2022年11月27日日曜日

『孤独なふりした世界で』-孤独な終末

 終末物が続く。人類が死に絶えた世界で、一人死者を弔って清掃と、自分の仕事である図書館の書架の整理を続ける男。そもそもが孤独な男だという設定が終末世界では一層際立つのだが、一方で男にとっては人々といる間の方が孤独だったという皮肉も語られる。

 途中からその世界に闖入する女の子が妙にエル・ファニングに似ているなと思ったら、ほんとにそうなのだった。小規模プロダクションの製作のB級映画かと思ったら。そのうちにシャルロット・ゲインズブールまで。

 とはいえ『アイ・アム・レジェンド』などとは比ぶべくもないスケールではある。淡々と描かれる終末。

 完全な終末かと思いきやそうでもなく、そこに残った文明がまた不快な歪みを持っているという展開は現代社会のメタファーでもあるのだろうが、それよりも、そうした真実がわかる意外な結末にいたる瞬間は、ちゃんと感情を揺さぶるように描かれている。だが、これはまたどういう感情なのかがわかりにくいのだった。

 主張という形で言えば、終末をちゃんと終末として受け止めるべきだというような言い方になるような結末なんだが、そんなふうにいうまでもなくなんとも味わい深い映画ではあるのだった。

2022年11月26日土曜日

『地球最後の男』『アイ・アム・レジェンド』-リメイク見比べ

 リメイクの『アイ・アム・レジェンド』はテレビ放送で2回観ていて、古典的名作になっているという本作は初めて。

 冒頭の人気の無い街並や、始終風の吹いている寂しい終末感はとても良い。ゾンビ物の古典になっているところにも敬意を払うべきかもしれない。

 が、原作のリチャード・マシスンは監督の演出力を低く評価したというのもむべなるかな、リアリティの水準はとても低い。緊張感もないしつっこみどころもある。ドンデン返しもまるで生きていない。

 気になって『アイ・アム・レジェンド』を見直してみると、あまりの映画力の差にクラクラする。人が死に絶えて3年経ったニューヨークの街が、圧倒的なスケールで描かれる。

 だが、こっちにはドンデン返しがないのだった。そんなのありなのか? 結末の意味がまるで変わってしまうこんな改変が。

2022年11月21日月曜日

『鑑定人と顔のない依頼人』-映画的

 実は『ニュー・シネマ・パラダイス』はまだ見ていない。『海の上のピアニスト』も。というわけでジュゼッペ・トルナトーレ監督作はこれが初めて。

 画面全体がとにかく豪華で、こういうのも映画の醍醐味だ。鑑定を依頼された半ば廃墟となったヴィラの内装や家具調度、主人公の秘密の部屋の、壁一杯の肖像画。何気ない街角やレストランも。

 そういった、映画的〝画〟を作ることと、堂々たるコンゲームとして物語を構成することとは、ともに「映画的」であることの精髄なのかもしれないが、どうも馴染まないような感じもして戸惑う。ドンデン返しに拍手喝采するような話だとは予測してない、という、ジャンル的な先入観。そういうのはもっと軽やかだったりサスペンスフルだったりするスピード感がほしくて、前半の重厚な描きっぷりからは肩透かしだった。


2022年11月13日日曜日

『プリズナーズ』-父親の焦燥

 ドゥニ・ヴィルヌーヴのハリウッド・デビュー作。だというのにヒュー・ジャックマンとジェイク・ギレンホールが主演というから随分信用されたものだ。確かに手堅い演出でぐいぐい見せる。

 幼い娘を誘拐された父親の焦燥は痛いほどわかる。一縷の望みをかけて、容疑者を私的に拷問するのがひどいとネットで叩かれているが、それをしないで後悔するよりは心を鬼にして、という選択はありうる。ただまあ、ああいうアメリカ人の父親の「必ず」「絶対」の類いの根拠のなさには毎度鼻白む。

 事件の真相に向けて、はみ出し刑事が迫っていく過程はひきこまれるが、最後まで見ると、ただ惑わせているだけといういささか余計な伏線もあり、そのわりに真相がどうもピンとこない。まあそこに宗教に絡んだ心理があるせいか。

 それから、他の映画でも時折そうした描写が気になるのだが、素人が銃を突きつけて他人を脅すとき、距離が近すぎる、という演出にリアリティの水準が下がる。致命的な展開になるくらいなら、充分素早い動きで銃を払うなどするのに賭ける方がいいに決まっている。犯人はそれを防ぐことができるようなプロではないのだから。

 というわけで、面白く見つつ、どうも最後あたりで微妙にがっかりもした。

『女神の見えざる手』-最高級

 原題は主人公の名前『ミス・スローン』なので、この邦題は全くの創作だが、もちろんアダム・スミスのもじりだろうから、何かが意外な形で自然に、不作為に調和するという結末になるんだろうと思っていたら、単に女性主人公の隠していた奥の手、くらいの意味だった。劇中で「手を隠している」という表現が何度か使われていたところからの発想だろうが、つまらぬミス・リードを招くから原題のままでいいのに、と思ったり。

 すごい映画だった。アメリカ政治におけるロビー活動の様子も興味深いが、とにかく作戦遂行にあたっての実行力と議論力が素晴らしい。ついていくのは大変だがスリリングでエキサイティングこのうえない。

 知的に組み立てられたゲームが劇中に展開しつつ、そこにプライドや生活やもはや人生がかかっているといっていい重みがある。敵が無能にも、単なる悪にも描かれない。そういう価値観も理もあるだろうと充分に思える。

 単なる痛快な結末というわけではなく、何かを得るために何を犠牲にするかという決断と、それに向けた綿密な計画と、それを物語としてのクライマックスに見せる映画としての構成に唸った。

 これほどの演技を見せたジェシカ・チャスティンがアカデミー賞にノミネートされないのは、銃規制というテーマに対する配慮から、映画自体がタブー視されたんだろうか。

 ともかくも脚本・演出・編集・演技ともに最高級の一作だった。

2022年11月6日日曜日

『サン・オブ・ザ・デッド』-ゾンビに肩入れ

 実に低予算なC級映画だった。ゾンビが一匹(一人?)しか出てこない。

 メキシコに近い砂漠が舞台でヒロインがゾンビにつきまとわれる、という話。ゾンビは足の遅いタイプで、歩いて逃げても追いつかれないが、ひたすら追いかけてくる。途中、偶然手に入ったゴムボートを荷物運びに使っていたが、その後でそれと路上に捨てられた古タイヤを使って、ゾンビに荷物を運ばせるというアイデアだけは拍手喝采物だった。

 なぜかゾンビに肩入れしてしまう心理も面白かったが、やむをえない別れの後、長々息子に会いに行くエピソードが描かれる間、そこまでのゾンビの存在がまるでストーリーにからんでこないのは勿体ない。

 低予算とはいえそこは脚本にがんばってほしかった。


『パーティーで女の子に話しかけるには』-パンクSF

 どうみても青春映画を予想させる題名で、その通りではあるんだが、謎のセンスで描かれる、サイバーパンクならぬパンクSF。ニコール・キッドマンとエル・ファニングがキャスティングされているんだから、インディーズというわけではないのに、描かれる世界はとてもインディーな感じ。

 異星人との接触が、70年代のパンク少年たちを主人公にして描かれる。SFとしてのセンス・オブ・ワンダーがあるかというとそうでもないし、主人公と異星人の少女の交流は凡庸なボーイ・ミーツ・ガールになっているとも思う。パンクのライブ場面は素晴らしい高揚感だったが、CGで異空間が描かれるのはチャチくてがっかりさせられる。

 安い手ではあるが、時間の経過と喪失感を感じさせるエピローグがあって、いくらか印象は良い。