2022年3月31日木曜日

『王立宇宙軍 オネアミスの翼』-やはり名作

 娘が突然「トップをねらえ」を観始めて、つきあって見ているうちに、こういうのはやはりあんまり響いてこないのだとわかった。それで、見ながら常に脳裏に浮かび続けたガイナックスの前作である本作を観直そうということになった。

 公開から間もなくの時期には観ている。その後にもう一回くらいは観ているかもしれないが、いずれにせよ30年以上ぶりだ。

 アニメーションがすごいことは間違いないし、世界構築のすごさも、渋い味わいもあったはずだが、面白いとは言えまい、というのが記憶にある本作だった。

 さて今観るとどうなのか。


 いやはや、隅々まで面白い。

 もちろんご自慢の「世界観」だ。建物から生活雑貨まで、いちいちのデザインが、ちゃんと現実とは違った微妙な違和感も含みつつ、どこもかしこも美しい。アナログの匂いを残したシンセサイザーで奏でられる坂本龍一の音楽も、どこもかしこも美しい。

 その中で描かれる人間ドラマも、基本的には脱力しつつ、時々ユーモラスだったり、鬱屈していたり、昂揚したり。

 初見の時には前年に「天空の城ラピュタ」があったりして、ロケットが発射された後にどんな冒険があるのかと思っていたら、そこで映画が終わりなのに肩すかしをくったのだった。だがそこがクライマックスで、打ち上がれば物語的には完結していいのだと思ってみれば、これは間然するところなく充分な物語なのだった。打ち上げ自体にみんなが情熱をかたむけていたのだ。そして大国の戦略がそこにからむのだ。そしてそれは人類にとっての一歩なのだ。

 恐るべきディスコミュニケーションに遠ざけられたヒロイン像も、当時は消化不良のまま受け止められなかったが、今観ればそのままならなさこそ、この物語の陰影ではないか(ただし、宗教にのめりこむヒロインの信仰心を、微妙に偽物っぽく描けていればさらに文学的な味わいも増したろうに、などど無い物ねだりもしたくなる)。

 そしてこの映画が愛おしいのは、やはりこのアニメーション映画を作った若者たちの姿が、物語中のロケット打ち上げを通して浮かび上がるように思えるところだろう。さまざまな労苦も、横やりも、世代間の葛藤も協力も、状況からの圧力も、終わった後にはこれだけの仕事をやってのけたという満足と、しかし残る後悔と。

 あらためて特別な作品なのだと思い知った。


2022年3月19日土曜日

『透明人間』-評価保留

 宇多丸さんが年間ベスト1に選んでいるのを知って、いつかは見ねばと思っていた。リー・ワネルは前作の『アップ・グレード』に感嘆したので期待もできる。

 が、『アップ・グレード』に感じた、引き回されるような面白さにはわずかに及ばない。よくできているとは思うものの。

 「面白さ」というのは、奇跡的な存在だとこういう時に思う。よくできているということがすなわち面白いことになるとは、必ずしもならない。


 もちろんよくできている。

 「透明人間」という設定を活かす、実に勿体つけたカメラワークなどは見事だ。何も起こらないのに長々と見せるカットは『ギルティ』以来の緊張感。


 ヒロインが「美しくない」ことが、あきらかに意図的なのだろうが、それが一方では納得できないという批判も生むことに共感しつつ、だからこそそれは伏線なのかもしれないと思ったり。

 観直さないと確信が持てない。

2022年3月16日水曜日

『寝ても覚めても』-わからない

 『スパイの妻』の脚本の濱口竜介監督作。しかも初メジャー作。

 『ハッピーアワー』があれほどの作品だったのだから、という期待はあるし、識者の評価もすこぶる高い。

 だがアマゾンレビューでは酷評も多い。それは主演男優女優の現実の振る舞いに対する非難が重なってもいるのだが、単に演技を指してもいる。

 とはいえネットの酷評のように東出が下手だとは思えない。二役の片方は確かに不自然な演技ではあるが、それは不自然なキャラクター設定だからであって、現実的なキャラクターの方はすこぶるうまい。

 一方の唐田えりかが下手に見えるのは、やはりそもそも不自然なキャラクターだからでもある。とはいえ、たぶん上手くもない。

 だがそれはいい。

 だが問題は、物語が一見したところとても単純に見え、かつどうもそれだけではないらしいと思える、「それ以上」の部分がよくわからないと感じられるという点だ。

 非日常的な男に惹かれることと、結局は日常的な男に戻ってくる、という展開はわかりやすい。

 だがなぜヒロインが一度は日常系から非日常系に舞い戻ってしまうのか、そしてなぜ日常系に戻るのかがわからない。わかるべきなのかどうかもわからない。

 最後に日常系に戻る転換点となる、宮城県での堤防を登って海を見るシーンがどうにも心に響いてしまう理屈がまたわからない。異様に巨大な堤防の向こうがどうにも彼岸を感じさせるのだが、カメラが切り替わってヒロインの顔を正面からとらえる。表情はない。この顔にまた動揺する。それがなぜそうなるのかがわからないのだが、それを撮ろうと考えた監督の発想がまたわからない。

 地震の後のいくつかの小さなエピソードとも言えない描写とか、序盤の登場人物渡辺大知の筋萎縮性側索硬化症(ALS)発症とか、「わからない」がどうも強烈な物語性を含む映画ではある。

2022年3月12日土曜日

『スパイの妻』-リアリティの水準

 ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞作品なのだが、調べてみるともともとNHKのテレビドラマだという。観終わった印象は、なるほどテレビドラマ的なのだった。黒沢清のテレビドラマと言えば『降霊』と『贖罪』を見ているが、それら同様、画面の感触は映画と変わらないが、いかんせん、戦争を題材にしたサスペンスといいながら、あまりのスケールの小ささは呆れるほどだ。国際関係が描かれている感触もないし、といって戦時下の日本人の生活が描かれているとも感じない。

 とはいえ脚本には濱口竜介が名を連ねていることに期待してはいた。なるほど、ドンデン返しを仕掛ける脚本のうまさはある。だが、それが何か批評的な深みに繋がっているようには感じない。

 例えばラスト近くの、今の(戦時下の)日本では狂っていないことが狂っていることになる、などという「皮肉」は、うまいと言うべきか、あまりに凡庸で白けると言うべきか。感想は後者でしかないのだが、あれもまた何やら批評的な意味合いを評価されるような気がする。例えば上記の映画祭などでは。

 ではサスペンス映画として面白いのか? 監督が自称しているように。

 そう感じないのは、映画の基本的なリアリティの水準に信用ができないからだ。芝居がかった物語空間は、サスペンスを感じるべき危機感の水準もまた設定できない。

 そう、相変わらずリアリティの水準が低くてついていけない。そういう映画をあえて創ろうとしているのだとはわかるものの。

 例えば軍部に捕らえられた蒼井優の「スパイの妻」が、軍部の罪を記録した証拠のフィルムを軍の上層部相手に上映する時に、どういうわけで彼女が同席するのか(しかも何の戒めもなく)。

 そしてそこまでの展開が夫の策略だとわかった後に、その夫がボートで洋上を霧の中に消えていくときに、画面手前に向かって帽子を振る。一体誰に向かって振っているのか。あえていえばカメラに、つまり観客に向かって振っているのだ。つまりそれはイメージでしかないということだ。

 あるいはラストシーンで海岸を走る蒼井優が、異様な前屈みで前進していくのもついていけない。まるでリアリティはない。フラフラしている、というようなことではない。上半身を前に折りたたんで歩いて、やがてくずおれて泣き伏す。それが「壮絶な演技」をしているのだということはわかる。だがそれは頭ではわかる、ということであって、そういう物語のリアリティの水準についていけなくて白ける。

 変わらずの黒沢ワールドなのだった。

2022年3月6日日曜日

『バトル・オブ・セクシーズ』-「問題」作としてでなく

 『ラ・ラ・ランド』でアカデミー賞主演女優賞を獲った後のエマ・ストーンが主演したということで印象づけられた本作だが、テレビ放送でなければ積極的に観ようとは思わなかった。

 観てみると、面白い。よくできている。人物描写が確かでユーモアもある。説明不足とも思えるほどテンポも良い。

 結局は、最後の試合が、双方に負けられない戦いであることから生まれる緊迫感をもっているという、単純にスポーツの試合を見る楽しみだった。ただそれがとても上質に演出されたものだったから、満足感は大きい。


 ところで、実話を元にした本作のテーマが性差別への抗議であることは題名からも明瞭だが、主人公の女子プレーヤーが同性愛者として描かれるのはどうしたことかと思っていると、現実の本人がそうなのだった。

 そして、主人公たちの女子チームに協力するデザイナーがどうみてもゲイなのだが、これを演じているアラン・カミングは『チョコレート・ドーナツ』でもゲイを演じていて、実際にゲイなのだそうだ。

 なんだかそんなにLGBT問題を天こ盛りにしてどうする、という感じもするが、これが、本筋の性差別の問題を、微妙に相殺しているような気がするのはどうしたものか。


2022年3月5日土曜日

『ハロウィン』-ヒット作のはずだが

 題名がオリジナルと同じ「Halloween」だが、リメイクではなく続編。しかも40年後という、現実の推移と同じだけの時間が劇中でも経った設定で、オリジナルの女子高生が老女として登場する。キャスティングは同じ、ジェイミー・リー・カーティスだ(マイケル・マイヤーズの俳優も同じなのだそうな)。

 それだけでなく、タイトルのフォントも同じ、オープニング・ロールのデザインも同じ、物語のあちこちにも、オリジナルと同じカットが意識的に使われている。原作リスペクトが横溢しているが、これはまあオリジナルのファンサービスなんだろう。

 さて、始まってすぐ、オリジナルに比べて情報密度が高くなったロブ・ゾンビ版に比べても、さらに画面の情報が精細で深みがある、という印象。収監中のマイケル・マイヤーズに続いて、初老のローリーの佇まいも、単に記号的なキャラクターというだけでない複雑さがあるように見える(もっとも「ターミネーター」のサラ・コナーか「エイリアン」のリプリーに似過ぎているとも言える)。

 そうしたタッチの高級感とは裏腹に、面白かったかというとそうでもない。結局変わり映えしない殺人鬼の危機を逃れる追いかけっこであり、その攻防に特段の面白みが感じられなかった。

 原因の一つは、マイケル・マイヤーズがどうなると終わりなのかがわからないことか。ナイフや銃弾に怯みはするもののそれじゃあ死なないんだろうな、と思っているとその通り。第一作ではその意外性から恐怖も生じていたのだろうが、もう繰り返されたシリーズではもう意外性もない。ルールがわからないゲームは楽しめない。

 殺し方にさしたる工夫のないのもマイナス。『ハンニバル』や『ファイナル・デスティネーション』シリーズのような工夫が。不謹慎なことには、ホラーにはそういう楽しみがある。ところがマイケル・マイヤーズにはそういう創意工夫もない。何をしたいのかわからない。怒りや憎しみや快楽があるという感じではない。自動的、といった感じだ。そのわからなさが恐怖になるかというとそんなことはない。

 物語としても、冒頭に出てきたジャーナリストコンビが途中であっさり殺されて退場することの不全感も不満。物語の文法をそんな風に外してしまうことが、必ずしも効果を上げているわけでもなく。

 練りに練った作戦で、とうとうマイケル・マイヤーズをやっつけた、という爽快感があればよかったのだろうが、それも、うまくいっているのか偶然なのかも判然としないくらいの杜撰な展開で不審だ。

 ヒット作のはずだが、はて。


2022年3月4日金曜日

『凶悪』-批評的ではなく

 どんどん見られる。刺激的で観ていて高揚感がある。

 「凶悪」な犯罪が描かれる。それを追う週刊誌記者の調査にしたがって明らかになっていく事件が、再現ビデオのように挿入される。

 主人公の記者が事件に取り込まれていく過程が、観客がこの映画に取り込まれていくこととシンクロしていく。

 連続殺人事件を追う記者が事件にのめり込むと言えば『ゾディアック』だ。だがあれほどのレベルでは、残念ながらない。

 凶悪事件に対する義憤のように本人が意識しているのを、妻に「面白がっていたんでしょ」と喝破される辛辣さは皮肉がきいていて、まさしくこの映画を面白がる観客自身に向けられたように感じるが、といって批評的な面白さがあるというほどではない。

 死刑囚に、俺の死刑を最も願っているのはあんただと指摘されるラストシーンは、「凶悪」の対象が逆転するのを狙っているということはわかる。深淵を覗き込む者は深淵からも見返されている、というやつだろうが、そんな批評性も観念的だ。

 記者が、認知症の母親の世話を妻に任せて調査にのめりこむくらいことでは殺人犯たちの凶悪さにはまるで及ばないし、その母親を介護施設に入れる解決は、観客を安堵させる一方で、やはり批評性は薄れてしまう。そもそもその前に、妻に責められながらも母親の介護を放棄するといった描写がリアリティの水準を下げている。

 というわけで、批評的というよりも上記のように「面白い」という見方でちょうど良い映画だった。