2020年3月29日日曜日

『桜桃の味』-フレームがわからない

 先日の『友だちのうちはどこ?』に続くアッバス・キアロスタミ作品。
 が、『友だち』と違って、こちらはついていけない、と感じた。「意味」が読み取れないシーン、カット、台詞が多すぎる。
 これはたぶん「意味」を読み取るフレームがわからないのだ。だが、自殺を思いとどまるに至るドラマとしての物語としては、いちおう「わかる」と思える。なのに、全体としては「無意味」と思える車の走行や道ばたの描写が蜿々と映されて、なんだかなあ、という感じで見続けることになる。
 事情も説明されないまま、主人公が自殺したがっているという状況に感情移入が出来ないのは、狙ってのことなんだろうが、それでどう見ればいいのか。
 撮影風景を挿入するという終わり方も、掟破りで、あざといと思った。徒に異化効果を狙っているようで。

 ただ、解説を読むと、車の運転手と助手席の同乗者が、別撮りなのを編集で会話している様につないであるのだと知ると、これはすごい技術だと唸る。
 だがこのすごい技術が映画の感動につながるわけでもなく。
 「フレーム」がわかってしまうと、いきなり感動的になるのかもしれない。いずれ観直してみると。

『Bigger Than Life(黒い報酬』巨匠のハリウッドエンタテイメント

 ニコラス・レイはやはり『理由なき反抗』だが、もはや観たことしか思い出せないくらい昔のことなので、感想もなにもない。
 で、本作だが、まあこの手のハリウッド映画のよくできていること! 監督は「異端」とも言われているそうだが、堂々たるエンターテイメント作品だ。
 感染症の治療薬として服用する薬の副作用で躁鬱になる教師の言動に振り回される家族の恐怖を描く。
 特に誇大妄想的全能感に満たされた状態(これが題名の『Bigger Than Life』)が恐い。もちろん単に気が狂ったという状態になってしまうのでは興ざめで、そこはホラー、サスペンスの王道で、ジワジワくるのが大事なのだ。
 退院時に足下からのアップで主人公を捉えるあたりから、最初の授業で「巨人」が話題になるところまで、映像的にも言語的にも伏線を張っていき、最初はちょっと陽気で気が大きくなっているのかと思っていると、だんだんとそれが周囲にとって眉を顰めたくなるような迷惑な程度まで拡がって、そのうちに命の危機にまで高まる。
 遠慮のない子供の視点から、父親の言動のおかしさを指摘しつつ、妻の立場からは、基本的な安寧やその後の関係への配慮まで含めた、ぎりぎりの対応を描く。そのバランス感覚が素晴らしい。

2020年3月27日金曜日

『フライト・ゲーム』-怒濤の展開

 『フライト・プラン』や『パニック・フライト』あたりに混じって、観たことがあるかどうか記憶が怪しいぞと思って録画して観てみると、覚えがない。
 だがリーアム・ニーソンに続いてジュリアン・ムーアが出てくるあたりで、これは一応最後まで観ようという気になる。このキャスティングなら外すまい。
 展開がスピーディで先が読めず、ぐいぐい引っ張っていきながら、見せ場もしっかり作る。飛行機が急に高度を下げるのを、登場人物がいきなり客室の屋根に跳ね上げられる描写で表したり、狭い機内トイレで格闘したり。主人公の活躍振りは『96時間』並みといっていい。というより、リーアム・ニーソン、キャラ被り過ぎ。
 緊迫した場面で娘のことを語って乗客の心に訴える長広舌は、感動的というより緊迫感を損なうからマイナスだったが、全体によくできたエンターテイメント作品になっている。
 だが、リーアム・ニーソンという、映画全体のタッチといい、なんだか覚えがあると思ったら、『96時間』の方ではなく『Unknown』の監督なのかあ。あれも、次から次への予想の出来ない展開になる、よく出来た映画だった。

2020年3月22日日曜日

「欲望の時代の哲学」ー小説の効用

 番組名は長い。「欲望の時代の哲学2020 マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント」というのだが、なるほど、哲学講義ではないのか。ドキュメンタリーなのな。
 NHKのEテレでこのところシリーズで放送しているので見てみる。4回目まで見て、この人の言っていることはほとんどわからないのだが、今回、ちょっと心に残る話があった。マルクス・ガブリエルとドイツの作家、ダニエル・ケールマンの対話の中でケールマンが言った言葉。
小説とは常に他者の目から世界を見て別の世界を想像するトレーニングです。
ここまではそれほど珍しい見解ではない。が、それに続いて彼は言う。
人々が小説を読み始めた頃、社会の暴力は減少したのです。
なるほど!
 こんなに脳天気に、大規模に小説の効用を説く言説には虚を衝かれた。国語の教員として勇気づけられる、なんと明快でポジティブな認識。

 この回はマルクス・ガブリエルと取材陣の乗ったタクシーの運転手が、渋滞中のトンネルの中で不安発作に襲われ、運転を出来なくなったから降りてくれ、というエピソードから始まっていた。
 この想定外のトラブルがドキュメンタリーたる所以なのだが、この「事件」の顛末が、今回の最後の場面でどう解決するかというと、マルクスらの必至の励ましで運転手が何とか不安を鎮めて運転を再開するのだが、この後に、マルクスが「道徳」「倫理」の説明につなげて終わる。
 発作は他者への恐怖から起こっているのだが、他者への想像による理解がその恐怖を乗り越える手立てとなるのだ、と。
 ここで上の「小説の効用」に論理がつながるのだった。
 ケールマンとの対談とタクシー運転手の不安発作はそれぞれ偶然なのだろうが、それを番組中で結びつけた見事な論理展開。

『インデイペンデンス・デイ リサージェンス』-同工異曲の縮小再生産

 前作はなかなか面白いと思ったのだが、全くそこから進歩のない同工異曲で、なおかつ前作ほどに面白くない。多分前作の面白さにはウィル・スミスのキャラクターの軽さと身のこなしの軽さが程良いリズムを生んでいたのだろう。それがなくなって、対エイリアン戦争という骨組みだけが見えてしまうと、『世界侵略 ロサンゼルス決戦』『カウボーイ&エイリアン』と同じ、エイリアンという存在に対する何らの洞察も想像力もない単なるバトル物に堕してしまう。
 なぜかどれも、エイリアンの造型が似たような化け物に過ぎない。そして、全く単なる侵略者として、殺し合うことに何のためらいもない。殺すことは当然であり、かつ全面戦闘シーンになると、殺される人間はほとんど描かれない。まるで想像力の働いている気配がない。高い科学力を持った異星人が、爪だの牙だの粘液だのをもった「怪獣」として描かれる。部分的には人間側の死亡を描くから復讐心が想起され、だが全体として戦闘状態になると一方的に「やっつける」だけになる。
 こういうのは『エクスペンタブルズ』なども同じだから、要は面白ければいいのだ、という見方をすべきなのだろう。冴えない男が奮起して活躍するのを喜ぶとか、誰かの英雄的な活躍に喝采するとか、チェイスにドキドキするとか。そういうのはそれぞれある。ラブロマンスもある。が、どれも大したことはない。
 エイリアンの母船や、それが引き起こす災害の規模の大きさには目を瞠った。それが見所なのだろうとは思う。が、それによる死者が描かれないのは上記の通りだし、描かれるのはギリギリで助かる場面ばかり。敵の強大さに対して、戦闘機で乗り出す対抗策の貧弱さで、どうして撃退できたことになるのか、ちっともピンとこない。
 むろん前回の襲撃の際に敵から得た科学力で、地球の技術も進歩しているらしいし、敵にとっての天敵となる別の宇宙人が協力もしてくれる。だがいずれにせよ人間のスケールを離れすぎてしまうから、逆にサスペンスが薄れてしまうのは、スーパーマン映画のアンビバレンスとして前に書いた。
 工夫はしようとしているんだろうけど。難しい。

2020年3月21日土曜日

『君に読む物語』-感動的でもあり気持ち悪くもあり

 ライアン・ゴズリングは『ラ・ラ・ランド』からしか知らないから、出てくるなり若くてびっくりする。しかも気持ちが悪い。後半で髭を生やしてようやく安心した。
 『グロリア』のジーナ・ローランズだ! と思ったら、この監督、『グロリア』のジョン・カサベテスの息子なのだそうだ。ってことはジーナ・ローランズの息子でもある。

 確かに最後は感動した。認知症の老婦人が、夫の語る、若き日の自分たちの物語を聞きながら、最後に自分や相手のことを思い出すことも、その直後に再びわからなくなる切なさも、感動的ではある。
 だが全体としてはベタな「映画的感動シーン」にちょっとヒいてしまう部分が多かった。相手の気を引くために観覧車の鉄骨にぶらさがったり、交差点の真ん中に寝転んでみて、車が来て慌てて避けるスリルに「ああ、面白かった!」と言ったりする若い男の奇矯な振る舞いが、「映画的」な特別感を演出するのは、若いライアン・ゴズリングが気持ち悪いのと相俟って気持ち悪い。
 ラストの、老夫婦が手をつなぎ合ってベッドに寝たまま死ぬラストシーンも、感動しつつも微かに気持ちが悪いとも思ってしまったのだった。

『三月の5日間』-わからない

 劇団でもない、岡田利規の個人ユニットだというチェルフィッチュによる、岸田国士戯曲賞受賞作品の舞台。
 物語の説明はしない。ただ、「超口語演劇」と呼ばれているのだという台詞回しと、身体の過剰性を表現しているのだという、むやみやたらと動き続ける俳優達の芝居の独特さが奇妙な印象を残す。
 が、それがどうだという感興にもつながらない。面白いと言えば、こういう感じってわかる、と、その痛々しさだったり苦々しさだったりといった感情の起伏がうまく表現されているということだが、その狙いがわかって、だからどうだということもないのだった。「あるある」の面白さならお笑い、コントの世界の方がはるかに豊穣なのは当然だ。そうではない、現実に対する批評性か? どうもピンとこない。
 文化祭の素人演劇を見ると、なるほど台詞を喋っている間、動かない体が不自然なことが突然意識されるが、といって過剰に動かしてみる不自然さによってそれがどう批評されているのか。
 わからない。

2020年3月15日日曜日

『月に囚われた男』-オールドファッションなSF映画

 鉱物資源採掘のために一人、月基地で働く男が、作業中に事故に遭ったことから恐るべき真相を知る…という物語を思い出してみると、なんだか面白い映画だったようにも思えてくる。が、決して手放しで絶賛するほど楽しめはしなかった。どこもかしこも既視感のあるSF的ガジェットとストーリー展開。
 近くは『オデッセイ』が、宇宙基地での孤独なサバイバルを描いていたが、比較にはならない。あちらは主人公の脳天気で前向きな性格と、次々襲ってくる試練を乗り越える面白さで、これはもう堂々たるエンターテイメントだったが、本作はそういうのが主眼ではない。
 サスペンスといえばサスペンスだが、そちらに主眼があるというわけでもない。
 クローン設定で宇宙基地と言えば何と言っても萩尾望都の『A-A’』だが、あれはクローン故の、アイデンティティが分裂する感覚と、感情のあり方が我々と違う人種を描く、本当にSF的センス・オブ・ワンダーに溢れた作品だった。これも比較にならない。そういえばトム・クルーズ主演の『オブリビオン』というのもあった。これが最も似ているか。

 最初の主人公に観客は感情移入している。次のクローンもまた同様に主人公の資格を持っているが、移入の度合いは相対的に低い。
 が、彼らが同一人物であるという納得と共に、徐々に感情が均されてくる。そして二体目を逃がすために一体目が犠牲になるところなど、設定としては随分感動的になるはずの展開なのだろうと思われるのに、どうもそうはならない。
 心の支えだった妻がもう死んでいるほどに時間が経っていたことがわかるシーンだけは、これも覚えのある感情とは言え、SF的情趣を感じさせた。

『THE TUNNEL』『The Good Fight』-あまりに高品質なテレビドラマたち

 今年に入ってからテレビで放送の始まった海外ドラマを二つ録画して観始めると、これがどちらも滅法面白い。
 『THE TUNNEL』は、フランス・イギリスの合作で、題名の「トンネル」というのはドーバー海峡を渡る海底トンネルのこと。トンネル内で見つかった死体に始まる事件を、フランス警察とイギリス警察が協力して捜査する。事件は全10話に渡って終始、先の見えない怒濤の展開を見せる。毎回驚嘆する面白さだった。
 展開の起伏と共に、ドラマの魅力となっているのは、フランス・イギリス双方の刑事二人のキャラクターだ。特にフランス側の女性刑事がアスペルガー症候群だという設定である。優秀で勤勉、だが他人はおろか自分の感情にも無頓着で、人情も解するイギリス側刑事とのコンビネーションが、次第に親密になっていく展開がしばしば可笑しかったり、終盤では感動的だったり。
 これがデンマーク・スウェーデン合作の『THE BRIDGE』のリメイクだというので、あれこれと仕事のなくなったこの週末にまとめて観てみた。全十話で9時間ほど。続けて観るとストーリーも頭に残ったまま続きが追えるのがいい。ちゃんとのめり込める。まあそれでも名前になじみがない分、誰のことだったっけ? というのがしばしばあったが。
 なるほど、ほとんどの魅力は原作にある。が、風景の広がりと淋しさや、事件の緊迫感、二人の交流の細やかさは、微妙にフランス・イギリス版の方が勝っている印象だった。
 だが、最後の最後、事件の結末となる最終局面の場面で、問題のアスペルガー症候群設定を使った伏線が見事に活かされた劇的な展開を見せるところは原作版の方が鮮やかだった。むしろリメイクはなぜそこを微妙に変えてしまったのかが疑問。惜しまれる。
 アメリカ版リメイクもあるというのだが、ヨーロッパ的侘び寂びがあるのかどうか。

 『The Good Fight』は、前作となる『グッド・ワイフ』を観ていないのだが、まあ独立した作品として観られるらしい。前作は題名から勝手に夫婦の人間ドラマなのだろうと思っていたが、実は法廷ドラマなのだそうで、本作は最初から法廷ドラマだと知って観始めた。
 これがまた毎回、驚くほどの面白さでシーズン1を終えた。法廷でのやりとりのスピード感と論理のぶつかりあいの緊迫感がすさまじい上に、微妙な感情の起伏が絶妙に描かれる。時に痛快だったり苦々しかったり。
 本当に見事な脚本と演出、俳優陣の演技だ。

 それにしても不思議なのは、どちらも、その脚本・演出・演技のレベルが、世に溢れる「映画」に比べても恐ろしく高いということだ。今年の映画を遡ってみても、ウィリアム・ワイラー、ポン・ジュノ作品と『マーガレット・サッチャー』くらいしか、匹敵するレベルの映像作品が見当たらない。
 このあたりのテレビドラマは、予算的にももう映画とかわらないと考えるべきなのだろうか。

2020年3月9日月曜日

『ビヨンド・サイレンス』-基本的に良質なドラマ

 仕事終え、一山越えて解放された気分で早く家に帰り、長い宵を過ごして、平日なのに映画を一本。
 聾唖の両親の元に生まれて、音楽を志す夢と両親との関係の間で悩む少女を描いた、ドイツ映画。アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされていたり、東京国際映画祭でグランプリを受賞したりと、評価も高い。
 だが、ものすごく特別なものを観たという感じでもない。ヨーロッパ映画なのだと気づかないくらい、ハリウッド的な感触だし、特殊な題材を扱っているというわかりにくさがあるわけでもない、とても普遍的な感情のすれ違いと和解を描いたドラマだと思った。
 頑固と評される父親の屈折は、聾唖者故のものではあるが、理性的に振る舞っているだけに共感可能でもある。娘も家族故の愛情も気遣いもありながら、自分の夢を追うために反発もする。感情表現が細やかでドラマを享受する心地よさがある。
 主人公が世話になる叔母夫婦や、両親と叔母の関係などの描写にも、重層的なドラマが設定されている。
 最後のハッピーエンドまで含めて良い映画だったが、ヨーロッパ映画らしいわけのわからなさや、特別さがあるわけではない。

2020年3月1日日曜日

『友だちのうちはどこ?』-構成も描写も見事な

 アッバス・キアロスタミの映画は初めて。
 最初に、宿題をノートにやってこなければ次は退学だと理不尽にも思えるほど厳しく叱られて泣く子供と、それを心配して眉をひそめる隣の少年が描かれ、主人公は意外にも心配少年の方なのだった。
 表紙が同じだったからうっかりもちかえってしまった友だちのノートを届けに、隣町(?)まで行くという、ただそれだけの話なのだが、すごくうまい。
 素人ばかりを役者に使ってこの自然な演技で、まるでドキュメンタリーみたいに見えるという感触なのに、技巧もちゃんと凝らされている。ようやくみつけた友だちかと思う小さな子供が、親に呼ばれて家の外に出てくるまで期待させて、出てくると、抱えている大きな建具で顔が見えない。建具を下ろしたと思うとロバの陰で顔が見えない。待たせておいて顔が見えると果たして友だちではない。
 ラストの押し花は、思わず拍手を送りたくなるような幸せなオチなのだが、この伏線を挟みこむ件のさりげなさと併せて、見事というほかない。
 友だちの家があるはずの初めて訪れる街は迷宮のように入り組んでいて、そのうちに日が暮れて次第に暗くなっていく心細さ。
 夜、宿題をやりながら、背景で不意に風でドアが開くと外では洗濯物が激しく揺れている。映画的な表現の強さ。
 ネットには、この映画の背景となるイラン社会にも言及している評もあるが(この洗濯物もそういった象徴的な意味があるのかもしれないが)、そのあたりは今回の鑑賞には影響しようがないから、とりあえずは「はじめてのおつかい」的な、芥川の「トロッコ」的な味わいということで。