2015年10月16日金曜日

宮沢賢治「永訣の朝」を授業する 3 ~なぜ頼んだのか?

 承前

 ちょっとした頭の体操としての導入に続いて、いよいよ詩に分け入る最初の問いは
なぜ妹は兄に、みぞれをとってきてくれと頼んだのか?
である。
 しばらく間を置く。それから付け加える。答えは大きく分けて二つ。階層が異なる答えだ。一つは詩の中に書かれてあることから推測する。もう一つは詩の中に直接書いてある。
 こうした条件に合う「二つ」の理由を揃えるとなると、どちらの答えが浮かんだ者であれ、しばらくは考えざるを得ない。こうなるともう生徒同士の話し合いに持ち込める。話し合いによって、複数の答えが誰かしらから提出されることを期待する。それが先の条件に合うかどうかを複数の目で検討する。

 さて、一つ目の答えは
A「高熱にあえぐ喉を潤したいから」
である。生徒は「食べるため」と答えるかもしれない。「おまへがたべるあめゆきをとらうとして(十行目)」からの抽出である。その場合はさらに「どうして食べたいの?」と聞き返す。この病室で、兄が妹の頼みでみぞれをとってくるという行為が、人々にどのように了解されているかを確認したいのである。たとえ妹と兄の二人しか病室にいなかったとしても事情は同じである。そうした了解を読者も共有しなければならない。理由は知らず、みぞれを食べたいと言う妹のためにみぞれをとりに走るわけではない。なぜ妹がみぞれをとってきてくれと頼んでいるかは、それを食べるためであると病室の皆に了解されているし、なぜみぞれを食べたいのかも、妹がはっきりと口にしたかどうかはわからないが、やはり皆に了解されているだろう。兄がそれを不審がっている様子がないからである。とすれば後は「はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから」から推測される理由をもって一つ目の理由を完結させればいい。
 二つ目の、「詩の中に直接書いてある」理由は、そのまま詩の一節を指摘させる。十八~二十行目の「わたくしをいつしやうあかるくするために/こんなさつぱりした雪のひとわんを/おまへはわたくしにたのんだのだ」とある。つまり
B「兄を一生明るくするため」
である。
 多くの指導案で、同じ問いを見かけるが、いずれも想定している答えは右のどちらか一方である。どちらも正しい。にもかかわらず問われた生徒も、発問する教師でさえ、通常はどちらかの答えを念頭に置いて質疑に臨むのである。他方はいわば盲点になっている。だから「二つ」と指定する意味がある。「わかっている」と思っている状態に揺さぶりをかけるのである。さらに、授業の意義は周囲に他人のいる状態で、同じ問題に臨んでいることである。この利点を活かさぬ手はない。

 だがこれで終わりではない。問題は後者である。続けて問う。
 「みぞれをとってくること」がなぜ「兄を一生明るくする」ことになるのか?
この因果関係は、読者には「わかっている」。だがそれを説明することは容易ではない。こうしたポイントは問いの成立する糸口になる。考える方向を指示する。必ずしもわからないわけではないはずだ、同時に説明は難しいはずだ、にわかに答えられないからといって、「わからない」わけではない、お互いに説明しあってごらん。
  「わからない」生徒には無論考えさせる意味はあるし、「わかっている」と感じて過ごしている生徒にも、再度、その納得のありように自覚を促す。
 正解としての短い答えを求めているわけではない。その納得の内容を語り、相手に同意を得ることができるかを各自に要求しているのである。
 さて、みぞれの採取を頼んだのは妹である。それは何事か妹自身の欲求によるはずである、というのがとりあえず病室にいる者たちの了解であるはずである。それがAだ。なのになぜその依頼を叶えることが「兄を一生明るくする」のか。というより、なぜその要請を「兄を一生明るくするため」だと考えることに賢治だけでなく読者もが納得するのか。
 さて、どう説明したらいいだろう。
 生徒の説明が充分であると感じるまで、多くのやりとりが必要になるかも知れない。もちろん誰かがあっさりと的確な説明をしてしまうかもしれない。思うように進まないようなら、逆に「暗くなる」としたらそれはどうしてか、あるいは、兄自身はどうしたいのか、などと誘導のヒントを与える。ともあれ、誰かがたどりつくものだ。
 つまりこうだ。妹のささやかな最後の頼みを叶えることが、手をこまねいて妹の最期を看取る以外に何も出来ない兄の無力感、罪悪感を、いくらかなりと救うのである。その小さな救いが、それ以降の兄の一生を明るくする、と妹は考えているのである。
 こうした説明は、充分に問いの「なぜ」に答えていると感じられる。だが、こうした答えを引き出した後で付け加えたいのは次のことである。
ここには、
1.みぞれを食べたいというトシの欲求(A)
2.トシの1の欲求を叶えたいという賢治の希望
3.2の希望を実現させることで兄の無力感を軽くしたいというトシの配慮
4.妹の要請が3の配慮に拠るものなのだと考える賢治の推理(妄想?)
が入れ子状に重なり合っている。
 生徒にはこんなふうに言うわけではない。この一節から読み取れることは、トシのために何かしてやりたいと賢治が思っている、…とトシが考えている、…と賢治が考えている、ということだ。そのことを我々は直ちに自覚するわけではないが、なおかつそれを理解しているのである。自分が理解しているものを自覚すること、さらにそれを他人に説明することの難しさはいかばかりか。
 この問いはそうした国語学習でありながら、さらに後に続く読解の伏線になっている。

 以下次号 「段落わけ・比喩」

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