2021年12月30日木曜日

「LIMBO THE KING」-驚嘆すべきレベル

 田中相は「千年万年りんごの子」にも驚いたものだが、本作「LIMBO THE KING」は、1巻の途中まで読んで、これは尋常なレベルではないと思い、全巻揃えるまでは読むまいと思っていた。このたび全巻揃えて通読する。


 6巻、どこをとっても、驚嘆すべきレベルで良くできている。世間に流布する創作物で、これほどに良くできたものは稀だ。アメリカを舞台としているから、もちろんハリウッド映画的と言ってもいいのだが、雰囲気としては日本で制作されたNetflix配給の『HERO MASK』に似ている。だが、大資本によって作られたそれよりも、個人の創作の営みによって生まれる本作の方が、結局はるかにレベルが高い。しかもあらゆる要素において。

 近未来のアメリカから蔓延した「眠り病」という設定は、ありふれているかと思いきや、単なる雰囲気に終わることなく、ちゃんと説明される。それは実にSF設定として斬新でもあり、緻密でもある。実は軍の生物兵器としてのウイルスの暴走でした、とかいう凡庸な設定にならない。そしてサイコダイブは、これまたありふれているかと思いきや、やはり緻密に設定されている。しかもオカルトとデジタルの融合もなされる。

 そしてキャラクターは立っていて、魅力的。やりとりにユーモアのある描写もあるし、サスペンスもスリルもある。デッサンは確かだし、斬新なイメージも頻出する。

 ストーリーも、6巻通して構成されていて、繰り返しのパターンで連載が続いていたりはしない。常に展開しつつ謎の究明と人類の救済という大がかりなスケールまでに至る。

 最後は感動的でかつハッピーエンドという、本当に全ての要素が驚嘆すべきレベルで高い。

 これほどの作品が、しかしそれほど話題になっていないらしいことが不審だ。読者を選ぶというようなマニアックさはない。堂々たるSFエンターテインメントとして、ハリウッド映画でも滅多にないレベルだと言っていい。

 このまま、最高水準でアニメ化すべきだ。尺を切り詰めて映画などにするのではなく、12.3話の1クールで。脚本家は整理整頓だけを心がけて、キャラクターをいじったりせず、本当にこのまま映像化すべきだ。

 これほどの創作物は「進撃の巨人」他、ほんのわずかしか思いつかない。

2021年第3クール(7-10)のアニメ

 今更だが、全然追いつかないのだ。もう4クールも終わるのに、まだ3クールのを観ていないのもある。

 が、まあ一段落させて。


「小林さんちのメイドラゴンS」

 安定の京アニクオリティで、ほのぼのと、微妙なシリアスのバランスも素晴らしい。繰り返し見たくなるというものではないが、毎回気楽に観て、いつもそれなりに楽しかった。


「探偵はもう、死んでいる。」

 初回は作画のレベルも高く、先が楽しみだと思ったが、みるみる落ちて途中で見るのをやめた。最後の方を見たが、回復はしていなかった。

 美少女探偵といえば「屍人荘の殺人」だが、実に今風のガジェットだ。語り手の軽口は「涼宮ハルヒ」のキョンから「青春ブタ野郎」「俺の青春ラブコメは」など、先達に事欠かないが、そのレベルでもない。謎の組織の人造人間といい、実にまあライトノベルだ。

 それなのに「探偵はもう死んでいる」という設定だけで何だか胸騒ぎがするのは「君の膵臓を食べたい」に通ずる抗いがたい俗っぽさではある。


「出会って5秒でバトル」

 原作は論理ゲームとして素晴らしかった(途中まで読む限り)。その面白さでアニメも1クール見続けたが、作画も演出もひどかった。


「平穏世代の韋駄天達」

 原作を見ていないのだが、妙な絵柄で背景美術まで統一されている。物語の変さ加減は原作のクール教信者の持ち味だろうか。「小林さんちのメイドラゴン」と2作が同時アニメ化というのもすごいが、どちらもちょっとわけのわからない発想だ。魔族というのは実に凡庸な今風ファンタジーで、そこを恥ずかしげもなく設定しておいて、対するのに韋駄天という神を置くところが尋常ではない。

 物語も、恐ろしく「クール」に論理を展開するところと、発想の突飛さとが同居して狂気じみている。

 完全な途中で唐突に今クールが終わってしまい、これは続編ありきなのか?


「Sonny Boy」

 初回の「漂流教室」とそこに展開される「冷たい校舎の時は止まる」っぷりから、何か尋常じゃない斬新なイメージの奔流に圧倒されて始まった。今頃どういうわけで江口寿史を引っ張り出したのかも解らないが、どの断片を切り取っても画面に横溢する力が尋常じゃない。油絵の具の筆のタッチをそのまま見せる美術もおそろしくレベルが高く、それを次々と見せる贅沢さにも圧倒される。

 そして監督の夏目真悟のオリジナル脚本がまた特異だった。初回こそ「漂流教室」だし、最終回は「2年間の休暇」と、枠組みはよくある多世界漂流物ではあるのだが、各話のイメージは多彩で、群像劇としても丁寧な描き込みで、初脚本作品がこれか、と呆れるような思いで毎回観た。

 最終回の切なさは、またいつかあらためて観て、それなりに受け止めたい。

 「スペース・ダンディー」「ワンパンマン」「ACCA13区監察課 」と良い仕事をしてきた夏目真悟は、「ブギーポップ」で一旦は落胆したのだが、またこれは観るべき作家としてあらためて注目していきたいと思っていたら、次回作は森見登美彦と上田誠とくんで『四畳半』+『タイムマシン・ブルース』なのだそうだ。


「ひぐらしのなく頃に」

 オリジナル展開になってからの今シリーズは意外に長くなった。パターンの繰り返しがしつこいと感じるのは、個々のエピソードや各話が、それ自体ではそれほど面白いとは感じないからだが、我慢して最後まで観ると、その長さ自体がある種の感慨を醸し出してくるというのは、旧作もそうだった。とはいえ旧作では、いくつかの場面で感じたカタルシスや希望の手触りが、今作では出会えなかったのは残念。旧作にも増して思い切った残酷描写が攻めている感もあったが、繰り返しすぎで飽和していたし。

 ともあれ、最後に「いろいろあったなあ」と思える感じは、登場人物に対してばかりでなく、スタッフに対しても感じてしまうのだった。

2021年12月28日火曜日

『ヘイトフル・エイト』-初タランティーノ

 脚本作品はいくつか観ているが監督作はこれが初めてのタランティーノ。

 「嵐の山荘」ならぬ吹雪の山荘で起こる連続殺人というミステリー仕立ての舞台設定なのだが、別に本格ミステリーなわけではなかった。まあそうだろうな。

 2時間47分という上映時間を長すぎるとは感じなかった。どうなるのかが予想できない。会話がタルいという感想もあるようだが、それも先がわからない感じから見続けてしまう。

 隠れていた一人の存在はいささか拍子抜けな感じがしたが、それでも実は、という設定が説明されていく終盤も、ミステリーのような論理性を求めるのでなければ、物語を追う楽しみを味わえる。

 何か後味の良さのようなものを感じさせてくれるわけではないところが、満足とは言えないし、もちろん感動を期待しているわけではないし、でも奇妙に悪くなかったと思える映画鑑賞の時間だった。


2021年12月27日月曜日

『LION 25年目のただいま』-子供の不安

 何の映画か知らず、アマプラの無料配信がもうすぐ終了になる映画で、やたらと評価が高いので、とりあえず頭を観てみる。観始めたのが深夜だったのだが、あまりの面白さにそのまま最後まで観る。

 冒頭の、岩山の遠景や、乱舞する蝶の中に主人公の子供が立つカットからもう尋常じゃない。広い道路を子供が渡るカットの不安も、はしる主人公を追うカメラも。つまり映画的な力が横溢している。

 物語が始まると、偶然から、故郷の街から遙かに離れた都会に列車で運ばれて迷子になってしまった5歳の子供の不安が観る者の胸に迫ってくる。5歳の少年の眼差しが、それだけでもう観客の心を波立たせる。

 それは自分が子供であった頃の不安の記憶でもあるし、子供が小さかった頃の親としての不安の記憶でもある。子供にとっての「待つ」ことの困難を思うと、子供を待たせる状況に置くことはおそろしい心痛なのだ。


 主人公が大人になってからは、前半部ほど息が詰まるような切迫感はなくなったが、記憶が戻ってから、自分を探しているだろう家族を思って、現在の生活を素直に受け入れられなくなる切なさも、それを乗り越えて故郷を探し当てる結末の感動も、全体としては恐ろしいレベルの映画だった。


2021年12月26日日曜日

『AKIRA』-細部の想像力

 神格化されている本作だが、30年以上前に観た記憶では、それほどすごいとは思わなかった気がする。

 で、観直してみると、なるほどすごい作画、すごいアニメーションではある。だが、お話はそれほど新鮮味がなく。

 それは既に原作の前作「童夢」からそうだった。評判の高さに比して、読んでみると、要するに超能力戦じゃん、だった。

 だから大友克洋の凄さは細部の想像力の緻密さにある。そこに、何かSF的な、つまり哲学的な深みを求めてもしょうがないんじゃないか、というのが前回の感想であり、4半世紀以上経って、今回もやっぱりそうなのだった。

 サイコキネシスによって壁が凹面状にひび割れる、「童夢」でも有名になった描写とか、レーザー兵器によって無くなった腕を無機物を撚り合わせて作るとか、玉座に座るとその腕が玉座の肘掛けに融合してしまうとか、腕を構成する電線様のものを玉座から引き剥がしながら立ち上がるさまとか。

 SF設定自体もだ。未来都市とか、AKIRAのような存在がいたらどうなるかというシミュレーションが緻密なことに感動しこそすれ、お話がどうだということもないし、感動的な話だというのでもない。

 この神格化との落差は『ブレードランナー』ととても似ている。岡田斗司夫が、口を極めて絶賛しながら、話は大したことないんだけど、と言うのを聞いて、やっぱりそう思っていいのかと納得したことがあるのだが、本作もそうなのだ。

2021年12月24日金曜日

『キャビン・フィーバー』-許せない不合理

 先月の『キャビン・イン・ザ・ウッズ』とは間が開いているが、昨夜から2作続けての「キャビン」物で、『ホステル』は未見だが話題のイーライ・ロスのデビュー作。

 昨夜のループ物とは違って、こちらは感染の恐怖を描くホラー。

 だが単なる感染の恐怖が描かれるばかりではない。犬に喰われるとか、謎の狂気じみた男たちが殺しに来るとか自閉症的な子供に噛まれるとか、主たる恐怖の本筋とは別の要素が混ざってくる。これは『フローズン』でも感じたことだ。余計なことだと感ずる。「感染の恐怖」をつきつめてくれないか。「感染の恐怖」という設定をしたら、それによって起こりうる様々な局面で映画を貫徹してくれていいのに。

 ホラー映画の怖さは、外から迫る脅威よりも、それに直面した人々の心である、というのも一つの真理ではある。感染という恐怖は、そうした恐怖を描きやすいとはいえる。だがそれに駆られて馬鹿な行動にはしる者がいるのはお約束とはいえ、あまりに馬鹿すぎると見ていてイライラするので、好みを言えば理性的で合理的な登場人物ばかりの方がありがたい。そうでこそ恐怖がひきたつと思うのだが。

 というわけで、総じて、展開といい登場人物たちの行動といい、不合理なことが多すぎて見ていて不愉快になった。

 「馬鹿馬鹿しい映画」というのがある種の褒め言葉になるような鑑賞は残念ながらできない。

2021年12月23日木曜日

『The Loop 永遠の夏休み』-ループ物の落とし前

 まあB級だとはわかっているが、ループ物は半ば義務のように観る。

 暢気で好日的なジュブナイルのような邦題副題に反して、物語は陰惨なキャビン物の殺し合いに展開していく。展開が遅いとかいう批判もネットにはあったが、まあそれは確かに。とはいえ、基本的にはループ物の基本の楽しみである、伏線回収がちゃんと行われて好感を持てる。

 とはいえ、構成はシンプルではある。ループしているという設定をしてしまえば、後の時点で起こることの断片を、小出しにするだけでいい。

 ループ物の落とし前は、そのループをどう抜けるかという試行錯誤を貫徹することだ。それは足りない。展開が遅いという批判はその点はあたっている。抜けるための足掻きが、何度かの挫折をするくらいには描かれてほしい。

 ラストがそれを描いているのかとも思われるのだが、単なる脅かしとしての意外性を演出しているだけなのかどうか区別がつかない。努力とか執念とかいうニュアンスが描かれていれば、それをある種のハッピーエンドとも受け取れるのに。

2021年12月19日日曜日

『ファウンド』-よくわからない

 なんだかよくわからない映画だった。

 やけにアップばかりのカットも異様だったのだが、兄の部屋のクローゼットには、ボストンバッグに入った生首があって、それがしばしば入れ替わるという冒頭も突飛だ。連続殺人鬼というだけでなくなぜ生首を部屋に持ち込むのかわからない。主人公がわからないというだけでなく観客にもわからない(そして最後までわからない!)。だからもちろん妄想オチなんだろうと思っていると、最後までそういう種明かしもない。どうやら映画内現実なのだ。

 あれこれ不愉快な現実が描かれ、それに鬱屈した日々を送る主人公始め、各登場人物たちは皆、不快だ。基本的にはひどい方向にしか事態が動いていかない(かろうじて、主人公が子供同士の嫌がらせに対して暴力で対抗したのはカタルシスを感じても良さそうな展開ではあったが)。

 さらに、部分的にいきなりな感じしかしない、なのにしつこいスプラッタシーンがグロテスクで、別にそれを求めているわけではないし、怖いわけでもない。主人公たちが見るビデオのシーンなのだ。

 怖くはなく、気持ち悪いだけ。

 結末の悲惨さも、復讐に見合ったほどの理不尽な仕打ちがされているようには見えないから、いわば過剰復讐のようにしか見えないのだが、そこに何だか意味ありげな読み込みをしている人がネットで多いのは、よくわからないタッチに惑わされているんではなかろうか。

2021年12月12日日曜日

『ゾンビ・リミット』-真面目なゾンビ映画

 邦題には「ゾンビ」の語を入れないとジャンルがわからなくて不案内になってしまうから『ゾンビ・サファリパーク』も『ゾンビワールドにようこそ』もそうなのだが、これも原題は「リターンド」といって「ゾンビ」は題名に入っていない。「戻ってきた」というのは、感染はしているが発症はしていないゾンビなのだった。

 すこぶる真面目なタッチで、演技も演出も編集も達者で、物語としてもどういうドラマを描こうとしているかは明確なのだが、どこが面白いということもなかったのは残念。そのドラマの決着としての徒なバッドエンドも楽しくはなかったし。

 いや、良い映画だとは思うのだが。

2021年12月8日水曜日

『ドロステのはてで僕ら』-最高

 コロナ禍で公開された本作を劇場に観に行くことはなかったが、ヨーロッパ企画で上田誠ときたら「サマータイムマシンブルース」だ。いつかは観ることは約束されていたといっていい。

 さて、始まってみると、終始楽しくてニヤニヤしながら観てしまう。タイムマシン・モニターによるドロステ効果というワンアイデアをどう転がしていくのか、興味津々だし、わちゃわちゃした空気感も、それなりに盛り上がっていく物語も、伏線の回収も、キャラクターのほのぼの感も。

 そして、ワンカットのPOV「に見える」作りのあまりの見事さにも終始圧倒される。お芝居の進行に伴って、どこからカメラがそれを撮るかはものすごい手間のかかった計画であることは想像に難くない。同じPOVの『ウトヤ島7月22日』のカメラが、ただ主人公たちに着いていくだけで、それほど難しくはないように見えるのに比べて、その工夫は圧倒的だ。

 恐ろしい低予算であることは観てわかるが、これで本広克行が余計なことをしている映画の『サマータイムマシンブルース』に比べてもはるかに面白し、かつ舞台版の「サマータイムマシンブルース」に比べても、おふざけの度合いが上品な範囲に収まっていてバランス的には本作の方が好もしい。

 最高だ。


 ところでエンドロールで、音楽担当に滝本晃司の名前を見つけて嬉しいびっくり。もう一度見直すときには音楽にも注意して観よう。



2021年12月4日土曜日

『ウトヤ島7月22日』-工夫がなく不合理

 ノルウェーで実際に起きた銃乱射事件を、全編ワンカットで描く。政治的な興味で観るわけではない。全編ワンカットというだけで観てみるのだ。

 カメラは、キャンプに訪れた先で事件に遭遇した主人公に付き従って、島内を逃げ惑う。設定としては十分面白そうだ。

 実際に映画では政治的な背景はほとんど描かれないし、そこに「社会」が描かれているという手応えはない。だからアクションとサスペンスと人間ドラマを期待するだけだ。


 だがしばらく観ていると、興奮やら興味よりも苛立ちの方が勝ってくる。登場人物たち、とりわけ主人公の行動原理が不合理で、その一方で映画的に面白さを確立する、時間あたりのイベントは少ない。

 状況がわからないことが恐怖の根源なのに、状況を知ろうとしない不自然が、まず観ていてストレス。知ろうとしているのにわからないなら、そのストレスは求めていたサスペンスを高めるのだろうが、ただわけもわからず逃げ惑っているという恐怖を描くよりも、なぜか合理的な根拠もなく隠れたまま動かない主人公を、長いこと映し続ける。

 手持ちカメラで撮り続けることはもちろん大変な作業だ。そのためにイベントを減らしてひたすら主人公を追う、ということになっているのだろう、とは思う。だからそこで繰り広げられるドラマが深ければそれなりに面白くもなるだろうが、残念ながらそれもない。

 予算規模は比較にならないが、趣向としては『1917』は当然、『LIFE』とも同じ面白さが期待されるはずで、工夫さえされればそれは予算規模に依存しないはずだが、残念ながら予算規模の差がそのまま作品としての面白さと比例している。予算規模としては同じくらいだろうと思われるPOVの『ヴィクトリア』の、その圧倒される密度が今更ながら思われる。

『LIFE』-サスペンスと強い感情

 採取してきた火星の土の中に発見された生命体(LIFE)が、宇宙ステーション内の隊員を殺して回る。完全に『エイリアン』だ。『遊星からの物体X』でもある。基本的にエイリアンをCGで描くところがそれらの名作とは違うところだが、それはプラスでもマイナスでもない。実物模型の陰影がないとも言えるが、その分、自由度も増している。

 密閉空間で、襲ってくる生命体とどう対決するか。趣向はそこにつきる。強靱な生命体を退治することは容易ではない。工夫を凝らし、勇気を持って、素早く判断し、我慢強く闘う。時として地球に対する義務と仲間に対する思いがぶつかって、決断を迫られたりする。

 ギリギリの危機が何度も襲ってくるサスペンスと、一人一人の隊員の死に対する強い感情が十分に描かれる、レベルの高いエンタテインメント作品だった。

 真田広之が、ジェイク・ギレンホールらハリウッドスターと同じ重みのクルーの一人だったのは嬉しかった。

 バッドエンドに落とす意外性は、それもエンタテインメント要素でもあるが、カタルシスと引き換えにして果たして収支はプラスかマイナスか。