ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞作品なのだが、調べてみるともともとNHKのテレビドラマだという。観終わった印象は、なるほどテレビドラマ的なのだった。黒沢清のテレビドラマと言えば『降霊』と『贖罪』を見ているが、それら同様、画面の感触は映画と変わらないが、いかんせん、戦争を題材にしたサスペンスといいながら、あまりのスケールの小ささは呆れるほどだ。国際関係が描かれている感触もないし、といって戦時下の日本人の生活が描かれているとも感じない。
とはいえ脚本には濱口竜介が名を連ねていることに期待してはいた。なるほど、ドンデン返しを仕掛ける脚本のうまさはある。だが、それが何か批評的な深みに繋がっているようには感じない。
例えばラスト近くの、今の(戦時下の)日本では狂っていないことが狂っていることになる、などという「皮肉」は、うまいと言うべきか、あまりに凡庸で白けると言うべきか。感想は後者でしかないのだが、あれもまた何やら批評的な意味合いを評価されるような気がする。例えば上記の映画祭などでは。
ではサスペンス映画として面白いのか? 監督が自称しているように。
そう感じないのは、映画の基本的なリアリティの水準に信用ができないからだ。芝居がかった物語空間は、サスペンスを感じるべき危機感の水準もまた設定できない。
そう、相変わらずリアリティの水準が低くてついていけない。そういう映画をあえて創ろうとしているのだとはわかるものの。
例えば軍部に捕らえられた蒼井優の「スパイの妻」が、軍部の罪を記録した証拠のフィルムを軍の上層部相手に上映する時に、どういうわけで彼女が同席するのか(しかも何の戒めもなく)。
そしてそこまでの展開が夫の策略だとわかった後に、その夫がボートで洋上を霧の中に消えていくときに、画面手前に向かって帽子を振る。一体誰に向かって振っているのか。あえていえばカメラに、つまり観客に向かって振っているのだ。つまりそれはイメージでしかないということだ。
あるいはラストシーンで海岸を走る蒼井優が、異様な前屈みで前進していくのもついていけない。まるでリアリティはない。フラフラしている、というようなことではない。上半身を前に折りたたんで歩いて、やがてくずおれて泣き伏す。それが「壮絶な演技」をしているのだということはわかる。だがそれは頭ではわかる、ということであって、そういう物語のリアリティの水準についていけなくて白ける。
変わらずの黒沢ワールドなのだった。
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