち上がりに欠け、挙がりにくいかもしれない。しかしさらに⑤を挙げる生徒は少ないはずだ。物語の前面に、時間の順通りには表れていない「出来事」だからだ。だがこの⑤は、この授業展開にとってとりわけ重要な出来事なので、誘導してでも挙げさせておきたい。
  さてここまでは、物語の流れを大きく捉える、ということであるいは広く行われている授業過程かもしれない。もちろんそれは有意義な過程である。だがここに「曜日の特定」という問題を課すことによって生徒の話し合いは格段に盛り上がる。単に書いてあることを書いてある順に挙げていく、という以上に、明らかになってはいない「謎」について考察するからである。それぞれの出来事の曜日は、その都度明示はされていないから、問題として問われると直ちに「謎」として議論の俎上に乗るのである。そしてその「謎」を解こうという動機が、物語の流れを整理する読解を促す。

2.日程経過を示す手がかりを確認する

 また、これも時間の短縮が必要ならば、展開の整理のためにこちらで主導して、次の事項を順次確認して、右の板書の左の余白に書き出していく。

 44章 二日経っても三日経っても
 44章 一週間の後
 47章 二、三日の間
 47章 五、六日経った後
 48章 二日余り

 本文中で曜日が明示されているのは⑦「Kの自殺」が「土曜日の晩」であったという記述だけである。したがって課題の「曜日の特定」は、右の日程(日の隔たり)の記述を手がかりとして、遡りながら曜日を特定していくしかない。このことを確認してさらに議論を続けるよう指示する。
 以上は、段階を追って丁寧に展開する場合の展開例だが、比較的集中力が持続し、自主的な話し合いがある程度進むような教室ならば、直ちに曜日の特定についての考察の成果を聞いてもいい。その際、曜日の特定の根拠となる記述についても確認していく。つまり、「とりあげるべき出来事の確認」と「曜日を特定するための手がかりの確認」と以下の考察を同時並行で進めていくのである。
 また、以上の展開過程と以下に述べる授業展開全体を1時限に収めるつもりならば、ここまでの諸項目は授業者によって提示してしまうしかない。だが、問題の在り処と解決のための手がかりの発見は、それ自体に国語科学習として意義のあることではある。とりわけ、授業の最初期の段階では、生徒自身に物語の全体像を自分で把握させるためにも意義深い。したがって、2時間展開が許されるならば、一旦は上記のように「出来事」「手がかり」だけを確認してから、再度「曜日の特定」の考察のために時間を取る、という段階を踏む方がグループ毎の議論のばらつきを揃える点でも好ましい。

3.奥さんがKに話したのはいつか

 さて、再び生徒による議論の時間を経て考察の成果を発表させる。最初に特定できるのは⑤「奥さんがKに婚約の件を話す」である。勿論生徒の発言がそこから始まるとは限らない。最初から④やそれ以前についての考察結果が提出されるかもしれない。だから議論を整理して進めたいなら、直截、⑤は何曜日か? と聞いてしまってもいい。
 答えは木曜日である。⑤と⑥「奥さんから⑤の件を聞く」が「二日余り」と「勘定」されているからである。だがそもそも、ここにつまずく生徒もいる。こんな明白な推論に、何をつまづくのかと不審に思って訊いてみると、どうやら⑥が⑦と同じ土曜日だと考えていないようである。つまり、奥さんから⑤の件を聞かされた⑥の出来事と、「二日余り」と「勘定」したのが同じ日だということを理解していないか、もしくは「勘定」してから「私が進もうか止そうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心した」「土曜の晩」までに日をまたいでいると解釈しているのである。⑥と⑦が同じ日との出来事であるとごく自然に読んでいる教師にはこうした解釈の可能性が盲点になっている。なぜこうした、不思議な解釈が生ずるのだろうか。
 そうした生徒自身には自らの解釈の推論過程を明晰に語ることは難しいのでこちらで推測してみる。まず、⑥が語られる47章から⑦の48章にかけて章の変わり目をはさんでいることによって、⑥と⑦の連続性が捉えられていないのかもしれない。あるいは、48章に入ってから「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります」とある「二日」が、⑥と⑦の経過(実際は⑤と⑥⑦との経過)と混乱するのかもしれない。
 だが翻って47章の⑥と48章の⑦が同日内の時間経過であることはどうして確信できるのだろうか。ごく自然にそう解釈している生徒にそう問うても、答えるのは容易ではないはずである。だが議論のためには根拠を挙げる必要がある。国語科授業において重要なのは「結論=正解」ではない。どう考えるか、である。したがって、授業時に⑥と⑦が同じ土曜日であることを前提とした発言しか生徒から出てこなかったとしても、敢えて同じ日でない可能性を提示して、同じであることの妥当性を論じさせることには意味がある(筆者の授業では最初から生徒の意見が図らずも分かれたのだが)。
 繰り返すが、これは難しい問いである。正しく読むことより、読みの生成過程を自覚することの方がはるかに難しい。筆者の考えでは、根拠となるのは48章の二段落の冒頭「私が進もうかよそうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。」の「翌日」の一語である。「翌日」という時間経過を表す語は、その起点となる「本日」を前提する。読者はこの「本日」がいつなのかを無意識に定位している。一方、「二日余り」と「勘定」するという行為は、ある期間の始めと終わりを不可避的に特定する。このとき、この終わり、つまり「勘定」した当の日、即ち⑥のあった日が「本日」として定位されるのである。
 ちなみに「二日余り」の「余り」というのは何だ? と聞いてみる。「二日余り」に「三日」の可能性を含めれば⑤が水曜日という可能性もあるということになる。だが、恐らくそうではない。「二日余り」が他と同じ「二、三日」という表現でないことから、奥さんはそれがいつのことだったかを明確に言ったはずであり、だからこそ「二日余り」という「勘定」が成立しているのである。つまり奥さんはそれが「木曜日」か「一昨日」のことだと話したのである。とすると、「余り」という表現は、奥さんとKの話が日中もしくは夕方のことであり、「私」が「勘定」したのが夜であることを意味しているのだと考えるのが自然だ。どこのクラスでも、何人かに聞いてみるとこうした推論をする生徒は必ずいる。同意して先へ進む。

4.奥さんと談判をしたのはいつか

 問題は次の段階である。④「奥さんとの談判」が開かれたのはいつか?
 47章の「二、三日の間」と「五、六日経った後」から考えられる結論として生徒の挙げる曜日は木曜日から月曜日までにばらつく。なぜか。⑥の土曜日から遡る日数が、五~九日の間でばらつくからである。最短の五日ならば月曜日で、最長の九日ならば木曜日である。どうしてこんなことになるのか?
 ここからがこの考察の最も肝となる部分である。こうした結論のばらつきを示した上でそうしたことが起こる理由とその決着へ向けて思考を促す。話し合いの中で問題点が捉えられてきた様子が見えてきたら、全体で確認する。
 問題は「二、三日の間」と「五、六日経った後」の関係がどうなっているか、である。ここが二通りの解釈を生じさせていたことが、先のばらつきとして表れたのである。最長の九日とは、「二、三日」と「五、六日」を合計してその多い方の日数「三+六=九」を数えたものである。一方最短の五日とは、合計せずに「五、六日」の短い側の日数の五日を数えたものである。つまり「二、三日」は「五、六日」と重なっており、長い方の「五、六日」に含まれると考えられる。
 問題点を整理したら、あらためて問いの形で生徒に投げかける。「二、三日」と「五、六日」は足すべきか、足すべきではないか? 両者は重なっているのか、重なっていないのか? 文中から根拠を挙げて、結論とそこに至る推論の過程を述べよ。
 最初に示した「曜日を推定する」という課題自体は、実はそれなりに物事を筋道立てて考える生徒ならばすらすらと結論に辿り着いてしまう課題に過ぎないのかもしれない。何を「正解」としてこちらが用意しているかというだけなら、そうした「正解」者は、学校によっては大半を占めてしまうかもしれない。だが、順を追って、誤解の可能性を提示しながら、それを否定する根拠を考えること、及び自分の推論の妥当性を語ることは、右に見た最初の推論過程に明らかなようにそれほど容易ではない。「なんとなく重なっている(重なっていない)ように感じる」では議論にならない。重要なことはこちらからの結論の提示ではなく、生徒に推論の過程を語らせることである。そもそも国語教師の間でもこれから述べる結論が了解済みのものとは限らない(実は違った見解を述べた研究を見たことがある)。だからこそ必要なのは「結論=正解」ではなく、推論の妥当性についての議論なのである。
 だがそれを語るための手順は自明ではない。ほとんどの生徒は結局本文を未整理なまま辿って「だから重なっている(重なっていない)と思う」と言うしかない。もちろん問題点を明晰に自覚する生徒もいるかもしれない。だがそうした発言が議論の場に出てこなければ、必要に応じて新たな着眼点を提示する。そこであらためて次のように問う。
 「二、三日」と「五、六日」の始点と終点はどこか? 「二、三日」と「五、六日」はそれぞれ、何から何までの間隔を数えたものなのか?
 先の「二日余り」ではこうした疑問が生じない。始点と終点がはっきりしているからだ。「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。」は「奥さんがKに話をし」た日(⑤)から「勘定してみ」た日(⑥)の間を数えたことが明らかである。したがって⑥の土曜日から遡って⑤が木曜であると特定できる(それでさえ⑦の「Kの自殺」までが同日であることを確信するためには右のような議論が必要となるのだ)。だが「二、三日」と「五、六日」では、話はそれほど簡単ではない。
 「五、六日経った後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。」から、「五、六日」の終点が、奥さんが私に、Kに婚約の件を話してしまったことを話す⑥の出来事があった土曜日であることは明らかである(先の結論を認めるならば)。では始まりはどこか? どの時点から「五、六日経った」と言っているのか? これは「二日余り」のように自明ではない。判断のためには、47章の前半を一掴みに把握する読解力が必要となる。明らかに始点を示すと思われる記述はなかなか見つからない。遡っていくと、46章の終わりに次の一節が見つかる。
私はほっと一息して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭になったのです。
そこまで、具体的に日時を特定できる出来事らしきものの記述はなく、思考内容が記述されているばかりであることから、結局「五、六日」の始まりはこの「室へ帰」った時点であると読むのが適当だと思われる。そこから「どうしたものだろうか」と「考え」たり、「弁護を自分の胸で拵えてみ」たり「Kに説明するのが厭になった」りする逡巡の中で「五、六日経った」ということなのである。
 一方「二、三日」の始まりはどこか。問題は「私はそのまま二、三日過ごしました。」における「その」が指しているのは何か、である。「まま」は状態の継続を表す接尾語だから、「その」が指している状態を判断すればいい。これは結局、右の引用部分の「考えずにはいられませんでした」や「Kに説明するのが厭になったのです」である。
 つまり、「二、三日」と「五、六日」の勘定の始まり、起点は同一ということになる。ということは、両者は重なっている、足すべきではない、ということになる。したがって「二、三日」は無視して最短五日、最長六日と考えるべきなのである。
 これで一応の結論は出た。Kが自殺した土曜日から遡ること「五、六日」前に私の逡巡が始まったのであり、それはすなわち奥さんとの談判を開いた日(④)に他ならない。とすれはそれは日曜か月曜である。だがこの二つの可能性は容易に一つに結論づけられる。なぜか? 気付く生徒が現れるまで待つ。誰かが気付く。「仮病を使って学校を休む」からには日曜日ではない。したがって月曜日なのである(現在の曜日制はグレゴリオ暦を官庁が採用した明治六年から始まっているから、「こころ」の舞台である明治三十年代には当然日曜は学校が休みだったと考えていい)。つまり④の月曜から⑥の土曜までは実は五日だったということになる。遺書という場でそうした日数を正確に限定することの不自然さを思えば、ここに「五、六日」という曖昧な表現が使われていることは全く自然なことである(だからこそ先ほどの「二日余り」は奥さんが「木曜日」か「一昨日」と言ったのだろうという推論が成り立つ)。

5.「二、三日の間」の意味

 「曜日を特定する」という課題に対してはこれをもってこの部分の結論が出たように見える。だがことはそれほど簡単ではない。まだ次のような疑問が残っている。それは先に問いかけた「二、三日」の終わりはいつなのか、という疑問である。「二、三日」とは、「2…3…4…5…6」と「五、六日」を数えていく途中過程に過ぎないのであり、殊更に終わりがいつなのかは問題にすべきではないのだろうか? ならばなぜ漱石は「二、三日」という途中経過を書き込んだのか?
 だが実は「二、三日」と「五、六日」が重なっているか重なっていないかという問題の本質は、両者を区切る切れ目、カウンターをリセットして日数を数え直すエポックメイキングな何かを認めることができるかどうかという点にある。つまり「二、三日」と「五、六日」を連続した日数だと見なして合計してしまった人は、無意識にその切れ目を前提しているということだ。とすれば「二、三日」は「私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。」とか「私はこの間に挟まってまた立ち竦みました。」などといった記述をもって終わりの区切りをなしているのであって、同時にそこを始まりとして「五、六日」と数え直したのだとも考えられるのである。では、両者が重なっていると結論するのは早計だったのだろうか?
 そうではない、というのが筆者の結論である。推論の過程としては先述の考察の方が妥当性が高いと考えられる。右のような記述は切れ目としては曖昧で弱いからである。やはり「室に帰」った日を「二、三日」「五、六日」両方の始点としてとして考えるべきだと思う。
 ならばなぜ「二、三日」という途中経過を示す必要があったかといえば、この「二、三日」を48章の「二日余り」との関係で考えさせるためなのではないか。つまり前者の「三日」(④月曜から⑤木曜まで)と後者の「二日」(⑤木曜から⑥土曜まで)を足したものが、月曜から土曜までの「五日」なのである。
 そしてその「三日」目にはいったい何があったか。先の考察によれば、その「三日」目こそ、⑤が起きた木曜日なのである。そう思い至ったとき、にわかに一つの記述が注目されてくる。
 先の「位置に立ちました」とか「また立ち竦みました」に匹敵するような区切りの候補となる記述として、47章の前半には「私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそう言ってもらおうかと考えました。」という記述がある。だがこの思いつきは「しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目のないのに変わりはありません。といって、こしらえごとを話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問されるに決まっています。」と続く思考によってすぐに否決されてしまう。だから、読者にとってはこれも五日間の逡巡の一過程に過ぎないものとして読み流されてしまう。だがこの記述を、漱石は周到な計算のもとにここに置いているのではないか?
 47章の最後までを視野に入れて考え直してみると、実は「私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそう言ってもらおうかと考えました。」という思いつきこそ、この五日間における、月曜から数えて「三日」目、木曜日の思考だったのではないか、という可能性に思い至る。そう考えると、何のことやらここではわからない「二、三日」という途中経過がにわかに意味ありげに見えてくる。「私」が「奥さんに」「言ってもらおうかと考え」たちょうどその頃、まったく皮肉なことに、「私」の知らないところでまさに奥さんはKにそのことを話してしまっていたのではないか。「私」がもっともらしい理由を付けた逡巡の挙げ句に否認したにもかかわらず。
 そしてこの奥さんの行動が、実は決定的な悲劇をもたらした大きな要因であったことを考えると、漱石がさりげなく置いた「二、三日」という途中経過に、どれほど大きな運命の皮肉がこめられていたかに、あらためて驚かされる。

6.上野公園の散歩はいつか

 議論を先に進める前に、ここまでの過程で、Kが自殺した土曜日と、奥さんとの談判のあった月曜日が、それぞれ本文のどの記述からどの記述までに対応しているかを確認することも重要である。生徒の苦手とするのは、ある程度の長さの文脈を一気に把握することだ。いま目で追っている文章が前後の文脈の中でどのような位置にあるかを捉えることは、文章を読む上で決定的に重要である。「土曜日」「月曜日」という認識が、どれほどの長さの文章を把握する際に必要な枠組みなのかを意識させたい。
 「土曜日」の始まりは47章の「五、六日経った後」だ。ここから所収の48章の終わりまで土曜日の深夜が続いている。
 一方「月曜日」の始まりは、右の考察にしたがえば44章の「一週間の後」から46章の終わりまでである。その日のうちに「仮病を使って」から「談判」、神保町界隈の彷徨から夕飯までが含まれるのである。「室に帰」った時点を「二、三日」「五、六日」の始点とするという推論をしてもそれが④と同じ日の夕方のことだとわかっていなければ議論を先に進めることはできない。
 同様に、同じ一日であることが明らかな部分を確認させると、さらに長いのは教科書所収の40章の冒頭「ある日…」から43章後半部の「しかし翌朝になって」の直前「私はそれぎり何も知りません。」までの一日である。生徒はページをめくりながら「ここもまだ同じ日かぁ。長え!」などと言って確認している。3章半に渡るこの部分に、重要な情報の詰め込まれた①「上野公園の散歩」や、謎めいた②「真夜中のKの訪問」が含まれる。はたしてこれはいつのことなのか?
 考えるべき点は44章の「二日経っても三日経っても」と「一週間の後」の関係である。考え方の手順は既に生徒たちも把握している。結論としては47章「二、三日」と「五、六日」の関係と同じく、始点を同じくする同一の時間経過を含む期間であると考えていいだろう。根拠は何か?
 上記にならって、「三日」を「一週間」と区切る特定の出来事が見出せないからだ、という言い方は勿論可能だ。だがそれよりも重要な根拠と考えられるのは「一週間の後私はとうとう堪え切れなくなって」の「とうとう」である。「とうとう」は、その前に経過を前提する副詞である。「二日経っても三日経っても」という途中経過を受けていると読み取るからこそ「とうとう」が自然なものとして感じられるのである。そうした途中経過の言及がなぜ必要かといえば「いらいらしました」という焦燥が生じたという変化が、この「一週間」のうちで起こったからである。
 ではその始点はどこだと考えればいいか? この「一週間」は、「私はいらいらしました。…私はとうとう堪え切れなくなって」から、奥さんへの談判の「機会をねらってい」た期間だと考えられるから、始点はそう思うようになった44章「私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞」いた日、「覚悟」について考え直した、上野公園の散歩の日の翌日である。つまり③「その日」である。とすれば、奥さんとの談判を開いたのが月曜日という先の結論から遡ること「一週間」、前の週の月曜日がそれである。
 では40章の冒頭①「ある日」はその前日ということになるが、これで全ての曜日を特定したと考えていいだろうか?
 意味ありげな沈黙をしばし続けて、どう? と促してから問うと、ちゃんと考えている者は、そうではない、と答える。「ある日」の続きは「私は久しぶりに学校の図書館に入りました。」である。つまりこれが日曜日だと考えるのは不自然である。では土曜日か月曜日か? 二択だと迫ると、翌日であるところの「その日」は、「同じ時間に講義の始まる時間割になっていた」とあることから平日であるとの論拠を指摘する生徒が現れる。つまり40章の①「ある日」が月曜日、翌日43章の③「その日」が火曜日なのである。では「いらいら」と「機会をねらっていた」のは「一週間」ではなく実際には「六日」ということになる。だがここは、出来事のあった時点から何年も経って書かれた遺書によって回想された過去だということを考えれば「六日後になって」などと正確な日数を書く方がむしろ不自然である。物語が大きく動く「ある日」から数えておおよその期間として「一週間」と書くことの自然さは当然認めていいはずである。

 長い推理過程を経て、教科書収録部分の曜日が確定した。先の板書に沿って確認するなら、次のようになる。

 40~42章 月曜 ① 「ある日」~上野公園の散歩
 43章           ② 真夜中のKの訪問「もう寝たのか」
 43~44章 火曜 ③ 「その日」~「覚悟」について考え直す
 44~45章 月曜 ④ 奥さんとの談判を開く
 47章      木曜 ⑤ 奥さんがKに④の件を話す
 47章      土曜 ⑥ 奥さんから⑤の件を聞く
 48章      土曜 ⑦ Kの自殺

 以上の設定を、漱石が計算していたかどうかを怪しむ向きもあろう。これは穿ち過ぎ、深読みに過ぎるのではないか?
 だがこうして推論を重ねてみた感触では、漱石は周到にこうした設定をした上で書き進めているように思える。48章に唐突に登場する「土曜日」という曜日の指定は、翌朝が日曜日であることによって奥さんや下女が早くに起きてこないことに必然性を与えるための設定だと考えられるが、そこから遡る出来事の曜日は、明確な時間経過の把握に基づいて設計され、不自然でない程度の日数の明示によって読者の前に提示されているように感ずる。

7.曜日を特定する意義

 筆者の授業では、ここまでの授業展開はちょうど2時限だった。物語中の出来事の曜日を特定するぞ、と宣言してから最後に冒頭が前の週の月曜日であるという結論に達するまで、中身の詰まった2時限である。もちろん、最初の確認事項などはこちらから提示してしまえば時間を短縮することができる。あるいは個々の問いを投げかけてから生徒の考察時間を取って結論を出すというサイクルにかかる時間は生徒次第だから、その反応速度によっては1時限でこれを展開してしまうことも不可能ではない。そうすれば、相当密度の濃い、充実した手応えのある展開になるだろう。
 一方で、こちらが一方的に説明してしまえば、以上の推論過程を10分程度で語ることも可能ではある。結論だけなら3分でいい。だがそんなことに意味はない。「二、三日」と「五、六日」の関係をどう考えたらいいのか、などの問題点を発見したり、解釈の根拠を文中から探したり、妥当な結論へ向けての推論過程及び議論そのものにこそ、国語科としての学習の意義があるからだ。
 そしてそうした過程は、生徒にとっても面白いはずである。あるクラスで最終的な結論が出たところで授業が終了した直後、教卓のところへ近寄ってきた生徒が「すっげえ面白かったです。」と言ってくれたのは、そうした手応えがあながち見当外れでもないことを感じさせてくれた。
 そしてこの展開には、面白いだけではない意義があると考えている。むろん、読解及び議論の実践学習としての意義は上述の通りだ。だがそれだけではない。これから「こころ」を読む上で、以上の認識はきわめて重要であると考えているのである。なぜか?
 まず、出来事の起こる順とその経過時間の感覚、そこでの「私」の逡巡がどれだけの期間に渡るものなのかを実感として想像する上で、曜日を特定しておくことは現実的な手がかりになる。
 そしてさらに重要なことは、上記の⑤「奥さんがKに婚約の件を話す」が木曜日だということを確認することの意味である。この出来事は、当の木曜日の時点では物語の前面には表れることなく、「私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそう言ってもらおうかと考えました。」という皮肉な記述の裏面で「私」に知られることなくひそかに起こって、それが表面に浮上するのは⑥の土曜日である。そしてその晩にKは自殺する(⑦)。こうした情報の提示によって、読者は⑤と⑦がきわめて近い時期に起こったかのような錯覚に陥る。そしてそれはそれら二つの出来事の因果関係を殊更に意識させることになる。すなわち、Kはお嬢さんと「私」の婚約を知って(また、「私」の卑怯な裏切りを知って)自殺したのだ、と。
 この錯覚によって読者は、例えば53章で「Kがたった一人で淋しくってしかたがなくなった結果、急に処決した」と語られる「Kの死因」を、「親友である『私』に裏切られたばかりか、大好きなお嬢さんをも失って、耐えがたい孤独に陥ったのだ」などと解釈してしまう。この勘違いは「急に処決した」の「急に」から、⑤と⑦が連続して起こっているかのように錯覚してしまうことから生じたのだと言える。だがこの「急に」は、正確に読むならば⑤によって「K」が「急に処決した」のではなく、⑥と同じ日の晩に起こった「K」の自殺を「私」が「急に」起こったものだと感じた、ということである。さらに53章では、「K」の「淋し」さとは「失恋」とは別のものであることがわかる。つまり「K」は「私」とお嬢さんの婚約を知って「急に」「淋しくってしかたがなくなった」のではないということである。実際にはそこには、いわば盲点になっていてあまり意識されることのない空白の「二日余り」が横たわっているのである。
 こうした誤解は、実は漱石が意図的に読者をミスリードしようとした結果であると筆者は考えている。「私」が49章で「私が悪かったのです」と奥さんに告白してしまうことや、51章で葬式の際に心の裡で「早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いた」りするのも、そもそも語り手である「私」自身が同様の錯覚に陥っているからである。このような解釈はただちに「エゴイズムと罪」をテーマとする小説としての「こころ」観を成立させる。いわく「私のエゴイズムがKを死に追いやった」のである。
 だが、冷静に「二日余り」の時間経過の意味するものを考えるならば、「K」は親友に裏切られたり好きな女性を失ったりしたことで「急に」「たった一人」になったのではなく、親友がそのことを自分に言わないでいることによって「たった一人」であることを感じたのである。もちろん「言わなかった」のもまた「私」の「エゴイズム=利己心」によるものだと言っても間違いではないが、より重要な要因は「私」が自覚すらしていない意思疎通の不全である。つまり直接的に④の事実が「K」を死に追いやったのではなく、それが「奥さん」から「K」に伝えられたという⑤の木曜日から土曜日までの「二日余り」が、「私」の知らないところで「K」を死に追いやっていったのである。
 この違いは重要である。この「二日余り」が意味するものを考えさせる準備として、この「曜日を特定する」という授業過程はきわめて意義深いと筆者は考えている。その時、「こころ」という小説は、「エゴイズム=利己心」といったテーマで把握される物語とはまるで違った、個人の「こころ」が互いに不可視なものとなった近代を描く物語としての相貌を見せるはずである。

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