ミステリーとしてもそこそこ面白い仕掛けはあったのだが、やはり佐藤二朗の演技が圧倒的だった。アドリブらしいユーモアで、ああいうおかしみを醸し出すことにかけては大泉洋と双璧だな。一方で、怒りの表出の振れ幅の大きさに圧倒された。
2026年7月21日火曜日
2026年7月18日土曜日
『Search』-限定された設定の中で
突然失踪した娘を父親が捜す。この設定だけで、切迫感は必然的に用意される。焦燥感と必死さが否応なく際立つ。それだけ言えば『96』と同じ設定だが、あちらが堂々たるアクション映画のシリーズであるのに対して、本作は映画の画面が全てPCの画面そのままであるという、極めて限定された設定がユニーク。ホラーの『Zoom』でもあったアイデアではあるが、あちらは題名通りビデオ通話の画面のみだが、こちらはPCの操作画面がまた驚くほど「見せる」。捜すという目的に対してやれることが何なのかを、主人公が探り、試し、わかった情報によって次々と試行錯誤していく展開がスリリングなのだ。
物語の展開としても、物語が進むにつれて関係者の事件への関わり方について、次々と新たな事実が明らかになっていく。それぞれの局面で予想される「真相」が二転三転していく。
その末に、見事にハッピーエンドに決着する。
限定された設定の中でやれるアイデアを詰め込んだ、恐ろしくよくできた脚本だが、それを高い緊張感で描ききる演出ももちろんすごい。調べてみると『RUN 』の監督なのだった。
2026年7月11日土曜日
『黒牢城』-小説には勝てない
直木賞だけでなく主要ミステリー賞も総なめにした米澤穂信作品を黒沢清が映画化する。どう期待したものやらと思いながら観始めると、画面はさすがの重厚感。
ところが最初の謎がほどなくあっさり解ける。どういうわけかと思っていると、そういえば短編集だと聞いた気もする。次の謎も、やはり途中で解決してしまう。やはりそうなのだ。
とはいえ通して仕掛けられた大きな謎はあるから、それが最後に解けるという構成は「medium 霊媒探偵城塚翡翠」だ。が、あれほどのドンデン返しはなかった。なんとなく重厚な時代劇と、それほどでもないミステリー、という感じだったが、あれほど高評価の原作がこんなもんなのかと、原作も読んでみた。
読んでみると、意外なほど原作通りに映画化している。落としているエピソードはない。場面も台詞も、映画で観た覚えがある。そして確かに短編としては章ごとに謎が解けて一区切りしていく。
だが終盤、全体に関わる動機が明らかになる長い語りが圧倒的だとわかる。なるほど、映画でも語られなかったはずはないのに、その印象が驚くほど薄いのに比べて、小説ではこれほど胸を衝く力をもっているのだった。これはミステリーとしても、直木賞が対象にしているような一般的大衆小説としても、最高度に力のある小説だという評価が納得される。最も、動機で感動させるミステリーというのは珍しいだろうけれど。
そういえば籠城をめぐって荒木村重がどう考えているかというような細かい心理も、やはり映画では描けないから(まさか心中語を語らせるわけにもいくまいから)、そうなると、途中の面白みも、やはり小説の方が豊かなのだった。
メディアの差を超えることがないまま、しかもよりによって感動的な原作の最後のエピソードがすっかり省略されているのはいったいどういうわけか。
やはり黒沢清。
2026年7月5日日曜日
『銀河の一票』-善意のリアル
第一回を観て、これは面白くなるぞと娘を誘って、毎週楽しみに観続けた。展開が楽しみというだけでなく、毎回感動的な場面が描かれるのがたいしたものだった。
素人のスナックのママが都知事選に立候補するという無茶な設定にリアリティを持たせるために、周りを政治のプロが固める。それでも、それが簡単に実現できそうな方向で描くのならたちまちリアリティはなくなるはずだが、そんなことにはしない。そう描いてこそ、このドラマの核である、政治に本気で期待するという善意に感動できる。
細かいドラマや伏線の回収も豊富だし、演出上の可笑しさもふんだんで、これはたいしたドラマだった。
2026年7月1日水曜日
2026年第2クール(4-6)のアニメ
『霧尾ファンクラブ』
同級生の男子が好きな二人の女子高生が「ファンクラブ」を作って、密かに彼を追っかけ、やがて少しずつ関係ができていく。設定は青春ものとしてベタな感じがするが、ギャグの秀逸さに見続けていると、そのうちに徐々にそれぞれの人物の背景が明らかになるにつれ、シリアスなドラマが展開されていく。このパターンは『村井の恋』以来だ。本作もまた同様に、終わりに向かうにつれてひどく感動的だった。
『勇者のクズ』
2クール、それなりに楽しんだ。
暴力団の組長が「魔王」で、それを討伐する賞金稼ぎが「勇者」という設定の近未来SF。「勇者」を養成する学校の生徒とともに主人公の「勇者」が謎に迫っていく。
主人公の「クズ」ぶりが、微妙なバランスを維持していて面白い。ヒロインたる女子高生たちが殺し合いに巻き込まれることを、主人公が止めない。そのわりに、登場人物があっさり死ぬ。危険がないわけではない。だが「勇者」というのがそういう存在であることをきちんと前提にしている。
一方で、戦いにおいて、いちいちちゃんと勝てるための理屈を立てて話を描くところが意外に誠実。こうした、リアルさの水準のバランスが妙なまま、物語が展開する。
『氷の城壁』
ちょっと生真面目で人の心を考えすぎる主人公と友人たちの高校生活を描く。感情の描写が細やかで見続けたが、完全に途中で、秋クールに続く。
それにしてもいやゆるコミュ障で、仲間に入りきれない主人公、特に女子高生を描くというのはずっとニーズのあるモチーフなのだな。
『左ききのエレン』
「天才」についてのいささかの神秘主義が過ぎるとは思うものの、「プロ」としての仕事の在り方とプライドとそれでも良いものは世界に存在するという信頼とがからみあって、かなり観られるドラマが続いた。それぞれの登場人物の背景を、時間を前後させながら描いていく構成が面白く、どんどんドラマが立体的になっていって見事だと感心した。
『淡島百景』
画はきれいだし、監督は『GUNSLINGER GIRL』の浅香守生だし、と一話も観ないまま録っておいたが、全話録っておいて、観るまでにはずいぶん時間がかかった。夏休みに観始めると、これはまたなんともすごいアニメなのだった。
宝塚をモデルにした「淡島歌劇団」を舞台に、生徒たちの群像劇が、短いスパンで描かれる。1話に3つほどのエピソードが詰め込まれることもある。そして、それらの人物は時代が違っていたり、無関係だったりもする。だから「百景」なのだが、これがもちろん関係もしてくる。親族だったり先輩後輩だったり。
そうした群像劇としての構成だけでなく、アニメーションの表現としてもきわめて質が高い。おそらく原作の細やかな心理描写が繊細に描かれているのだろうが、学校という空間とそこにいる生徒が群像劇として描かれるという設定から、空間がもつ歴史の堆積を、半透明の学生で描く表現はすばらしかった。
前クールの『違国日記』もすごかったが、これも同じくらいにすごかった。
2026年6月13日土曜日
『マイケル』-映画館で音楽映画を
公開中の『プラダを着た悪魔 2』を観ようと映画館に行くと、時間を間違えていて観られない。で、急遽本作を。
何かと『ボヘミアン・ラプソディ』と並び称される音楽伝記映画だが、どちらも映画館で観たことが幸いしている。この間のチャック・ベリーの『ブラウン・アイド・ハンサム・マン』は単に既存のライブ映像の継ぎ接ぎで、YouTubeとの差別化が難しかったが、『ボヘミアン・ラプソディ』も本作も、ライブ映像は再構成されているし、伝記映画としてのドラマ性もある。
とはいえ、マイケル・ジャクソンのファンだという思い入れがない観客にとっては、ドラマとしては『ボヘミアン・ラプソディ』の方が強かった。こちらのマイケルの父親の毒親ぶりはいささか型通りで、そこから逃れる成長物語としては単調なドラマにとどまった。
とはいえ音楽は、映画館で観る価値が十分だった。今まで知っている曲が、例えばテレビやPCで観ていたのに比べてもはるかに感情を揺さぶるのは、もちろん映像の見せ方にもよるが、まずは映画館の音量だ。
2026年6月10日水曜日
『プラダを着た悪魔』-映画的描写力
観ているのは確かだが、もう12年以上前で、細部はおろか基本的なストーリーもまるで覚えていない。設定は覚えているというか周辺情報でわかってしまっているし。例えばエミリー・ブラントなどという女優も、今なら『クワイエット・プレイス』のあの人、という認識ができるのだが、この映画に出ている人だという認識は全くなかった。
面白かった印象だけはある。それは信頼できる。
そして観てみるとやっぱり面白い。問答無用に面白い。隅々まで面白い。
こういう、映画としての描写自体が良くできているから面白いというのは、例えば『幸せのレシピ』だし『マーガレット・サッチャー』だ。そういえばサッチャーを演じているのもメリル・ストリープだ。映画が何を描くべきかが明確で、それが役者によって体現されていて、その微妙な感情の推移に感情移入もできて、とそのストーリーとかドラマツルギー以前の映画的描写のレベルが高いのだ。
そしてアン・ハサウェイ演じるヒロインの成長物語としても、仕事に生きる女の孤独も、謀略と逆転劇と。
やはり良くできた映画だ。