知人の劇団の舞台は皆勤賞なのだが、毎年そのことを書き留めておくのを怠って、第2回以来の第7回公演。
木下順二の『巨匠』という演目なのだが、これは以前から教科書の加藤周一の文章に言及があるので知っていた。行く直前に調べて、ああ、あれかと思い至った。
ナチス支配下のポーランド。「知識人」を処刑しようとするゲシュタポの前で、旅回りの老俳優が、自分が「俳優」であるかどうかを証明しようとする。「俳優」ならば知識人として処刑されるが、当面の仕事である役所の簿記係ならば逃れられる。だが老人は自らが俳優であることを証明するために『マクベス』の一場面を演じて、処刑される。
加藤周一の紹介に拠れば、老人が演じたのは、同じ場所にいた俳優志望の若者に、戦時下にあって失われない芸術を見せるためだという。だが実際のその場面にはとりわけそういった描写はなく、老人はもっぱら自らのアイデンティティの証明のために命をかけたように描かれている。老人は自分が俳優であることの証明として、有名俳優からの紹介状を持っていたのだが、それをドイツ将校に見せると、あっさり破り捨てられてしまう。その途端、自分が俳優であることを証明するために『マクベス』を演ずることを将校に申し入れる。アイデンティティの証明のために命をかける、という主題は明確であるように見える。
だが、よく観てみると、老人は処刑のために外へ連れ出される際に、室内を振り返って若者を見る。長い間。その時に若者にも照明が当てられ、そこで何かの交感が生じていることが示される。なるほど、加藤周一の言っている、ポーランドの芸術の継承のために老人は演じたのだ、という解釈はそこから出てくるのか。
芸術をはじめとする文化を破壊する者に抗して芸術の価値を宣言する声を聞き取ることができるのは、はからずも破壊者自身が芸術を理解することのできる目を持っていたからであるという皮肉。