9年前の公開の時にも映画館に行こうかどうしようかと迷いはしたのだが行かずじまいで、結局アマプラの見放題終了間近におされて。
岩井俊二は、あるときはわかりにくいがあるときはわかりやすい。どういう発想で作られているのかわからないカットや台詞があったりもするのに、喋るとわかりやすいことばかり言う。そのまま作品もそうだったりする。
そして本作はきわめてわかりやすい映画だった。そして、薄かった。密度が低かった。これがアンサーになっているのは明白な劇場映画第一作『Love Letter』は、比べてみれば濃い。色んな要素が詰め込まれている。エピソードの数も、そこで企図されている映画的面白さの要素も。
それに比べてこれはなんと平板なのか。代筆による文通という設定は『Love Letter』ゆずりだが、あちらがその設定からさまざまな展開を描いていたのに比べ、本作はいくらもそうした展開をしない。主人公が姉に代わって書いている手紙と、娘達が母親に代わって書いている手紙の2系統が進行するという工夫をするなら、それらがどう干渉してどんな事件を巻き起こすかと期待される。していると、何も起こらない。それぞれに、実は我々が書いていましたと明かされる平板な展開があるだけ。
大人になることの喪失感が描かれるのは岩井自身の年齢を感じさせて、それは大いに描いてほしかった。生徒会長で絶世の美少女の広瀬すずが、悪い男につかまって零落した挙げ句に自死する設定も、森七菜にとっての「ヒーロー」たる神木隆之介が、書けない小説家で貧しいアパートに一人暮らしという設定も、胸の痛む話ではあるが、それは描かれれば映画の強さではある。「悪い男」に豊川悦司、「書けない小説家」に福山雅治という配役も皮肉が効いている。ここに、いかにもな悪い男や冴えない中年を置いては興ざめだ。
だがこれを映画の強さと感じさせるには、広瀬すずと神木隆之介の高校生時代がもっと輝いていなければならない。まるっきり不足していたと思う。あれでは零落の喪失感は弱い。
そうなると、最後に描かれる希望も弱い。
ただ広瀬すずの涙だけは強かった。