2015年7月28日火曜日

『シンプル・プラン』(監督:サム・ライミ)

 原作は当時話題だったし監督はサム・ライミだし、見とこうと思って機会がなかった。
 事態が悪化の一途を辿る展開は決して気持ちの良いものではない。むしろ嫌な気持ちがするといっていい。だからこそ、かろうじて、最悪の結末の一歩手前で決着した結末に、いくぶんホッとしたりもして。
 もちろんだからといってハッピーエンドなどではありえない苦い結末の、主人公のアップが、それはそれで映画としては味わい深いともいえる。

 それよりアメリカ映画を観ていると、その生活感覚のずれ方がなんだか不思議だ。あのデカい家に住むのが当たり前で、日本人からすると普通の生活をしているように見えるのに、それでは不満だと感じている。犯罪に踏み込んででも、偶然に手にしたその金を自分のものにしたいという欲求が、日本人にはピンと来ない。
 あれは、「アメリカン・ドリーム」が基準になって「成功」がイメージされているからこその裏返しの悲劇なんだろうと思う。

 それにしても「死霊のはらわた」とも「スパイダーマン」とも全く違うサム・ライミの、真っ当な映画監督としての才能に納得させられる佳作ではある。

2015年7月12日日曜日

『ラスト・ワールド(原題『The Philosophers』)』

 またしても「TSUTAYAだけ!」。終末物に「バーチャル討論会」とかいう謎の煽り文句に惹かれて。
 始まってみるとなぜか舞台がジャカルタだし、終末物だというのに原題は「哲学者」だし、どういうこと? 登場人物たちはアメリカ人らしいけど?
 なんとインドネシア映画なのだ(見終わってから調べてみると)。となればもう前回の『FIN』同様、アメリカ映画を観るのと違って、CGの粗さにも許容水準がすっかり下がっている(逆にアメリカ映画は映像がどれほどよくできていようが、もうそれがどうした、という気がしてそれ自体をプラスに評価する気になれなくなっている)。

 で、結論を言えば大傑作だった。もうオールタイムで何十作かを選べばそこに加えてもいいと思えるほど満足したのだった。
 物語は、高校の哲学の授業で、核戦争で人類が滅びようとする時、核シェルターで生き延びさせる10人を選ぶとしたらどうする? という思考実験をする、という話。思考実験の中身が劇中劇としてCG合成のSF劇として描かれる。教室の場面がいきなりそこに接続する時の目眩のような感覚も面白いが、都合3回試行される思考実験の劇中劇の意味合いが現実の授業の人間関係と重なり合っていく構成が見事。これは映像とか演出とか演技とかではなく、とにかく脚本のできが素晴らしいのだ。
 この、映画内現実と劇中劇がミルフィーユになっている構成といえば、昨日観たばかりの鴻上尚史の「ハッシャ・バイ」が偶然にもそれで、娘が演出しているので観に行ったところ大感動して帰ってきたばかりだというに、妙な符合だ。
 そしてどちらも、ちゃんとテーマが「わかる」と感じられたところも満足感を得られた大きな要因だ。
 「ハッシャ・バイ」では、簡潔に言うと母親への愛憎、ということになるだろう。自立するために母親の支配から逃れなければならないことと、母親への愛情の間に生ずる葛藤をどう乗り越えるかが物語に方向性を与えている。
 「ラスト・ワールド」では、合理的判断よりも情緒的な判断の方が正しい可能性について、あるいは実学よりも芸術の方が生きる上で必要な場合がある、といったようなところか。これは佐野洋子の『嘘ばっか』の中の大好きな一編「ありときりぎりす」ではないか。きりぎりすの奏でる音楽が最初、雑音としか感じられなかったアリが、ある時、その音楽によって世界が輝くように感じられる場面が感動的なのだが、『ラスト・ワールド』でも終末において音楽の果たす役割が感動的に描かれたある場面では、あやうく泣かされそうになった。
 そして前回の『FIN』との決定的な違いは、ちゃんと物語が落ちているところだ。しかも実に見事な着地だ。伏線は回収されるし、テーマが強調されつつハッピーエンドに終わる。なおかつアンハッピー・エンドの結末までも「思考実験」的リフレインの手法で描かれもし、だからこそこれはハッピーエンドなのだと腑に落ちる。素晴らしい。

 ところでまたしてもネット上の評価は芳しくない。
 「逃した魚は大きいぞ」の批判は実に尤もだと思いつつ、大いなる満足が上回っている。
 「365日で365本 映画を観るブログ」は丁寧な感想を綴って大いに好感がもてる。
 とまれ監督・脚本のジョン・ハドルズはここに記録しておこう。
 

2015年7月10日金曜日

『FIN(邦題「ザ・エンド」』監督:ホルヘ・トレグロッサ)

 TSUTAYAの棚で見つけて、終末物やサバイバル物が好物の嗜癖が反応してしまった。それに『28週後…』のプロデューサーと『永遠のこどもたち』の脚本家という宣伝文句に期待をかけて。
 といいつつ、実はたぶんそれほど期待はしていなかったのだ。「ザ・エンド」だし(なぜ「ジ・エンド」ではないのかは結局わからない)、スペイン映画だし、「TSUTAYAだけ!」というDVDリリース自体がまず怪しいし。
 この、期待値の低さは精神衛生上大変好ましい結果を生む。実に満足したのだった。良かった。良い映画を観た。
 アメリカ映画を観るつもりだと許せないようなCGの粗さも全然許せるし、たぶんドローンによる空撮だって、空撮が入ること自体が予想外だったから、「おおっ! 空撮か!」とか、期待以上のような気がしてしまう。だからといって空撮が効果的であるような場面でもないのだが、そんなことは好印象に覆われてもうどうでもよくなっている。
 スペイン映画といえば最近では「REC」だが、なるほど、あの粗い手触りだ。
 集まった主人公たち数人を残して、どうやら全ての人間が消失してしまったらしい、とか、主人公たちも一人ずつ消えていく、とか、ノスタルジックなディストピアのテイストが満載の展開は、演技やカメラワークを含めた演出が確かならもう楽しくてしょうがない。人物描写も簡潔でいながらリアルな手触りを感じさせるし、スペインの山岳地帯や街並みがえらく綺麗なのも、どうしてこのSFサスペンス映画に!? という違和感を感じさせて良い。唐突な動物たちの、これでもか、という登場も異常で良い。異常なことが、単なる安っぽさや頭悪さと感じられないように作られている時には、それは異化効果となって表れるのだ。
 もちろん、あの、何も伏線を回収しない結末にはがっかりした。ここまで期待させておいてこれか、とは思った。が、それがネット上に溢れる、この映画への呪詛のようには、逆転しなかった。がっかりはしたが、それはそこまでの好感を減退させるものではなかった。もうそこまで楽しんだから、トータルに言って「良かった」でいいじゃん、という感じ。
 そうかあ、みんなそんなにこの映画に怒ったのか。もう散々な言われようなのだ、ネット上では。星一つ半って、何?
 そのなかではこのサイトの詳しいレビューが素晴らしい。

2015年7月8日水曜日

『震度0』 ドラマ版

 横山秀夫原作もので『半落ち』以外に何か、と探したらTSUTAYAにあった。映画かと思いきやWOWOWのドラマだった。
 さて結論を言うと、前述の『64』『クライマーズ・ハイ』に比べるとかなりおちる。テレビドラマ的な安っぽさはない。安い映画、くらいの画面の深みはある。が、そもそもNHKドラマの『64』『クライマーズ・ハイ』が異常なのだ。あのクオリティが。
 同時に、どうやらこれは原作の問題でもあるらしい。未読だが、アマゾンのカスタマー・レビューによれば、私がドラマを観たのと同様の不満を原作小説に対して抱いた読者も少なくないらしい。そしてそれは『64』『クライマーズ・ハイ』では満たされていた魅力である。すなわち、魅力的な主人公の存在である。
 例によって組織の中で翻弄される人々がリアルに描かれてはいる。だが『64』でも『クライマーズ・ハイ』でも、だからこそその中でぎりぎりの選択を迫られる主人公の矜恃が光るのだ。それなのに『震度0』では、主人公が自らの出世コースを守ることを第一義とするキャリアでしかない。そう見えて上川隆也だから、どこやらで格好つけるのかと思っていると、結局そのまま権力闘争(しかも地方の県警内部での)で終わってしまうのだった。警察の正義は? 仕事への誠実さは?
 真相にリアリティを感じなかったのも不満の種だが、これはドラマの演出のせいか不明。
 これも横山秀夫原作ものに対する期待値の大きさ故のやむをえない渋い評価だ。

2015年7月5日日曜日

『ダレン・シャン』(監督:ポール・ワイツ)

 こういう映画のことを書くのはしんどい。それだけは自分に課しているとはいえ、こうどうでもいいと。このあいだの『王様ゲーム』『生贄のジレンマ』みたいなのは、それはそれで言いたいことがあって、それなりに書きたいとも思うのに。

 原作未読。話題のダーク・ファンタジーに触れとくか、といったくらいの動機で。
 『ハリー・ポッター』も、読めばたぶん面白いのだろうが、映画でしか触れていない。『アズガバンの囚人』はなんといってもアルフォンソ・キュアロンだから面白かったが、それ以外はそれほど愛着はない。
 同様に、「ダレン・シャン」も、原作を読めば面白いのかもしれない(もちろんつまらないかもしれない)。が、まあ映画はこんなもんだろうな。聞けば原作ファンの間でも映画の評判は芳しくないという。続編が作れないほどだというから、この手のシリーズ物としてはひどい部類なのだろう。アマゾンのカスタマー・レビューも、あろうことか星の数が下へいくほど多い。
 いやまあ、それでも映画はそこそこ面白かったよ。原作への思い入れのないぶん、期待値も低い。肉弾戦がなぜかカンフー・アクションになっちゃうアンバランスさは、狙い所のわからん映画だとは思うが。主人公が後半になるにつれて格好良く見えてくるところなぞはちゃんと描けている。でもまあ、満足感のようなものを感ずるのは難しいなあ。やっぱり。
 それにしても重要キャストの一人、ジョン・C・ライリーは最近『おとなのけんか』で見たばかりだというのに、調べてみるまで同一人物だと気づかなかった。うーん、あまりに役柄が離れてて。

2015年7月4日土曜日

the HIATUS

 先々週末にthe band apartとTHE BAWDIESを借りたのを返したのと入れ違いに借りたのはthe HIATUS。
 いい。とりわけ「Shimmer」には驚いたが、こういうのはELLEGARDENファンからするとどうなんだろ。ELLEGARDENは、細美の声とメロディがなければ決して聴かないタイプのリズムのバンドだったが。