邦題にあるようにリピートものだろうと思っていると、眠ると記憶がなくなるという設定で、毎朝が同じように記憶のない状態からの始まりになるという意味でのリピートものなのだった。
前向性健忘といえば『博士の愛した数式』だが、もちろんサスペンスだからそれよりは『メメント』と『マニシスト』を連想させる。
記憶のない主人公とともに、観客も少しずつ「真実」を知っていく。もちろんその中にはなかなか明かされない謎があったり、ミスリードがあって、何が真実かが二転三転したり。
そういった展開は実に想定内で、それほどのサスペンスも驚きもないなあと思いながら観ていたら、あろうことかそのまま終わってしまった。ドンデン返しで示された「真相」は想定内で、まさかこのまま終わるのかという不安が、そのままそれ以上はひっくり返されずに終わるのだった。
観客は健忘などないから、徐々に明らかになる真相を蓄積させていけるが、主人公は忘れているはずだ。ビデオで撮影しているから、少しずつ真相が蓄積されているのだという説明ではまるで整合性がとれないほど、彼女は着実に「真実」に近づいていく。といって、それはミスリードされた「真実」だから、結局ひっくりかえる。なのにどうしてそれを彼女が信じてしまうのかがわからない。もっと観客が徒労感に苛まれるようなもどかしい前進の様子など描かれれば、感情移入もできようものの、徒にあらぬ方向にミスリードされるばかりで、不快な方向にもどかしいばかり。
不満を言うために分析するのも空しいのでもうやめるが、いったいどうしてこんな杜撰な脚本が、よりによってニコール・キッドマンとコリン・ファースなどという名優を使って映画化されるのか。いや、エンドロールまで、何か随分似た俳優だなあと思っていたのだが、本当にニコール・キッドマンとコリン・ファースの名前が出てくるものだから、映画のひどさの反動で驚いたのだった。