2016年10月16日日曜日

『大脱出』 -考えるのが億劫な

 脱獄ものについては以前書いたが、そんな連想で見てみると、これが、ひどいとは言わないが決して感動的でも面白くもない。スタローンにシュワルツネッガーじゃ、どうなっても勝つに決まっているとしか思えなくて。
 最初の顔見せの脱獄はそこそこ考えられた設定で、なかなか良くできた脚本の映画なのかと思ったが、本編の監獄がどうにも甘くて、本気でハラハラできない。
 怒る気にはならないが、熱を込めて語りたい気にもならないこういう映画を観たときに、それでもここだけは掟として破らずにいるブログの記事をどう書くか、考えるのがなんとも億劫で。

2016年10月9日日曜日

授業で詩を読むことは数独を解くことに似ている

 珍しく詩を教材として扱って、あらためて思うのだが、基本的に国語科の授業として読む上では詩も小説も評論も、古文も漢文も、やることは要するにテキスト解釈なのだった。
 たとえば「永訣の朝」をやっているときに、「賢治の宗教観とかを扱うんですか」と知り合いの教員に聞かれて、それが自分にはあまりに想定外だったことに感慨を覚えた。考えもしなかった。なるほど、そういう発想もあるのか。一般的には。
 あるいは「永訣の朝」にこめられた兄の悲痛な思いを切々と語って、生徒を泣かせる教員がいるという話も最近聞いた。なるほど、そこまで作品に感情移入して読むのは確かに豊かな鑑賞体験に違いない。
 だが前者のような読みは、作品の外部に広がる「知識」の準備を教員に強要し、後者のような授業は、教員に役者じみた芝居っ気が必要となる。
 どちらもそれが有益な体験となる場合もあろう。だが筆者はそうした方向を選ばない。それは個人的な適性の問題でもあるが、一方で、そうしたやり方が「国語」の授業の目指す方向であるとは思えないからだ。
 前者のような授業は生徒に、詩そのものに対峙するのではなく詩の周辺情報を集めることが詩を「正しく」読むことだという誤解を、後者のような読みは、結局、詩を「気分」で読むことが正しいのだという誤解を、それぞれ蔓延させる。
 そう、最近も上記とはまた別のベテラン教員から「詩は分析するものではない」とか、はたまた別の教員からも「詩の解釈は人それぞれで良い」というようなお決まりの見解が語られるのを聞いて、激しい脱力感と憤りを感じた。
 それは、あるレベルではそうであろう。分析を目的として詩を読む必要はないし、詩の解釈が限定的であることは散文ほどには保証されていない。
 だがまずは国語科授業である。ここは詩の鑑賞をするより、言語的訓練をする場である。それに鑑賞は、まっとうなテキスト解釈が保証されて、その上でやればいいし、その上でやるしかないはずだ。
 そのテキストを、まずはまっとうな作法で解釈すること。そこには広く「常識」としての「知識」だけを携えて、あとは徒手空拳で臨むしかない。その「常識」だけは生徒に保証すべきである。だが、普通の人が知るはずのない、例えば作者に特有の事情などをそこに持ち込む必要はない。それを事前に手にしていることがかろうじて授業を成立させるしかないような国語の授業など、もはや「国語」の授業ではない。

 たとえば「弟に速達で」の読解にあたって、辻征夫についての予備知識は、まったく用いていない。そもそもまるでない。
 だが我々があるテキストにふれるときには、基本的には手持ちの知識でその文字列に対峙するしかないのだ。
 どれほど誠実にテキストに対峙するか。授業ではそうした姿勢でテキストに向き合ったときにひろがる世界を生徒ともに体験したい。

 その時、詩を読むことは数独を解くことに似てくる。
 詩の言葉は散文に比べてテキスト自体の情報量は少ない。だがそこには、表に表れている情報を整合的に含み込むことの出来る認識の構造があるはずだ。書かれている数字から、純粋に論理的な推論を用いて空白の枡に入る数字を見つけ出すように、現前する詩のテキストから、それが組み込まれているはずの構造を推測しつつ、書かれていない言葉を補完するのだ。
 むろん数独そのもののような唯一解にはたどりつかないだろう。語り手が30才まで何をしていたかも、語り手を北に向かわせる「小さな夢」が何なのかも、確定できるほどの情報量は提示されていない。数独としては解が複数になってしまう、不完全な問題である。そういう意味で詩が解釈の自由度の高いテキストであるのは確かだ。
 だが、解くという努力を放棄して安易に「自由な解釈」や「情緒的な鑑賞」に陥るのは、間違いなく詩に対する不誠実である。

 それでも、詩というテキストを読解する行為は不思議だ。一見「不誠実」とは思われない語り口の次のような読解が、しかし筆者の読解とはまるで違った「構造」を背後に想定してしまうのだ。
 このブログ主は第一聯を次のように語る。
「おばあちゃん」にあまり会っていない弟なのだ。「おばあちゃん」から離れて、弟は遠方に住むのだろうか。その距離や時間的な空白の中には、淋しさや郷愁などが、薄い靄のように流れているのかも知れない。と同時に、疎遠な印象が、どっしりと弟の前に隔てとなって聳えているかのようである。
まるで違う印象を抱いている筆者には、こうした印象が詩のテキストから生成されることがどうにも不思議に思える。
 弟が「疎遠」であれば「最近会ったか?」とは聞かない、と思う。確かに「あまり会っていない」のかもしれない。だがそれはとりたてて「疎遠」というほどのことはない、通常の成人の親子関係の範囲であろうと感ずる。生まれた孫についての会話を電話でしていて、その後、直接会ったかどうかが、語り手には確認できていないだけなのだ。「あったか?」という問いかけはむしろ、会っていてもおかしくはないことが前提されているように思われる。
 さらに次のように言われると、戸惑いはいっそう激しい。
「おばあちゃん」が「ノブコちゃん」と呼ばれるのは、どんな時だったろうか。「ノブコちゃん」が子供だった頃のことを良く知っている人たちが、多分そう呼び慣わしているのではなかったか。遙かな昔の時間が、すぐ目の前に迫るかのような呼び名なのである。つまり「ノブコちゃん」という呼び名は、遙かな昔を現前させることで、現実の距離や空白の時間をすっかり埋めてしまい、重層性を現前させる力をそもそも持っている、と言って良い。
筆者には、ここに「『ノブコちゃん』が子供だった頃のことを良く知っている人たち」が想起される理由がまったくわからない。単に母親を「ノブコちゃん」と呼ぶ、兄弟と母親の「今どきの」関係性が感じ取れるだけだ。
 母親を「ちゃん」づけする成人した息子たちは、30才まで定職に就かずに母親を心配させた息子たちである。そしてまたその母親はそういう息子を育てた母親である。いわゆる戦後の新しい家族的なスタイルとして、母親を「ちゃん」づけで呼ぶ習慣のある息子たちと、友人のような母親の関係を、ここは想像すべきではないのか。
 こうした解釈もまた「詩の解釈は自由だ」というお題目で許容されるのだろうか。
 かりにそうだとしても、それを許容することよりも、その妥当性について議論することの方が有益な「国語」の授業たりうることは間違いない。

辻征夫「弟に速達で」の授業3-夢見る一族

Q なぜ語り手は「おばあちゃんの老眼鏡を 思い出した」のか。
承前

 誘導のため、さらに考える糸口を与える。
Q 「おれ」は三十才まで何をしていたか。
「正解」はない、と言っておく。自由に想像していい。
 自由に、とはいえ、文脈に齟齬をきたさない範囲であることが条件である。「定職」には就かず母親に「しんぱいばかりかけた」というのだが、これを今風に「ひきこもり」だったのだと考えるのは不適切だ。短期労働か、今風に言えばフリーターででもあったものかはともかく、はずしてはならない条件として、少なくとも何かしら「夢」を追っていたのだと考えるべきであろう。そう考えてはじめて、三聯がこの詩におかれていることの意味がわかるからである。
 生徒には具体的にイメージさせる。

  • ミュージシャンになりたくてバンド活動していた。
  • 俳優になりたくて劇団に所属していた。
  • 起業家を目指して会社設立を企画していた。
  • NGO組織でボランティア活動をしていた。
  • 小説家を目指して投稿を繰り返していた…。

 これは一人「おれ」だけではなく、弟もそうなのである。そのことが「ノブコちゃん」に「しんぱいばかりかけた」ことを語り手は自覚している。だからこそ定職について給料で買った贈り物に母親が喜んだことを印象深く覚えているのである。

 次の考察に進む前に、時間をとってゆっくり展開するつもりならば、次の問いを投げておいてもいい。
Q 「おれ」は北に何をしに行くのか。
詩の論理に齟齬のない範囲内でなら自由に考えていい、と言い添える。

  • 流氷の軋むオホーツク海を見る。
  • 見渡すばかりのラベンダー畑に佇む。
  • 大雪山頂から石狩川を見下ろす。
  • オーロラの空の下に立つ。
  • 脱サラして北海道で牧場を営む。

 むろん「何をしに行くか」に率直に答えるのなら詩の中に「はるかな山と/平原と/おれがずっとたもちつづけた/小さな夢を/見てくる」と書いてある。だからこの問いは「小さな夢を見る」という表現がどのような想像を許容するかをはかる思考を促しているのである。
 さまざまな想像が教室内に提出され、そのイメージの広がりと重なりのなかで「はるか」という名に込めた願いが、いくらかなりと実感されるのは悪くない。どこまでの想像なら詩の論理に齟齬をきたさないか、という検討はむろん有益である。この北への旅が、一時的な旅行なのか、北への永住の決意なのかは見解の分かれるところかもしれない。
 ともかくもこれらが筆者の言うところの「小さな夢」であり、それは、三十才で定職に就くときに一旦は密かにしまっておいたものだということを確認しておく。この四聯を踏まえて、三聯の「三十才」までの過ごし方が想像されるべきなのだ。そしてそれを再び追うことを決意させたのは、母親の、孫への命名にこめられた願いである。

 さて、「夢を追う」というキーフレーズが提出されたことで、詩の論理を追う手掛かりができた。二聯と四聯の内容を「夢を追う」というフレーズを使って言い換えてみる。

二聯 祖母が孫に「はるか」という名を提案している
   →祖母が孫に「夢を追う」ことを期待している/願っている。
四聯 伯父が、自分の夢を見るために北へ行くと宣言している
   →伯父が姪にも「夢を追う」ことを期待している/願っている。

 こうした言い方に沿って、三聯を言い換えるとどういうことになるか。

三聯 息子が定職に就いたことを母親が喜んだ。
   →息子が「夢を追うのを諦めた」ことを母親が喜んだ。

 母親が孫に「はるか」という名を提案していることを聞いたとき語り手が「老眼鏡」を思い出すのは、息子が「はるか」な「夢」を見ることをやめた時に喜んでいた母親の姿を連想したからである。母親はかつて息子が定職に就いて「夢」を見ることをやめたとき、そのことを喜んだのだった。
 そう考えてみると、このプレゼントが老眼鏡であったことにも、いささか穿ち過ぎの解釈ができないこともない。老眼鏡とは遠くではなく目の前を見るための道具である。「夢」を追っていた二十代の終わりに定職に就くにあたって、「おれ」が贈ったのが、目の前を/現実を見るための道具としての老眼鏡であったことは何か象徴的だと言えなくもない。
 「なぜ思い出したか」はこのように言えるとはいえ、まだこの詩の中で三聯が果たしている役割については一貫した論理が見えていない。その点についてさらに考える。
Q 整合的な二聯と四聯にはさまれた三聯の不整合をどう考えるか。
つまり、
 二聯 祖母が孫に「夢を追う」ことを期待している。願っている。
 三聯 息子が「夢を追うのを諦めた」ことを母親が喜んだ。
 四聯 伯父が姪にも「夢を追う」ことを期待している。願っている。
という流れを納得できるように追う論理を問うのである。

 さて、三聯をはさむ詩の論理展開についての最終的な生徒の意見を聴き、それらを検討しつつ、最終的には以下のような筆者の読みを語る。

 母はかつて息子が「夢を諦めた」ことを喜んだはずなのに、今は生まれたばかりの孫に「夢を追う」ことを願う。そして息子はそうした母親の願いを聞いて、自らももう一度「夢を追う」ことを決意し、あわせて姪にも、母親と同じ願いをかける。
 つまりこれは、懲りない一族の物語なのである。
 母は確かにかつて「夢」を追ってなかなか定職に就かない息子達を心配したが、考えてみれば息子をそのように育てたのはとうの母親自身である。彼女は息子達が「夢を追うのを諦め」て定職に就いた時に喜んだはずなのに、今また性懲りもなく孫にも「遠く」を見ろと願っている。
 それを知った「おれ」に生じた感慨はどのようなものか。
 つまり「おれ」は、母が「はるか」という名を考えたことを聞いて、かつての自分の生き方を、母親から肯定されていると感じ取っているのである。「おれ」は母親に「しんぱいばかりかけた」が、そんな生き方を、母親は否定してはいなかったのである。それを「おれ」は、「はるか」という命名案に感じ取る。夢を追っていた日々を、母親がどのような目で見ていたか、今あらためて感じているのである。
 「おれ」がこの命名に寄せる感慨はそのようなものだ。
 そして定職について母親を安心させはしたものの、「おれ」も相変わらず「小さな夢」を「ずっとたもちつづけ」て、今また北へ旅立とうとしている。そして母親と同じく、姪にも「夢」を見続けろとけしかけるのである。
 連綿と続く夢見る一族の性。
 これはそうした懲りない一族の詩なのである。

 結局、読み取った詩の主想は最初に読んだときとそれほど違いはないかもしれない。この詩は相変わらず「ユーモラスな感じと、クールな格好良さ」のある、何かしら好もしい詩である。
 そして一連の授業過程を経てあらためて感じ取られたこの親子に流れる血のつながりもまた、おなじように「ユーモラスな感じと、クールな格好良さ」という印象である。
 それでも、考察によって、詩を構成している論理が目に見える形で浮上してくる瞬間は、筆者にとって、ほとんどカタルシスといっていい、興味深い認識の転換であった。
 「弟に速達で」はそうした仕掛けが期待できるという意味で、きわめてすぐれた教材である。

2016年10月8日土曜日

辻征夫「弟に速達で」の授業2-なぜ老眼鏡を思い出すのか

 承前

 詩という形式は、そもそもが「わからない」ことだらけである。単に情報量の少なさに加えて、散文に比べて、素直に意味をとらせないこと自体に、詩という形式の独自性があるとさえいっていい。
 だからともすれば「わかる」こと自体を放棄してしまう一方で、わかったつもりになって看過してしまう部分も生じがちである。
 さて、もう一つ、さらに気づきにくい違和感について指摘し、生徒とともに考察してみたい。次の問いは、この詩における三聯の意味である。
Q 第三聯が、この詩に置かれている意味は何か。三聯はこの詩の中で何を語っているか。
この詩に書かれていることを次のようにまとめてみる。

一・二聯 ① 祖母が初孫の名前を考え、息子に提案する
  三聯 ② 母親に送った老眼鏡を語り手が思い出す
四・五聯 ③ 語り手が北へ旅立つにあたって、母親と同じ願いを姪にかける

 書かれていること、書いてあることは、とりたてて「わからない」とは感じない。だが、意識してみると、なぜ①に続いて②が語られるのか、またそれが③に続く脈絡は、わかったようでわからない。
 ①と③の関連はわかる。祖母の考えた「はるか」という名が、そのまま語り手の「北」への思いに重なるからである。だがそこに②を挟む脈絡とはなんだろう。
 この問題意識は、恐らく生徒には理解されにくい。上記の問いを投げかけても途方にくれるばかりだし、「脈絡がわからない」という、問う側の問題意識がそもそも共有されそうにない。「わからない」とは思わない、と言われてしまえばそれまでだ。
 そこで問題を微分する。
Q なぜ語り手は「おばあちゃんの老眼鏡を 思い出した」のか。
「なぜ思い出したのか」を説明するということは、それを思い出させる契機が何であるかを明確にし、それと老眼鏡の想起の因果関係を説明するということだ。その契機を明らかにすることで①と②の脈絡を捉えようというのである。何が「おれ」に老眼鏡を思い出させたのか。
 しばらく考える間をとってから、次の問いを加える。
Q 「おれはすぐに」とは、何の直後なのか。 
①の何事かに続いて②が起こったことが「すぐに」だと述べられているのである。その因果関係を捉えるうえで、何と何が連続しているのかを明確にしておきたい。
 ところが実はこれは案外に即答の難しい問いなのである。そのことは、問われてみるまでは意外に気が付かないはずだ。詩の読者は詩を貫く論理・因果関係をそれほど明確には把握せずに「なんとなく」読んでいる。
 契機はむろん「はるか」という名である。だが、それを語り手が耳にしたのはいつなのかは、にわかにはわからない。詩句から直接抜き出せる語句はなく、考え始めると、情報の整理に頭を使う余地がある。
 もっとも、生徒から「『はるか』という名を聞いたとき」という素朴な答えが出てくる可能性もある。間違っていない。その場合は「誰から、いつ聞いたのか」という問いに切り替える。
 二聯「いったのか電話で」から、弟と母親が電話で話したことがわかる。そしてそれは「そうだな」という伝聞の助動詞からすると、間接的に語り手に伝えられている。つまりその場に語り手は同席していない。②は母親が「いった」時に起こったことではないということだ。
 この命名が話題に上った電話とは、たとえば娘の誕生を弟が母親に報せた電話である。当然おめでた自体はそれ以前から母親の知るところであり、誕生の報告にあわせて、母親はひそかに暖めていた命名案を息子に提示したということだろうか。
 そのことを語り手が知ったのはまた別の機会である。母親と語り手がそれより後のどこかで電話でか直接にか、会って話しているのだろうか(もっといえば、母親と語り手が同居している可能性も想定していい)。
 あるいは命名案のことを弟に聞いた第三者(たとえば弟の奥さん)が語り手にそのことを話した可能性もある。少なくとも弟からではない。この件を語り手も知っていることは弟にはまだ知らされておらず(「いったのか電話で」と聞いているのだから)、そして一聯「さいきん/おばあちゃんにはあったか?」から、その後弟と母親が会ったかどうかは語り手には不明である。
 つまり、「老眼鏡を思い出した」のは、孫の名前として「はるか」を弟に提案(推奨?)したということを、後から母親あるいは第三者から聞いた直後「すぐに」ということになる。
 ではなぜ語り手はこの話から老眼鏡を連想したのか。
 だがこうした疑問も、一聯の「おばあちゃん/ノブコちゃん」の言い換えが必要だった理由などと同じく、読者にとっては読み進める詩句のすべてが新情報だから、何はともあれそれを解釈しようとする構えにとっては疑問として意識されにくい。だからまずは生徒に、これが疑問である、つまり因果関係はそれほど自明ではないことを確認する必要があるのである。
 実際に生徒から出された説を列挙してみる。

  • a 「遠くに見える」からの連想で、見るための道具としての「老眼鏡」が思い出された。
  • b 母親を話題にのせるとき、その外観上の特徴として「老眼鏡」がイメージされた。
  • c 孫が生まれたことから、母親の老齢が実感され、そこから「ゆるゆるになったらしい」「老眼鏡」が連想された。
  • d 母親が孫に贈る名前を、あれこれ考えていたのだろうという想像が、自分が母親に老眼鏡を贈ったときにもあれこれ苦労して考えていたものだという連想に結びついた。
  • e 孫娘はいわば母親にとっての贈り物であるという認識が、自分が母親に贈った老眼鏡の連想に結びついた。

 いずれもそれなりにわからないでもない。このような解釈のアイデアが生徒から提出されたときは、なるべく「なるほど」という反応をしておく。そのうえでそれぞれの解釈について検討する。
 aについては、老眼鏡が近くを見る道具であることと「遠くに見える」の齟齬がひっかかる。
 bについては、老眼鏡が常にかけているものではないことから、外観上のイメージを代表しているものと考えることに疑問がある。あるいは、そもそも語り手が母親と直接会って命名の件を聞いたのだとすると、この説明は成り立たない。
 cは、単に「孫の誕生」ではなく「命名」の件を母親から聞くことと連想の因果関係が明確でない。「孫の誕生」→「老齢」の連想ならわかる。だがここでは「命名」→「老眼鏡」という連想である。この因果関係はやはりよくわからない。
 そして、a、b、cいずれも③に続く脈絡が不明で、②の内容がこの詩の中に置かれている充分な理由を説明してはいない。
 また、a、b、cの解釈は「老眼鏡に」焦点があっている。それに対してd、eは、「老眼鏡」そのものではなく、それが「はじめてのおくりもの」であったという点に重心が置かれている。つまりa、b、cでは「老眼鏡」の出自は問題ではなく、単に「ノブコちゃん」が買ったものでもかまわないことになる。それに対してd、eでは「おくりもの」がたとえばネッカチーフなどでもかまわないことになる。
 どう考えるべきなのか。
 d、eは「はじめてのおくりもの」であったという点から連想の機制を説明しようとしている。それぞれなかなか巧みな考察であり、授業では称賛に値する。だが筆者の考えでは、これはいわば考え過ぎである。そうだとすると、そうした読みに読者を誘導する情報が、ほかに詩中に示されるはずだからである。それが書かれていないことが不自然だと感じられるのである。
 ではなぜ「おれ」は「はるか」という名から「老眼鏡を 思い出した」のか。

続く

2016年10月7日金曜日

辻征夫「弟に速達で」の授業1-「おばあちゃんとは」の謎

 平成26年度から高等学校で使用されている明治書院の「高等学校 現代文B」を、本校では昨年度から採択している。27年度の3年生が1年間だけ使って、その下の学年は2学年から使っている。今年はその学年が3年に進級して、こちらはもう一度3学年の授業を受け持ち、同じ教科書でもう一度授業をすることになった。
 そして今年の1年生が来年から2年間使って、それでこの教科書は改訂となる。
 昨年の授業で手応えを感じたいくつかの教材について、昨年度の終わり、3月から4月にかけて、まとめてみようと思い立った。昨年の今頃には、そんなつもりはなかったのだが。
 それは、教材の汎用性の乏しさにもよる。それらの教材は、この教科書の、この版にしか収録されない可能性の高い教材だろうと思われる。
 だが今年、もう一度授業をしてみて、まだ2年は使われる可能性のあるこの教科書の教材を使った授業について、やはり記録にとどめておこうという気になった。二つの学年で扱ってみて、やはりやるに値する教材であり、授業であると感じたからだ。
 以下、辻征夫「弟に速達で」、恩田陸「オデュッセイア」、小川洋子「博士の愛した数式」を取り上げた授業について、2年分の知見をもとにまとめてみる。
 最初は、昨年、「永訣の朝」をとっかかりに目覚めてしまった詩の授業である。


   弟に速達で
                                                            辻 征夫 

さいきん
おばあちゃんにはあったか?
おばあちゃんとは
ノブコちゃんのことで
ははおやだわれわれの

まごがうまれて
はるかという名を
かんがえたそうだなおばあちゃんは
雲や山が
遠くに見える
ひろーい感じ
とおばあちゃんは
いったのか電話で

おれはすぐに
すこしゆるゆるになったらしい
おばあちゃんの老眼鏡を 思い出した
あれはおれが 三十才で
なんとか定職についたとき
五回めか六回めかの賃銀で買ったのだ
おれのはじめてのおくりもので
とてもよろこんでくれた
なにしろガキのころから
しんぱいばかりかけたからなおれやきみは

じゃ おれは今夜の列車で
北へ行く
はるかな山と
平原と
おれがずっとたもちつづけた
小さな夢を
見てくる
よしんばきみのむすめが
はるかという名にならぬにしろ
こころにはるかなものを いつも
抱きつづけるむすめに育てよ

北から
電話はかけない


 辻征夫「弟に速達で」を授業で取り上げて何ができるか。
 そもそも国語科の授業で、ある教材を読むことの意義は、ともかくも生徒がそれを読むという機会を作る、というだけで既に存在する。だから、韻文でも散文でも、詩でも小説でも評論でもコラムでも、読むだけでも意味はある。
 さらにそれ以上に授業に意義があるとすれば、一人で読むのとは違った何らかの認識の発展が生徒の裡に起こること以外にはない。「弟に速達で」を授業で取り扱うと、一人で読むのとは違った、どのような認識が、どのような過程を経て生徒の裡に生成されるのだろうか。

 授業で読み込むまで、個人的には、この詩に、とりわけてわからないところはない、と思っていた。そして何かしら好もしい印象を抱いた。
 全ての教材が、特別な解釈を必要としているわけではない。ただ読めば「わかる」文章もある。読者それぞれにその文章を受け止めればそれでいい、といったような。
 それでも、素直に感じた印象を言葉にしたり、その印象がどのような作用で成立したのかを分析したりすることも、国語科の授業としては有益である。微妙な感情を他人に向けて表現すること、その感情と言語の関係について考察すること…。
 だが「印象」はあくまで個人の内的なものであり、その分析は、その印象を抱いた人自身がするしかない。どんな感じ? と聞いて生徒自身にその印象を語らせ、どこからそんな感じがした? とその機制を分析させる。
 もちろんそれは容易なことではない。難しければ、例えば教師自身がそれをやってみせるだけでもいい。
 この詩には、ユーモラスな感じと、クールな格好良さがあると思う。そうした印象を感じさせる要因を思いつくまま挙げてみる。
 「ははおやだわれわれの」の、不自然に平仮名ばかりの表記や、一字空けにすらしない倒置法をぬけぬけと読者の前にさらすふてぶてしさ(同様の詩行が何カ所もある)。
 「ははおや」を「ちゃん」付けで呼びながら弟に「きみ」と呼びかけること。
 「ひろーい」「ガキ」「じゃ」といったくだけた口調。
 夢を見るために北へ向かうという子供っぽさと「電話はかけない」と言い切ってすっぱりと詩を断ち切る鮮やかさ。
 こうした、詩の「印象」と「分析」を語る行為は、有り体に言えばいわゆる「鑑賞」であり、それは本来、詩を書くことと同じくらい創造的なことだ。どうしようもなく、それを語る人自身が問われてしまう。恐ろしくて、そうおいそれと一高校教師にやれるものではない。我々は国語の授業を主催する者ではあるが、創作家ではない。
 そうではなく、何か語ることがあるとすればそれは作家の伝記的事項だったりするのだろうが、高校生に「辻征夫」がどんな詩人で、文学史的にどのように位置づけられるか、などと語ることにとりたてて意味があるとも思われない。あるいはこの詩がいつごろ、どのような状況で創られたものかを知ることは、いくらかはこの詩の理解に資するところがあるかもしれないが、そのようにしてこの詩を理解することはそもそもそれほど意味のあることでもない。右のような「鑑賞」も、なんら「教える」べき内容でありはしない。

 だから詩を読む。テキストから得られる情報を検討する。するとわかったつもりになっていた詩句にも新たな発見がある。教師自らが読み返しながら更新されていく「読み」を意識化して授業として展開する。読んでわかること以上の認識を生徒の裡に生成するために「問い」を仕掛ける。
 一読後、右の「印象」以外に最初に問うのは、ここに登場する人物の関係である。
Q 一聯から二聯の始めに登場する人物の関係を整理せよ。
これを理解させたいわけではない。読み取らせたいだけだ。
A 「ノブコ」の息子である「おれ(語り手)」と「弟」、「弟」の娘(はるか?) 
黒板には家族図(樹形図)の形で板書する。



 「一読」だと、この関係がすんなりわかる者とわからない者に分かれるから、話し合いをさせる。先にわかった者がわからない者に説明する。わかった者の自尊心を擽る。
 一読ではわからなかった者がいるとしても、ここまではすぐに「わかる」べきことである。「問い」によって、ここまでの理解を揃える。
 問題は次の問いである。
Q なぜ、一度「おばあちゃん」と言っておいて、それを「おばあちゃんとは/ノブコちゃんのことで」と言い直す必要があったのか。ここから何がわかるか。
読者側から言うと、詩の各行を順番に読む中で、「おばあちゃん」と呼ばれる老婦人が「ノブコちゃん」と「ちゃん」づけで呼ばれることに驚きつつニヤリとさせられ、続けてそれが自分たちの母親だと言われてさらに驚く。「おばあちゃん」が「ノブコちゃん」なのも意外だが、母親を「ノブコちゃん」と呼ぶのもはなはだ突飛だ。驚きとともに一瞬混乱はするものの、だが母親を「おばあちゃん」と呼ぶ習慣は、日本人にはさして特殊なものではないから、二聯で「まご」が出たとたんに、先述の人間関係が、たちまち把握される。つまりこの詩行は、それなりに「わかる」。
 そして「わかる」ことによって見過ごされてしまう。
 三行目「おばあちゃんとは」は、よく考えると奇妙である。「おばあちゃん」が誰のことを指しているかが相手にとって必ずしも明確ではなく、誰のことかを特定する必要がある、という場面は特殊である。聞き手が「どこの老婦人のことだ?」と思うような文脈で「おばあちゃんにはあったか?」などと聞いたりは普通しない。
 だが読者にとっては一行ずつが新情報であり、それを解釈していく中で、その不自然さに気づきにくい。「おばあちゃんとは」が、まるで読者に対する解説であるかのように受け取ってしまう。だがこの特定、言い換えは、我々読者のために必要だったわけではない。この詩句の読者とは、題名からして弟であるという設定だからである。
 とすれば、言い直しが必要な理由は、「おばあちゃん」と言えば誰を指すのかが、ある程度は明確であり、なおかつ一応は確認する必要もある、という微妙な場面であるということだ。それはどんな場合か。

 「祖母」と呼ばれる人は、通常は母方と父方の二人いるから、どちらの「おばあちゃん」かを特定する必要があるのだ、という意見が生徒から出る。
 だがこれは無理である。「はるか」にとっての「おばあちゃん」とは「ノブコちゃん」ともう一人、弟の奥さんの母親である。だが、語り手にとっては彼女は血のつながらない他人だから、それを「おばあちゃん」と呼ぶとは考えにくい。

 では「はるか」にとっての曾祖母が存命中ならばどうだろう。つまり「おれ」と「きみ」にとっての「おばあちゃん」と「はるか」にとっての「おばあちゃん」を区別する必要があったのだ、という解釈である。
 これは論理的には可能な解釈である。だがそのように考えるのは不適切である。書いていないことを「論理的にはありうる」こととして想定していくと解釈の可能性は果てしなく拡散してとりとめがなくなってしまう。読者が自然な解釈をするために必要な情報は、基本的には作品中に書かれているはずだと考えるべきなのである。書かれている情報を整合的に包括する解釈を考えるべきなのだ。

 では「おばあちゃんとは」という言い換えが必要な整合的で自然な解釈とは何か。
 この「問題」はいささか抽象的に過ぎて考えるためにはとりとめがないから、必要に応じて誘導も必要かも知れない。たとえば「そもそも自分の母親を『おばあちゃん』と呼ぶのはなぜ? どんな場合?」と、わかりきったことをあらためて聞く。そう、孫がいる場合である。とすると…。

 この言い直しが示しているのは、つまり「はるか」が「ノブコ」にとっての初孫なのだということである。
 今までこの兄弟の間では、母親を「ノブコちゃん」と呼んできた。だが孫が生まれると、日本人の家族間呼称の習慣に従って、「ノブコちゃん」は今後「おばあちゃん」と呼ばれるようになる。とりわけここでは、この後で「まご」が話題に上るから、その力学で「ノブコちゃん」は「おばあちゃん」として話題に登場する。
 だがその呼び名はまだこの兄弟には馴染みがなく、一応確認が必要に感じられているのである。
 そこから、語り手には子供がまだいないこと(既婚/未婚の別は不明だが)、「はるか」に兄姉はいないこともわかる。語り手と弟に他に兄弟がいるかどうかは不明だが、彼らにも恐らく子供はいないということになる。

 この詩は、初孫の誕生にあたって、名前を考える老婦人について、その息子が、もう一人の息子に書き送った手紙、という設定なのである。
 こうした読解は、一読後ただちに読者に了解されるわけではない。上記のような問いによってあらためて考えなければ、読者の裡に生成されはしないはずの読みである。

 さて、昨年の授業で思いついたのはここまでだった。
 だがその時から気になっていて、その後、考えているうちに自分なりに答えにたどり着いたと思えた点があって、今年はそこまで授業を展開できた。
 次のような疑問である。
Q なぜ語り手は「おばあちゃんの老眼鏡を 思い出した」のか。

 この項、続く。