高校生の生活の中に起こるささやかな事件の謎を次々と解いていくミステリーといえば米澤穂信の「古典部」「小市民」シリーズではある。「日常の謎」系とえば古くは北村薫だ。
それらに比べると小品ではあるが、山田杏奈が笑わないまま長い時間を過ごしているのが気になって見続けてしまった。高校生たちを主人公にしたこういう話がどう決着するのかが気になってしまう。
ものすごく面白かったといえばそうでもないが、筆者にとって奥平大兼の3本目のドラマということで覚えておこう。
高校生の生活の中に起こるささやかな事件の謎を次々と解いていくミステリーといえば米澤穂信の「古典部」「小市民」シリーズではある。「日常の謎」系とえば古くは北村薫だ。
それらに比べると小品ではあるが、山田杏奈が笑わないまま長い時間を過ごしているのが気になって見続けてしまった。高校生たちを主人公にしたこういう話がどう決着するのかが気になってしまう。
ものすごく面白かったといえばそうでもないが、筆者にとって奥平大兼の3本目のドラマということで覚えておこう。
話題作だし、クリストファー・ノーランだし。ようやく。
『ファブル』のアクションはすごいなあと思って見たが、ハリウッドになるとスケールが違う。だが違いすぎて無感覚になる。すごさがインフレしている。旅客機を空港の建物につっこませる大がかりなスタントも、考えればすごいことはわかるのだが、邦画がそれをやることの「がんばっているな」という想像力を超えているからもう同じようには感動できない。
さて時間の逆行という妙な設定は、あちこちでは面白かったが、それが一貫しているかどうかがどうにも計りがたく、なんとなく怪しいという感じがしてしまってノリきれなかった。
どうなんだろ、ちゃんと辻褄は合っているんだろうか。あの妙な設定。どうも時々は都合良く順繰りに展開してるように感じたが。
それと、主人公のヒロインに対する執着もよくわからなかった。
シリアルキラーを追う警察ドラマ。こういうのは圧倒的に海外ドラマに分があるのだが、日本のドラマもがんばってほしいと見続けた。
何度もどんでん返しが起こる展開は健闘しているとは言える。が、中村アンのヒロインが魅力的とも言えなかったし、真犯人が充分に衝撃的には感じなかった。残念。健闘してはいるんだが。スタッフもキャストも。
なかなか捕まらないシリアルキラーという設定が日本向きではないことなのかもしれない。
とにかく湿地の風景が珍しくも美しかった。
人間ドラマとしてももちろん観られたのだが、ミステリーとしては中途半端。というか、そこでそれくらいのどんでん返しをすることが、この映画全体の味わいにどう影響を与えるともつかない感じではあった。
今シーズンのアニメが妙に面白くて、実写版を見ようという気になって、見始めると、あまりアニメのストーリーとは一致していない。まあ設定は同じだから、いろいろ省略もあるんだろうと見続けているうち半分以上過ぎてもアニメのストーリーが出てこないんで調べてみると続編だった。中断して、まず一作目を観て、さらに二作目の続きを観て、併映を一度に、という昔の映画館のようなことになった。とはいえどちらも2時間以上ある。
主人公の無敵感が「俺つええ」系の快感なのだろうか。さらにヤクザたちの強面がその対比として登場しているから、主人公の強さが一層の快感になる、わかりやすい構造ではある。
とはいえ、二作どちらも、邦画としては突出したアクションの質の高さが際立っていた。一作目は廃棄物処理場を舞台にした長い長い戦闘シーン、二作目では冒頭の立体駐車場のカーアクションがもうすごいのだが、さらに後半の改装工事中のマンションでの、足場を活かしたアクションは、動きが立体的に構築されていて目くるめくような展開だった。そうしたアクションをイメージすることも撮影のための計画を立てることも、俳優たちがそれを実演することも、どれほどの能力と準備が必要だろうと思うと、感嘆しつつ感動したのだった。
それにしても、そうしたアクションの魅力があるわけではないアニメが妙に面白いのはなぜかという謎は深まる。
原作が面白いであろう事は想像に難くないが未読なので、映画単体で。
音楽コンクールを描くということの手間はいかばかりかと思いやられる。オーケストラを用意し、その演奏の映像を様々な角度から切り取り、演奏自体と俳優による吹き替えを合わせ、編集する。そしてできあがった音楽映画は映画なのか。音楽会、コンサートのライブ映像ではいけないのか?
格闘技も、単にプレーだけを見たいわけではなく、戦う者たちの背景が見えないと充分に感動的ではあり得ない。それぞれの負けたくない思いに感情移入したときに、格闘技の観戦は見る者の感情を揺さぶる。
『セッション』も『コーダ』も、単に音楽のコンサート映像を見ているわけではない。そこにドラマを見ているから感動的でもあり得る。本作はどうなのか。
クラシックというジャンルにおけるコンクールは、単に売れる売れないという形で表れる評価とは別に、審査員に選ばれることによる不全感が拭いがたくつきまとい、さまざまな思惑が絡み合うドラマを生む。競争心と嫉妬、そして正直な賞賛。
コンクールで競い合う者たちの友情も美しいし、丁寧に細部を描いた上で豊富なインサートでイメージを複雑にする映画作りも達者だった。
それでも充分に面白い映画だったかといえばそうでもない。音楽における「天才」の描き方に疑問が残った。無垢なる天才というステロタイプ。どうなんだろ、小説ではここに十分な深みが描かれるのか。
音楽を描く小説という不可能性もある一方で、単なる音楽会を撮影した映像を超える音楽映画という困難。