2015年10月10日土曜日

『運命のボタン』(監督:リチャード・ケリー)

 ここ2~3年のうちに観たことは明瞭に覚えている。コメディかと思って観始めると意外とシリアスな話だったという記憶はある。ボタンをめぐる選択を迫られる話だった。大金が手に入るが、どこかで誰かが死ぬというボタンを押すかどうか?
 例によって、観たはずなのに先が読めないのは良い映画であったはずはないのに、そのことを確かめるためだけに観た。どのシーンも、まるで見覚えがない。だがその映画を一緒に観たことは娘も覚えている。この印象の薄さは何事だ。キャメロン・ディアスが主演で、明白にB級な映画だというわけではないというのに。
 じきに見覚えのあるシーンも出てきた。だがそれも単発で、とにかく先が読めない。次々と謎が提示され、風呂敷はひろがっていくばかり。どうなる? と思うと、まるで納得のないまま終わる。よく考えれば合理的な説明はつくのか? 多分つかない。キリスト教的な寓意があるとはネット上の解釈に見られるが、まあそれを認めるとしても、映画として細部が納得いくほどの整合性をもっているとは到底認められない。
 これもまた、完成に至るまでどうして最後まで誰も止めなかったのか不思議な映画だ。

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