2024年9月24日火曜日

『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』-クドカンに求めるもの

 宮藤官九郎の監督・脚本作品だというので、観てみるが、手放しで面白かったとも言い難い。ギャグは効いていた。確かにクドカン作品の面白さに笑いがあるのは確かだが、それだけを求めているわけでもない。「ゆとりですが何か」の面白さも、そこではない。くすりとさせてくれるのは悪くはないが。それよりもストーリーの巧みさと人間ドラマではないか。

 もちろん輪廻転生ものとして切ない決着を見せようとはしている。だが、全体には無理矢理なギャグが邪魔していて、あんまりそれにはのれなかった。

 長瀬智也と神木隆之介のうまいことには唸ったし、音楽がのりのりなのも楽しかったが。


2024年9月22日日曜日

『プリズン13』-弛緩した

 日本版スタンフォード実験映画。期待はしていないが、やはりこれはダメそうだととばしとばし見ていても多分問題ないほど弛緩した演出。

 映画としてはひどいと思ったが、同時に、監獄が全体を「檻」として設定し、工場のようなスペースに置かれて展開するので、なんだか舞台劇のようでもあった。そう思って見ると、たぶん舞台劇ならそこそこ観られる。舞台劇には映画のようなリアリティが期待されていない。それこそ「芝居」がかった感情の表出が許される。

 そういう映画だった。

2024年9月20日金曜日

『エコーズ』-標準点

 とりあえずホラーで、アマプラの評価も低くないものを、というだけで事前情報もなく、ケビン・ベーコン主演を頼りに。

 殺された女子高生が幽霊になって自分の死体を捜させる、というベタな設定で、ホラーとしては、カメラがパンすると死角から幽霊が現れるというジャンプスケアくらいでそれほど質の高いものではないが、全体には手堅い描写で、一応は観られる。

 ちゃんと決着のつくストーリーは不全感もなく標準点ではあるが、大満足というわけにはいかなかった。

『初恋の悪魔』-坂元裕二

 2年前の放送だが、今のところ坂元裕二の連続テレビドラマとしては最新作。

 2話の途中まで気づかずにいたので、最初のところを観るまではと、録画したものの2年間未見だった『初恋の悪魔』が、ようやくアマプラに挙がったのでとうとう見始めた。見始めるにあたって娘を誘って、1話を観たところで、この後は一緒に観ることにした。

 演出が坂元裕二作品をいくつも手がけている水田伸生なのは安心だが、1話を見る限り微妙なぎこちなさもある。松岡茉優の真顔は『最高の教師』でやりすぎだと感じていたが、これもちょっと。

 主人公グループが謎解きをする際の、現場の中にバーチャルに登場して歩き回りながら真相を推理する演出はテレビ的には売りなのかもしれないが、『不適切にもほどがある』のミュージカルシーン同様、それが楽しくて、というほどの魅力はなかった。それよりもリビングでくり広げられる4人のやりとりだけで魅力は十分。例えば登場人物二人が同時に、反対方向に首をかしげる「お芝居」的演出でくすぐるところはやはりよくできている。

 さて、毎回、事件を解決するドタバタのミステリーシリーズなのかと思いきや、後半に入って、通して設定されている大きな事件が主人公たちを大きく動かしていく。その引きの強さに、にわかにのめりこんで、後半は一晩に3話、2話と続けて観た。それぞれに映画1本分の長さの鑑賞は、世界への没入感も強く、幸せな視聴体験だった。

 松岡茉優のヒロインが二重人格で、仲野太賀と林遣都の間でそれぞれに関係を作るのだが、これは一体どう終われば納得いくエンディングなのかと気になる。真面目で生きにくい林遣都演ずる鹿浜のキャラクターが実に愛おしいのだが、こちらと相対するヒロインの人格の方が「副」という設定で、最終話で、消える前に最後に鹿浜に会いに来るという、ある意味ではベタとはいえ、実にもうどうしようもなく切ないエピソードを、どう描くか、見物だった。

 で、これはもう最高に良くできた脚本と演出だった。本当に切なく、でも単に悲劇にばかり描いてはその後の日常に差し障りがあるから、ぎりぎりのところで軽くバランスを取る。

 『大豆田とわ子』の面白さの完成度は驚嘆するほどだったが、その世界に観る者を引き込んでとどめてしまう強さは本作の方が強かった。それだけ濃密な感情を味わった。


2024年9月16日月曜日

『桐島、部活やめるってよ』-映画人の自己愛

 最近ようやく『初恋の悪魔』を見始めて、ここで共演している松岡茉優と仲野太賀が12年前に共演した本作ではどんな感じだったっけ、と観直してみた。

 同時に、前回の鑑賞では良い印象がなかったが、そこに変化はあるか、という興味も。


 観終わって、前回どんなことを書いているかと見直してみると、間然するところがない。かなり細かい印象まで、そのまま今回も同じように感じた。むしろ好感を持てたかのように書いているほどに面白いとも感じなかった。より一層、映画人の自己愛ではないかと感じ、同時にそこに戯画的な誇張があるのも残念だった。

 あらためて、これを年間の最優秀映画に選ぶ日本アカデミーというのはいかがなものか。


2024年9月15日日曜日

『サイダーのように言葉が湧き上がる』-アニメ的演出

 陰影をグラデーションにせずに、分割された面を驚くほどカラフルに彩色する画面は、古くは『ハートカクテル』のワタセセイゾウや、古沢良太が脚本を書いていた深夜放送アニメ『GREAT PRETENDER』が思い出される。観ているだけで楽しい。

 なんか音楽も心地良いなあと思っていると牛尾憲輔で、あろうことか劇中で50年前のシンガーソングライターの曲という設定で流れ始めたのは大貫妙子の声だった。良い曲だった。


 にもかかわらず面白かったとは言い難い。

 例によって、アニメっぽい演出が鼻につく。やたらと大げさに感情を表出させることが「面白いアニメ」であるように勘違いしているらしい描写が観ていて居心地が悪い。照れたり焦ったり驚いたり、リアリティを目指していないことはわかるが、じゃあ面白いかといえば面白くはない。これをやられると感情移入が阻害されるとは思わないんだろうか。思わないんだろうな。韓国映画的な、これって面白いでしょ、演出。

 イシグロキョウヘイは「Occultic;Nine」を録画してあって、にもかかわず8年間未見なのだが、これは期待値が下がる。下がる方がいいかもしれないが。期待値は。

 脚本が「攻殻機動隊」など、神山健治との仕事で名前を見る佐藤大なのだが、これも感心しなかった。老人がレコードを探してショッピングモールを徘徊するという設定も無理がありすぎるし、ヒロインのコンプレックスは出っ歯のはずで、そのせいでマスクを外せないという設定(コロナではなく!)なのに、歯列矯正中という設定もまぎらわしく余計だし、他にビーバーという、やはり出っ歯の登場人物を出すとか、うまくいってないこと甚だしい。それでも感動的でありさえすればいいのだが、主人公が祭の櫓からマイクで告白するクライマックスで俳句を連呼するとか、感情の揺らし方が集中せずに散漫になる場面演出が残念に過ぎる。