2024年4月1日月曜日

『高速を降りたら』『ケの日のケケケ』『ある日、下北沢で』『島根マルチバース伝』

 年度末に放送された単発ドラマをまとめて録って次々と見た。

 どれも、それぞれに物語を作ろうとする脚本家の心意気があって、見始めてうんざりして止めるというようことはなかったが、どれも手放しで絶賛、残しておきたいと思えるようなものはなかった。が、こういうふうに物語を享受するのは精神の必須栄養素だという気もする。

 『高速を降りたら』は高速道路で東京から新潟に向かう車中の3人の男の会話劇。「男らしく」いたいと思いつつも情けない現実にどう折り合うか。3組の夫婦のそれぞれの事情が少しずつ語られていく。

 『ケの日のケケケ』はNHK創作テレビドラマ大賞作品の映像化(『高速を』の作者も以前の同賞の佳作受賞者だとか)。「不機嫌なモンスターにならないためには」というモノローグで始まるところにどきりとして、映像は実に映画的で美しい。感心して見ていたがどうも物語の感動が不足している。何だろう。感覚過敏の主人公という設定が斬新だともいえるが、「不機嫌」の原因がそうした、どうにもならない身体的な条件で、人物を巡る葛藤は思いのほか少ないのが致命的。唯一出てくる理解してくれない教師は類型的で無理があると思える。何か惜しい。あれだけの映像作品なのに。

 『ある日、下北沢で』は土岐麻子や曽我部恵一や西寺郷太が実名で出てきて、音楽も西寺というサブカル的内輪感に好感が持てないこともないが、いかんせん、物語は弱い。

 『島根マルチバース伝』は並行世界を体験できる装置で、いろんな可能性の世界を体験して、結局この現実で生きていくしかないという結論になる物語。「地方発ドラマ」という趣旨のシリーズとして「島根」という地方をフューチャーしているのだが、「この世界」と「この地方」が重なっているわけだ。


2024年3月23日土曜日

『ビューティフル・マインド』-高評価の訳

 天才数学者を描いた映画と言えば近いところで『イミテーション・ゲーム』だし、統合失調症を描いた映画と言えば『シャイン』だが、アカデミー賞を総なめにしている本作は、そのどちらほどにもよくできているとは言い難い印象だった。

 無論、出来が悪いとは思わない。映画自体はロン・ハワードによる手堅い職人芸だし、ラッセル・クロウもジェニファー・コネリーも達者な演技ではあった。が、監督賞や俳優賞をとるほどの特別さとも思えなかった。

 ことにアカデミーが脚本賞を与えたというのが解せない。どこにそんな面白さがあったか。妻の愛がジョン・ナッシュを支えたという結末なのだが、そうした過程が充分に描かれているとは思えず、彼女は単に苦労したが逃げ出さなかった程度にしか描かれていない。重要な映画的トリックであるところの叙述トリックも、驚きはしたものの、何か伏線が張られて、後でそうだったかとカタルシスを生ずるような仕掛けにもなっていない。妄想で見えている3人が、物語的にどういう意味を持った3人なのかも、無理矢理説明すればできないこともないが、なるほどそうだと感じられるように描かれているとも思えない。とにかく3人は妄想で、そうした事実が身を切られるような喪失感で描かれるわけでもない。

 良い映画ではある。だがあれほどの評価の高さがどこから生じているかがわからない。アカデミー賞の作品賞は、何かしらアメリカ的な事情があるんだろうなと思えるのだが、それが何なのかわからない。


2024年3月20日水曜日

『一秒先の彼女』-幸せに満ちた

 アマプラのリコメンドで上がってくるまでまったくなんの情報もなかったが、かなりの高評価に、リメイクは宮藤官九郎の脚本だという。リメイク版の最初をしばらく観たが、思い直して原作を。

 台湾映画といえば『牯嶺街少年殺人事件』くらいしか観た覚えがない。さて。

 最初のうちは高評価の期待に支えられて見続けたが、軽いコメディという感触くらいでしかなかったが、消えた一日の謎をさぐるべくヒロインが動き始めてからにわかに面白くなった。ヒロインの愛嬌のあるキャラクターの魅力でもあるが、謎でひっぱるストーリーテリングの巧みさが大きい。

 だがさらに、前半が終わって後半は主人公を変えて、前半のできごとを別の視点から見せる。そして消えてしまった一日へ展開する。コメディタッチの恋愛ドラマかと思っていたら、「時間が止まる」などという超常現象が起こる展開にびっくりし、その時間の特別さが実に愛おしく描かれる。

 とりわけ、満潮になると水面下に沈む、何かの養殖場らしい桟橋をバスが走るシーンは、高揚感に満ちた展開なうえにとても美しかった。

 基本的には伏線を張って、それを幸せな方向に決着させる、本当によくできた幸せな映画だった。

2024年3月2日土曜日

『スウィング・オブ・ザ・デッド』-低予算ゾンビ映画

 インディーズでゾンビ物といえば『コリン』だが、これもまあセンスは悪くない感じではあった。

 ただ、何か心揺さぶられるようなエピソードがあるかというとそうでもなかった。がっかりしてしまうような安っぽい描き方にいらいらするというわけではないが、だからといって面白さがあるかといえばまたそれは別の話。後味が悪いのも残念。

 緑がやたらときれいなのは印象的だったが。


2024年2月26日月曜日

『レヴェナント:蘇えりし者』-大自然

 イニャリトゥ監督は『バベル』『バードマン』についでやっと3作目。

 画面の重厚感は強烈で、アメリカ大陸開拓時の自然に対する人間の足掻きは、すこぶる直裁的な肉体的脅威として観るものに迫ってくる。先住民との抗争も、平面移動が空間的な広がりを感じさせる撮影演出が見事だった。

 だが、それほど面白い物語とも思えない。わかりやすい復讐譚であり、そこに爽快感のようなものがあるかといえば、それよりも喪失感の方が大きく、後味が良いとも言えない。一方で何か、アメリカという国の成り立ちにかかわる啓示があるというような感じもしなかった。アメリカ国民が見ると抱くような感慨が起こらないことは映画の罪ではなくこちらの問題なのかもしれないが。


2024年2月25日日曜日

『ベイビーわるきゅーれ』『最強殺し屋伝説国岡』-オフビートな

 殺し屋の女子高生コンビが、オフビートな殺し屋ライフを送りつつ、時々ハードなアクションを見せる。

 ものすごく面白いかといえばそうでもないが、軽妙なやりとりが続く展開は悪くない。そして最後の大立ち回りのアクションは相当によくできていた。とはいえ、結局徒手格闘ということになれば体格の問題が大きく影響するはずで、そこをごまかしているという点では気になる。

 スピンオフの『最強~』は時々跳ばして見たのだが、こちらはさらにちゃちかった。まったく不必要に長い格闘シーンのシークエンスは、『ゼイリブ』のような、単なる過剰で、リアリティも中途半端。

2024年2月23日金曜日

『今朝の秋』-ドラマの力

 山田太一死去に伴う一連の追悼放送で、NHKは『チロルの挽歌』とこれを放送したのだった。いや、各局がそれぞれにもっているソフトを放送しても良いはずなのに、この程度なのはどういうわけか。権利問題とかいろいろあるんだろうか。単にテレビ局の営業的な判断だとすれば、山田太一の文化的な貢献の価値に対する信じがたい軽視に思えるのだが。

 ところで本作は大学生時の放送だから、録画したはずもなし、リアルタイムで観たのか再放送で観たのかもわからないが、あの頃にはこういうドラマの良さはわからなかった。

 山田太一といえばテーマ先行で、中学生の時に知って以来、ドラマを通じて社会の問題をどう考えればいいのかを学ぶ教材として観ていた。もちろんその問題の考え方として重要なのは複数の視点から見るバランス感覚だ。山田太一ドラマ及びエッセイは、その点では思春期における思想形成には絶大な影響があった。

 だが同時に、それはドラマ(物語)という形式をとっていることが大きかった。「問題」に伴う人間の感情の在り方に対する想像力が欠けていては、バランスと呼ぶに値しない。

 そして本作はそうした意味で「テーマ」型のドラマとは言いがたい。言えば「老境」と「息子の死」ということになるのだろうが、これは上記のような意味での「問題」ではなく、それについての考察が展開されるというタイプの物語でもない。大学生の身にこうしたテーマがリアルかと言えばそうとも言えず、正直、印象は薄い。ラストシーンの笠智衆の表情が趣深いと当時、テレビ評で見た覚えがあるのだが、そういうのはよくわからなかった。

 さて、それから40年経って観てみると、なるほどそうなのだった。趣深い。笠智衆の存在感が、あまりに貴重なのだった。

 ドラマとしては、息子の病室から帰る病院の廊下で、息子を故郷の蓼科に連れて行ってしまおうと思いついて病室に戻るシーンから後の展開の高揚感と、その後の蓼科での穏やかな多幸感は、やはりドラマとして力があった。

 それにしても、40年前に既に、最後は皆で集まって歌を歌うのか!


『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』-高校の部活動

 テレビシリーズを見てきて、この物語及びアニメの水準の高さには敬服してきた。が、キャラクターデザインの「アニメ過ぎる」ところに抵抗もあって、何が何でも追っかけるぞというほどに熱心にもなれない。

 が、観てみればやはりよくできている。アニメの水準の高さはさすがの京アニ。そして、高校の部活動の悲喜こもごもが、実によく描かれている。みんなが意思統一することの難しさ。学年が変わって新体制になるときのトラブル。技術と学年の逆転が起こる悲劇。

 そして多くの時間をかけてそうした問題を乗り越えてきた結果が、目標に届かなかった時の痛み。

 4月からのクールで主人公が3学年になる新シリーズが放送されるというので、その前宣伝だったのだが、これも楽しみになった。

2024年2月22日木曜日

『チップス先生さようなら』-長い間

 最近、小説の方を読んで。69年のピーター・オトゥール版を。観た記憶はあるんだが、見覚えのあるシーンは全くなかった。おまけにミュージカルだったのも記憶になかったので、歌い出してビックリ。なんとも古き良きイギリスのパブリック・スクールの日々が描かれているが、映画のつくりとしても古き良きハリウッド映画という感じ。あんなに多くの学生をエキストラで登場させるだけでも、大変な金と手間がかかっているだろうに。

 さて、ミュージカル要素にはまったく心を動かされないのでそこにはプラスもマイナスもない。それ以外の物語要素は、小説と同じ手触りの愛おしさがあった。大きく脚色されていて、ほとんど重なるエピソードはないのだが、それでも。

 長い時間が経過する。チップスは登場する時点で中年なのだが、そこから最晩年まで(小説ではその最期まで)が、世代の入れ替わりで示される。変わってゆくチップスと変わらない学生たちが対比される。チップス自身の変わらない部分と変わってゆく部分も。

 そうしたテーマを描くのに、チップスの専門教科が古典というのが的確に対応している。こんな勉強が何になるのかという引いた視線も持ちつつも、戦争の色濃い非常時に通常の古典の授業をやり続けることの意義を説く教師魂は共感できる。

 そして小説版、映画版とも、自分には何千人の子供がいると語るシーンが感動的だったのは不思議だった。映画版のピーター・オトゥールの演技が感動的なのは間違いないのだが、テキストで読んでもやはりそのくだりは感動的だった。

 メディアの語り口というのは、物語の感動にとって最重要要素だと思っていたのだが、必ずしもそうとも限らないか。いや、その内容の感動的であることを充分伝えるだけの語り口をそれぞれの作品が実現していたということか。

2024年2月12日月曜日

『グリッドマン・ユニバース』-胸熱

 評判も良さそうだったし、劇場公開時に見に行こうかという気も無いでは無かったが、早々にアマプラに出たなあと思ってしばらく放置。娘とタイミングが合ってようやく。

 大満足と言って良い。相変わらず美術のリアリティにもうなるが、台詞回しのうまさは演出のうまさなんだろうと思わせる、実に味わい深いやりとりが続く。オフビート感とエモーショナルの両立・共存。

 何より魅力的なのは世界に対する違和感で、この世界、なんかおかしい、という気配が濃厚になってからのシークエンスは作画のレベルも極めて高く、ドキドキした。

 惜しむらくはブログ主に特撮ヒーロー趣味のないことで、愛好者にはたまらないだろう格闘シーンとか、どうでもいい。

 ただ、オールスターキャストが大集結、という展開は二つのテレビシリーズを見てきた者には胸熱だった。

2024年2月4日日曜日

『ラン・オールナイト』-気楽

 実に一ヶ月ぶりで、今年に入ってようやく2本目。本当に昨年後半から、映画を観る時間をとるのが実に難しい。録画したものがあれこれ溜まっていくばかりで、その消化を優先していると映画のようにまとまった時間を必要とする視聴ができずに毎日過ぎていく。

 ということで週末に思い切って観ようと決める。だが久しぶりなので構えずに観られる洋画を、と本作。お話は実にシリアスだが、気楽に観られるアクション映画。

 ジャウム・コレット・セラとリーアム・ニーソンといえば『アンノウン』も『トレイン・ミッション』も『フライト・ゲーム』も面白かった。一方でリーアム・ニーソンが子供を助けるために、昔の殺人術を駆使して、となれば『96時間』シリーズで、これも期待できる。

 で、展開のスピードもアクションの質も間然するところがない。実にうまい。

 どうやって決着をつけるのか見当もつかないと思っていたら、なるほど主人公が全部被って死ぬという落としどころか。

 最後の戦いがやや冗長で残念とは思ったが、最後のショットの演出は実に爽快でかっこよかったので、それも許す。

 新味はなかったが、映画リハビリには良かった。

2024年1月3日水曜日

『地球外少年少女』-圧倒的

 年末にNHKで6回に分けて放送していたが、昨年『電脳コイル』の再放送は、磯光雄の『電脳コイル』以来の新作だという本作の宣伝だったはずだ。ということで劇場版という認識だった。

 正月に帰ってきている娘とともに一気観する。


 いやはやおそろしい出来だった。ものすごく面白い。

 ストーリー展開が緊密で、ずっと先に引っ張られる。隙のない脚本に舌を巻いていると、そもそもアニメとしての描写がうまい。

 その上、AIの判断をどこまで正しいと見なすかという哲学的な問題を、ありがちな安っぽさではなく、実に真面目に扱っている。

 圧倒的なレベルの作品。寡作もいたしかたないという磯の仕事なのだった。