2016年2月28日日曜日

『ギャング・オブ・ニューヨーク』(監督:マーティン・スコセッシ)

 これもアカデミー作品賞ノミネートなのか。まあマーティン・スコセッシだし、大作だし、アメリカ/ニューヨークの歴史を描く大河ドラマみたいなものだし、『ショコラ』と違って意外ではない。
 日本のヤクザ映画『GONIN』を観て、その勢いでアメリカのギャング映画を観る、とかいう無定見なノリで観たのだが、人命の軽さという点ではどちらも同様の非日常だった。反道徳というよりは非道徳であって、当然といったふうに殺人が行われる。あれで、日常の道徳観とどう整合しているのかがよくわからん。
 道徳を超えるというだけでなく、アウトローという意味でも非日常だ。法秩序の下でどう扱われるのかが不明なところ。ああいうふうに振る舞う人がいて、完全な無法状態なわけではないし、どう秩序の安定性が保てるんだろう。
 SF設定で、法も道徳も超えた異世界ならともかく。
 でもまあ、あれがアメリカの日常の下に(あるいは我々の住む日本の日常の下に)、一皮剝けばあるということなのかもしれないが。それをひたすらに「非日常」と感ずるところが平和惚けした我々の「日常」なのかもしれない。

 ディカプリオの主人公はともかく、敵役「ブッチャー」が強烈で、誰なんだろうと思っていると、ダニエル・デイ=ルイスだって!? わからなかった。しかもアカデミー賞では、ディカプリオをさしおいて主演男優賞ノミネートだというのは痛快な中にも納得。

2016年2月27日土曜日

『GONIN』(監督:石井隆)

 佐藤浩市はじめ、出演者の若さもあって、まるで「昭和」な空気だが、1995年といえば平成7年。映画の背景になっているバブル崩壊からも随分経っている。連想してしまう北野武のヤクザ映画の中では『ソナチネ』よりも後なのか。
 そう、最初から北野映画と比べて観ようという気が満々で、いわゆる任侠映画やVシネマのたぐいやアメリカのマフィアものと比較するようには観ていなかった。
 そうしてみると、北野映画のようなクールさはなくてかなりねばっこく、しつこく長回しをするなあ、とか、夜の雨と光の加減が綺麗だが、この感じは北野映画にはないなあ、とか、それなりに違いも感ずるものの、むき出しの暴力が痛いような感触と、登場人物の命がどんどん失われていくやりきれなさは似ている。
 好きな物語だとは言えないし、しつこい間の取り方にうんざりする場面もないではないが、スピード感のある演出やカメラワークの編集や上記の照明、そして役者陣の暑苦しい演技も、相当に見応えのあるすごい映画ではある。暑苦しくはないビートたけしの殺し屋はいうまでもなくすごい。

2016年2月20日土曜日

『ショコラ』(監督:ラッセ・ハルストレム)

 たぶん2年くらい前に観たが、娘のリクエストで録画した。面白そうな印象を与えるように話したんだろう。実際、記憶に拠れば観た印象は悪くなかった。ヨーロッパ映画の小品、という記憶だったんだが、実はアメリカ映画で、しかもアカデミー賞に助演女優、主演女優どころか、作品賞でさえノミネートされている。そんなメジャーな作品には見えなかったが。そういえばジョニー・デップが出ているのだった。
 舞台がヨーロッパなのが、ヨーロッパ映画かと思ってしまっていた原因だが、見直してみるとヨーロッパの田舎にロケをしている風景もあるのかもしれないが、村の様子はなんだか作り物めいていて、ディズニーランドの中の街角、という感じにも見える。

 ヨーロッパの田舎の村に流れ着いた母子の開いたチョコレート屋が、やがて固陋な村の空気を変えていく…というシンプルな話で、それはそれで愛すべきお話ではあるが、どうもそれ以上には感じない。アカデミー作品賞というような大層な映画には。
 主人公母子が風に誘われてあちこちを転々とするジプシー的な人として描かれているんだが、それならば最後にこの村に定住してはだめだろう、とも思った。これはいわゆる「来たりて去りし物語」ではなかったのか。ハッピーエンドは嫌いではないが、予定調和の呆気なさもまた不満ではあるのだった。

 ところで。
 ラスト近くに、村の空気が変わったことを示す、若い牧師の説教にこんな一節があった。
『人間の価値を決めるのは、何を禁じるかでは決まりません。何を否定し、拒み、排除するかでもありません。むしろ何を受け入れるかで決まるのでは? 何を創造し、誰を歓迎するかで…。』
これは素直に感心して喜ぶべき台詞なのだが、映画を観た翌日、ニュースで、米大統領候補、共和党のトランプさんに対するローマ法王のコメントが流れていて、その符合に驚かされたのだった。
 橋を架けようとしないで、そこに壁を作ることだけを考える人はキリスト教徒ではない。

 

2016年2月14日日曜日

『127時間』(監督:ダニー・ボイル)

 『28日後…』はもちろん、『スラムドッグ$ミリオネア』はさすがのアカデミー作品賞で、面白くないわけはない。どちらも、偶然の面白さとは思えず、明らかに監督の力量が並ではないことが感じられたから、この『127時間』も最初から期待している。
 そして期待に違わぬ出来である。
 序盤のアメリカ大陸の雄大な自然の美しさ。
 地下湖へのダイビングなどという、おそろしく印象的なエピソードをおいていること。
 そして肝腎の、身動きできない状態で過ごす127時間をどう描くか。
 これは一種の「ソリッドシチュエーション・スリラー」だから、その設定の中で起こりうるエピソードの発想と、それをどう演出するかに、脚本家と監督、そして役者の演技が否応なく問われる。そしてそれに応えている作品である。
 1時間半というコンパクトな展開で、これだけ密度の高いものを観られれば満足だ。だが、それ以上に想像を超えるものを観た、というほどの感動がなかったとも言える。だがまあ、そんな映画ばかりができるはずもない。良かった。

2016年2月6日土曜日

『シックス・センス』(監督:M・ナイト・シャマラン)

 この名作をまだ観てないという娘と、こちらは3回目くらいかの鑑賞。
 相変わらず面白い。実に面白い。今回調べていて、このトリックの元となる映画があるという町山智浩の指摘で初めて知ったが、シャマランの姿勢はともかく、この映画が面白いのは変わらない。もちろん最初に観たときの、トリック自体から与えられた驚きの強度が圧倒的だというのが大きいが、それだけで、途中の展開や演出に工夫がないとしたら、これほどには面白い映画にはならない(このトリックに関連したことを以前書いた)。
 物語としては、少年の、特殊な能力を持っているがゆえに現実に適応するのが困難であるという「葛藤の解消」がドラマツルギーになるということなのだから、その解消の手立てとしての、死者の願いをきく、というエピソードについては、もう一つ二つ、事例を見たいものだと、今回思った。というか、いくつかあるような錯覚をしていた。一つだけだったっけ。そのエピソードの強度も大したものだが、そこまでの強度はなくとも、もう二つくらい、観客の想像に補わせるようにして、さらっと触れてもいいのに。

2016年2月5日金曜日

『コンテイジョン』(監督:スティーブン・ソダーバーグ)

 4年前に娘と映画館で映画を観ることにして、シネコンに行ってから上映中の映画から選んだのがこれだった。チケットをとってから入場するまでに時間があったのだが、上映時間を勘違いして、上映途中からの入場だった。上映毎の入れ替え制なのだが、館員にかけあって、最初のところを見せてもらった。それが許されるくらい客席はガラガラだった。
 よくできた、面白い映画だったのだが、小学生だった娘にはさすがに難しく、評判は芳しくなかった。
 そこで今回は高校生になった娘と再チャレンジ。

 やはりよくできた、とても面白い映画だった。
 インフルエンザのような接触・飛沫感染の伝染病が世界中に流行する、というそれだけの映画なのだが、その設定、現実に起こる様々な問題、それに直面する人々の人間ドラマ等々が間然することなく描かれている。マット・デイモンが主役なのだと思っていたが、出番のないシーンも多く、むしろ群像劇だと言った方がいい映画なのだった。グウィネス・パルトロー、ケイト・ウィンスレット、マリオン・コティヤールというアカデミー女優が、それぞれまるで主演ではないところも徹底している。
 確かにCDC(アメリカ疾病管理予防センター)の宣伝映画なのではないかという揶揄もあるように、医師や疫学者たちが活躍する映画だが、それはそれ、困難に立ち向かう人々を真っ当に描く物語が感動的でないわけはない。途中で死んでしまうケイト・ウィンスレットの医師も、途中で拉致られてしまうマリオン・コティヤールの医師も、物語の中では良い仕事をしている。
 中でもジェニファー・イーリー演ずるアリー・ヘックストール医師のエピソードは、ワクチン開発に至る自分の体での治験や、医者である父親との別れのシーンなど、最も感動的なエピソードを演じていた。
 だがしかし、高校生の娘はまたしても、いまいち、という評価なのだった。確かに、盛り上がって興奮して笑って、泣いて、という映画ではないけどさ。