2017年5月14日日曜日

『アフター・アース』 -作られる必然性がわからない

 M・ナイト・シャマランは『シックス・センス』以外は駄作だという意見が大方のところだが、個人的には『ハプニング』は、結末の不全感はどうにもならないが過程のサスペンスは大いに結構だった。さて、大作SF映画はどうか。
 いやはや、どうにもならない。
 宇宙船の事故で、かつての「地球」に不時着したウィル・スミス演ずる「将軍」の息子が、救援を呼ぶために、落下した宇宙船の残骸までの100キロを4日間で走破する話。怪我で動けないウィル・スミスは、息子の旅を無線通信で見守る。
 偉大な父からの独立がテーマであることは明らかだ。しかも対地球人の生物兵器に対抗するためには「恐怖」を克服する必要があるという設定がされていて、結末は息子がこれに成功して怪物を倒すのだが、この恐怖の克服がすなわち父からの独立にもなっているのである。
 一応、テーマ的なねらいはわかる。だがどうにもならない。
 危険な道行きは、そもそも困難でなければ面白くないのだが、一方で成功すればご都合主義に見えてしまう。そして見事にご都合主義で、まるで緊迫感が感じられない。こういう、異世界とか異星物とかは、どうにもその塩梅が難しい。成功するはずがないほどの危険があってもいいはずだ。それがなぜに、あのように「丁度いい」危険なのか。最初から地球でいいではないか。日本列島横断くらいでいいではないか。

 また、主人公の息子は父へのコンプレックス全開で、とても愚かしく見苦しい。こういうキャラクターは「エヴァンゲリオン」でもうんざりなのだ。「ガンダム」のアムロは愚かではなかったから不愉快ではなかったのだが。
 主人公の成長も、結局何が要因だったのかわからずに成されてしまって、やっぱり予定調和。
 そして何より、CGで異世界を作って出来の悪い映画はほんとうにやめた方がいい。そんな必要のない小規模な映画を作ろうよ、シャマラン。

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