2017年5月21日日曜日

『ある日どこかで』 -ロマンチックなタイムトラベルものだが

 根強い人気があると聞いていたタイムトラベルもの。
 なるほど良い場面はある。1910年頃の光溢れる昼下がりの海辺はクラシカルな美しさで1980年の映画とも思えない。あるいは人物が画面の右側に不自然に寄っているなあと思っていると、画面の左側の空間に入っている人影が物語にからんでくるあたりは、一応映画の文法、効果を心得てる感じではある。音楽もたっぷりロマンチックで美しい。あるいは、少々の伏線回収もされていて、ああ、とも。
 だが全体としては感心するのは難しい。
 まず、自己催眠によってタイムリープするという設定は、斬新と言うには無理がありすぎてついていけなかった。あっさり成功するわけではなく、いちおうの苦労はしているが、それも頑張って自己暗示をしているわりには、成功するとあっさりと1910年に存在してしまう。そもそもやるのなら、最初のところで、もうちょっと行きつ戻りつの試行錯誤があれば、過去に行くことの不安定さが表現されて、そのサスペンスが、ポケットに入っていたコインによって現在に引き戻されてしまうという展開につながるはずなのに。
 そして、エンディングのアンハッピーエンドも許し難い。これは好みの問題ではある。あの筋立てならば、喪失感を伴った現実への復帰でなければならないはずだ。
 何より、「運命の出会い」に入り込めない。いきなり二人とものめり込みすぎだろ。肖像写真を見ただけの女優に惹かれて、現在を捨てて過去にタイムリープしてしまうには(確かにいささか、現在に倦んでいる様子は描かれるにせよ)、唐突すぎてノれない。相手の女優も、最初こそためらっているが、あれよとその気になって、どうにも「運命の人」という以上の理由付けはないのだった。
 折しもテレビドラマの「ボク、運命の人です。」を見ているところなのだが、これは、神様に「運命の相手だ」と言われて出会う男女が、運命の計らいやら本人たちの努力やらで少しずつ距離を縮めていく話だ。距離の縮め方にはこれくらいのなじませ方が必要なのだ。
 あるいは映画という長さならば『ローマの休日』はさすがにゆるぎなき名作だった。あれは「運命の人」というのとは違うが、1日という長さで惹かれ合っていく男女が充分に感情移入可能な必然性で描かれていた。もちろんそれはあの「休日」という特殊性にもよるのだが、それにしてもあの「喪失感を伴った現実への復帰」は見事だった。
 本作がなぜそれを目指さずに、いたずらな悲劇でありながら、幻想の中でハッピーエンドにするなどと二重に許し難い結末にするのか、全く理解できない。

2017年5月14日日曜日

『アフター・アース』 -作られる必然性がわからない

 M・ナイト・シャマランは『シックス・センス』以外は駄作だという意見が大方のところだが、個人的には『ハプニング』は、結末の不全感はどうにもならないが過程のサスペンスは大いに結構だった。さて、大作SF映画はどうか。
 いやはや、どうにもならない。
 宇宙船の事故で、かつての「地球」に不時着したウィル・スミス演ずる「将軍」の息子が、救援を呼ぶために、落下した宇宙船の残骸までの100キロを4日間で走破する話。怪我で動けないウィル・スミスは、息子の旅を無線通信で見守る。
 偉大な父からの独立がテーマであることは明らかだ。しかも対地球人の生物兵器に対抗するためには「恐怖」を克服する必要があるという設定がされていて、結末は息子がこれに成功して怪物を倒すのだが、この恐怖の克服がすなわち父からの独立にもなっているのである。
 一応、テーマ的なねらいはわかる。だがどうにもならない。
 危険な道行きは、そもそも困難でなければ面白くないのだが、一方で成功すればご都合主義に見えてしまう。そして見事にご都合主義で、まるで緊迫感が感じられない。こういう、異世界とか異星物とかは、どうにもその塩梅が難しい。成功するはずがないほどの危険があってもいいはずだ。それがなぜに、あのように「丁度いい」危険なのか。最初から地球でいいではないか。日本列島横断くらいでいいではないか。

 また、主人公の息子は父へのコンプレックス全開で、とても愚かしく見苦しい。こういうキャラクターは「エヴァンゲリオン」でもうんざりなのだ。「ガンダム」のアムロは愚かではなかったから不愉快ではなかったのだが。
 主人公の成長も、結局何が要因だったのかわからずに成されてしまって、やっぱり予定調和。
 そして何より、CGで異世界を作って出来の悪い映画はほんとうにやめた方がいい。そんな必要のない小規模な映画を作ろうよ、シャマラン。

2017年5月7日日曜日

『天国と地獄』 -犯罪捜査の過程は丸

 新幹線での身代金受け渡し場面が名高い、黒澤明作品。
 丘の上の豪邸に住む製靴会社重役の息子が誘拐され、身代金の請求の電話が犯人からかかってくる。設定を知っているという以上に、見覚えがある。観たことがあるのだろうかと考えるが、結末が思い浮かばない。
 調べてみると数年前にテレビドラマになったものを観ているのだった。鶴橋康夫演出だというのに、特に印象もない。
 さてその後、運転手の息子が間違って誘拐されたのだとわかるが、かまわず身代金が請求され、見殺しにするわけにもいかない重役は支払いに応ずる。
 重役を演ずるのは黒澤映画おなじみの三船敏郎。そういうわけですっかり立派な人という扱いになっているが、あそこは運転手が銀行から借りるというのが筋なのだから、一時的に雇い主である製菓会社重役がお金を出すにせよ、重役の手元にお金が戻らないということにはならないはずなのだが。そこに人間ドラマを設定するのは無理があると感じた。
 有名な新幹線での身代金受け渡し場面は映画の前半部で、これも特筆するほど面白いと感ずる展開でもなかった。
 題名の『天国と地獄』というのは丘の上の重役邸と犯人の住む下町の対比の比喩なのだが、そこに何かドロドロした人間ドラマが描かれているかというとそんなこともない。ラストの犯人の山崎努の演技はやはりそれなりに見応えはあったが、いかんせん、映画全体がそのドラマを支えるような細部を持っていない。 
 だが、誘拐と身代金奪取は成功してしまって、さてそこから後半部は警察の捜査の過程に重点が移って、じわじわと面白くなる。そういえば原作はエド・マクベインの「87分署シリーズ」の一編で、つまり警察の捜査チームの群像劇だ。捜査の過程も犯人の追跡も麻薬街の造形も見応えがあった。
 それでもイギリス、グラナダテレビの『第一容疑者』シリーズや横山秀夫原作の警察物に比べると大分食い足りないのだが、これも時代のせいか?