2020年3月22日日曜日

『インデイペンデンス・デイ リサージェンス』-同工異曲の縮小再生産

 前作はなかなか面白いと思ったのだが、全くそこから進歩のない同工異曲で、なおかつ前作ほどに面白くない。多分前作の面白さにはウィル・スミスのキャラクターの軽さと身のこなしの軽さが程良いリズムを生んでいたのだろう。それがなくなって、対エイリアン戦争という骨組みだけが見えてしまうと、『世界侵略 ロサンゼルス決戦』『カウボーイ&エイリアン』と同じ、エイリアンという存在に対する何らの洞察も想像力もない単なるバトル物に堕してしまう。
 なぜかどれも、エイリアンの造型が似たような化け物に過ぎない。そして、全く単なる侵略者として、殺し合うことに何のためらいもない。殺すことは当然であり、かつ全面戦闘シーンになると、殺される人間はほとんど描かれない。まるで想像力の働いている気配がない。高い科学力を持った異星人が、爪だの牙だの粘液だのをもった「怪獣」として描かれる。部分的には人間側の死亡を描くから復讐心が想起され、だが全体として戦闘状態になると一方的に「やっつける」だけになる。
 こういうのは『エクスペンタブルズ』なども同じだから、要は面白ければいいのだ、という見方をすべきなのだろう。冴えない男が奮起して活躍するのを喜ぶとか、誰かの英雄的な活躍に喝采するとか、チェイスにドキドキするとか。そういうのはそれぞれある。ラブロマンスもある。が、どれも大したことはない。
 エイリアンの母船や、それが引き起こす災害の規模の大きさには目を瞠った。それが見所なのだろうとは思う。が、それによる死者が描かれないのは上記の通りだし、描かれるのはギリギリで助かる場面ばかり。敵の強大さに対して、戦闘機で乗り出す対抗策の貧弱さで、どうして撃退できたことになるのか、ちっともピンとこない。
 むろん前回の襲撃の際に敵から得た科学力で、地球の技術も進歩しているらしいし、敵にとっての天敵となる別の宇宙人が協力もしてくれる。だがいずれにせよ人間のスケールを離れすぎてしまうから、逆にサスペンスが薄れてしまうのは、スーパーマン映画のアンビバレンスとして前に書いた。
 工夫はしようとしているんだろうけど。難しい。

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