2016年12月25日日曜日

『人造人間13号』 -軽く、軽く、ゾンビ物を

 とりあえず何やらゾンビ物らしいと観てみる。B級であることは恐らく間違いない。邦題がどうみてもB級なセンスだ。それどころかC級の可能性も大いにある。
 だが、予算はともかく、邦題のセンスも日本の配給会社のセンスだからともかく、映画は創意工夫だから、まずは観てみないと。思いがけない拾い物をしたような気になれれば幸いだ。なにしろとりあえずホラーが観たいのだ。気軽に、気楽に。
 始まってみると、ざらざらした画面の質感がホラーにふさわしい雰囲気を醸し出している。暗く、不気味な、いかにものアイテムを陰影のあるアップで映す、とかいうのではなくて、疎らな雑木林を映す画面が、どういうわけだか精細とは言い難い粗さを感じさせる。古い映画だというわけでもないのに。さびれたアメリカの郊外、という感じの。こういうのが楽しい。
 まあ実際にはカナダ映画だというし、映画紹介によると島らしいのだが、ともかく昔、囚人の収容施設(そういうのを普通「刑務所」というだが、それらしい建物が写らないところが低予算だ)があったらしい人の訪れない(陸の?)孤島で繰り広げられる一夜もののゾンビ映画。
 そこに、登場人物の若者たちが法医学を学ぶ学生だという設定が加わる。これは効果的か。ちっとも。こんな特殊な設定が何かストーリー上の展開に活かされるような工夫をされているかというと、とてもそうは言えない。妙なものだ。最初の死体検分の研修の様子は妙によくできていたのに、それがゾンビものというジャンルに活かされたりはしない(わずかにヒロインがゾンビから逃れる時に、複数の薬品を混ぜた液体を「武器」として使う場面があるくらい)。例えばゾンビを捕獲して「検分」してみるとかいう展開は当然考えられても良さそうなのに。
 だがまあそこは残念ではあるが、妙な違和感を感じさせる設定ではある。キャンプに来た若い男女のグループです、とかいうのと違って、お、工夫されてるかも、という期待を抱かせてはくれる(結局はずすんだが)。
 特殊メイクはかなりよくできていたし、そこそこのハラハラ感もあるのだが、もちろん手放しで絶賛するには遠い。だが腹立たしいような印象もなかった。なんだか、もっと工夫のしようがあるのに、という残念さと裏腹の可能性が、そう悪くない印象を残しているのは、観ているこちらの心理状態に因るかもしれない。タイミングによってはその工夫のなさに腹を立てるかもしれない。

 それにしてもどこが「人造人間」だったのだ。ゾンビが人為的な原因で発生したことを「人造」ってこたあないだろ。原題の『13Eerie』(13の気味悪さ?)も日本語にしようがないとはいえ。

2016年12月23日金曜日

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』 -文句のない娯楽作

 前にマンガ版を読んでいた。タイム・ループという設定が面白いことは、前に『トライアングル』について書いたとおり保証済みなんだが、やはりそれも料理次第。マンガ版は連載を追っている途中で飽きてしまったのだが、さて映画はどうか。
 これが実に面白くて、さすがハリウッド、さすがトム・クルーズとうなってしまった。監督は『ボーン・アイデンティティー』のダグ・リーマンときけば、なるほどと納得。
 そういえば、もちろん良くできていた『Mr.&Mrs. スミス』は、物語としてはがっかりだったのだが、今作については物語としても、タイム・ループ物の楽しさを充分に表現していた。
 繰り返してその経験をしているから、他の者に先んじて展開を知っていることの優越感を描いたり、かと思えば「これは初めての展開だ」と主人公に言わせて、その試行錯誤のサスペンスやワクワク感を観客に伝えたり。
 例えば一回目の経験で死んでしまう仲間を、二回目では救おうと試みて自らも死んでしまい、三回目は見捨てる、とか、三歩進んで一呼吸待って先へ進む、とか、試行錯誤の過程に多くのアイデアが盛り込まれてるのは、さすがハリウッド、チームで制作しているらしい脚本の練られ方をしている。

 そういえば最近、劇団キャラメルボックスの『クロノス』の脚本を素人劇団の舞台で見たばかりなのだが、あれもタイム・リープの物語なのだった。事故死する思い人を救おうと何度も過去にタイム・リープする物語。ループではなくリープなので、主人公の時間は経過してしまうばかりか、戻るときに反動で遥か未来に跳ばされてしまう、とかいう設定が付随している。
 で、これがなんとも酷い物語なのだった。それはその劇団の演出の問題なのか、脚本自体の問題なのか(まさか梶尾真治の原作の問題だとは思いたくない)。演出の問題としては、人物の感情の表出がいちいち不自然に劇的で、物語、場面の論理に即していないことが何とも気持ち悪かったのだが、脚本の問題としては、なんともはや、タイムリープについての工夫があまりに浅はかに感じられて、それと比較したときに、ハリウッド映画の層の厚さを思い知らされるのだった。

 映画終盤がどうも尻つぼみという印象があるのは否めない。ループできなくなって、死のサスペンスが増すかというと、逆に、死んだらおしまいということは、これ以降は、主人公は失敗しないということだと思えてしまって、逆にサスペンスの強度が下がる、という指摘は宇多丸さんによるものだが、卓見である。

2016年12月16日金曜日

『アパートの鍵貸します』 -すごいのに楽しめない

 巨匠ウィリアム・ワイラーだ。上手い映画だとはわかっている。
 だが、ジャック・レモンの哀愁溢れる演技とかいうのに、どうも世評に言われるほどの魅力を感じない。
 シャーリー・マクレーンが可愛いのは認める。だが不倫の果てにあっさり自殺未遂をするに至るほどの葛藤が描かれているように感じない。
 一方にコメディ映画としてのスタイルを保ちつつ、そうした深刻さが同居している物語をどう受け取って良いのか。当惑したまま観終えてしまった。
 それはたぶん、アメリカ映画というものに対するリテラシーの問題なのだろうとは思う。そもそもの設定である、上司の不倫のホテル代わりにアパートを貸す、という設定についていけない。大学生の友達くらいなら、そのどろどろした葛藤についても想像が及ぶ。だが大企業の管理職が、部下のアパートをホテル代わりに使うことが、どうして相手の女性に受け入れられているのかがわからない。「ボロアパート」という形容から、そうした女性にとっても、そこが密会の場所として満足できるものではないらしいことがうかがわれるのに、どうして6人もの上司がそうした習慣を実行しているという物語を受け入れられるのだろう。それが「そういうこともある」ことなのか、「異常なこと」なのかがどうもよくわからない。
 ラストのハッピーエンドがどうもハッピーに感じられずに、どうも後味が悪い。

2016年12月8日木曜日

『グラスハウス』 -質の低いサスペンス

 サスペンスというのだが、『スクリーム』的なサイコスリラーではなく、むろんホラーでもなかった。単に財産目当てに後見人に命を狙われる姉弟、という。
 豪邸を舞台に、徐々に恐怖が…とかいう紹介に乗ってみたが、どうにもならなかった。これをそこそこ楽しめたとかいう人がいるのが信じられない。そこら中説明不足だし、そのわりにシンプルな筋立てでひねりもないし。人物の描き方も一面的かと思えば混乱しているし。魅力的にも見えないし。

 ところで物語中の時間間隔がどうも掴みにくいのにも参った。カットが変わって次の場面が、前からどれくらいの時間を隔てているかがわからないのだ。前の場面とつながっているのかと思えば、いくらか経っていたり、そのいくらかがよくわからなかったり。
 だが考えてみれば、観客は物語中の時間の流れと全く異なった時間で映画を観ているのだ。それなのに、カットの変わり目で時間が連続しているのか、数分が経っているのか、数時間なのか、どうやって解釈しているのだろう。
 自分で作ってみればその難しさもわかるのだろうが、ともあれ、商品として出回っている作品としてはそのあたりの情報の伝え方が怪しいのは、やはり低い評価をせざるをえない。