2015年1月15日木曜日

「オリエント急行殺人事件」

 前にあんなこと(またはこんなこと)を書いていることに責任を感じて「オリエント急行殺人事件」を観る。クリスティーの原作を三谷幸喜が脚色したテレビドラマ。
 あまりに有名なあのトリックは、原作を読んでいなくとも知っていて、シドニー・ルメット監督のオールスター・キャストの映画も、観る前から真相だけはわかっているという甚だ不公正な鑑賞をしたので(無論重厚な作品ではあったが)、やはりそれほど面白くはなかった。
 今回のドラマ版は昭和初期の日本を舞台にした日本人キャストによるリメイクなのだが、二日連続の放送の前編は、驚くほど忠実に原作(というか上記映画)を再現している。問題は、犯人側から、犯行の計画から実行に至るまでの過程をたどりなおす後編である。もちろん企画としては楽しい。だが、結果としては、企画を発想した時点で想定される内容を全く超えない、凡庸なものだった。原作の裏側に、さらに驚くべき真相を構築しているとか、犯人の人間ドラマが胸に迫るとかいうこともなく、犯行を、原作から想定される手順で描くことに終始していた。もちろん「人間ドラマ」は、描こうという意図は見えているものの、単に描けていない、というだけである。役者や演出のせいではない、という印象だった。やはり脚本にそれだけの深みがないのだろうと思った。もちろん復讐のための殺人などというモチーフを「人間ドラマ」として描くことには端から無理があるのだ。ミステリーにおける犯行の動機などは、最初からお約束でしかないのだし、そこに創意をもちこんで描いていけばどれほど長大な作品になってしまうことか。結局「復讐」というドラマの重さに不釣り合いな軽いノリに違和感ばかりが募った。
 ああ、それでも前後編で5時間にも及ぶドラマを意地になって見通すと、それなりの充実感があって、作品世界に対する親和感も生ずるのだった。だがこれは無理矢理だよなあ。
 ただ、探偵役の野村萬斎の怪演だけは、これが作られた価値をかろうじて存在せしめている。明らかに狂言の演技をあえてそのまま現代劇に持ち込もうというコンセプトで演出されているのだろうが、ポアロのキャラクターに狂言の演技という不思議なマッチングの異化効果は面白い試みとして記憶に留めても良い。

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