吉田大八は『桐島、部活やめるってよ』の評価でも、世間とブログ主の不一致があり、これも、それほどすごい映画とは感じなかった。確かに面白い展開で、そこそこに意外な「騙し」も効いている。雑誌作りのわくわく感もある。
だが映画である必要は感じなかった。映画は、一つには予算的に大規模でなければならないような物語を作ることか、ある完結した世界を作ることに価値があるのだと思うのだが、この作品はどちらでもない、テレビドラマでいいじゃん、と思えるような物語にしかなっていなかった。
吉田大八は『桐島、部活やめるってよ』の評価でも、世間とブログ主の不一致があり、これも、それほどすごい映画とは感じなかった。確かに面白い展開で、そこそこに意外な「騙し」も効いている。雑誌作りのわくわく感もある。
だが映画である必要は感じなかった。映画は、一つには予算的に大規模でなければならないような物語を作ることか、ある完結した世界を作ることに価値があるのだと思うのだが、この作品はどちらでもない、テレビドラマでいいじゃん、と思えるような物語にしかなっていなかった。
バンクシーに興味はあるものの、まとめて知ろうとしたことはなく、作品も、目に入る偶然に任せているだけだった。テレビ放送を見つけたので録画してみてみる。
これはNHKのドキュメントシリーズ『世界サブカルチャー史』だ。ある時代、ある地域、イギリスやアメリカやヨーロッパのサブカルチャーの歴史をざっとたどって通観できる。
もちろんバンクシーだからアート(美術)界隈を中心とする歴史だが、そこには権威づけられたハイアートとサブカルチャーの緊張があり、アートが社会にとって、大衆にとってどういう意味があるか、という問いかけがある。デュシャンの「泉」はあざとすぎ、ただの「意図」が見えるだけで心が動かないが、バンクシーはさまざまな問いの形がそれ自体新鮮でありながら、「絵」としても心を打つから見事だ。