2024年9月15日日曜日

『サイダーのように言葉が湧き上がる』-アニメ的演出

 陰影をグラデーションにせずに、分割された面を驚くほどカラフルに彩色する画面は、古くは『ハートカクテル』のワタセセイゾウや、古沢良太が脚本を書いていた深夜放送アニメ『GREAT PRETENDER』が思い出される。観ているだけで楽しい。

 なんか音楽も心地良いなあと思っていると牛尾憲輔で、あろうことか劇中で50年前のシンガーソングライターの曲という設定で流れ始めたのは大貫妙子の声だった。良い曲だった。


 にもかかわらず面白かったとは言い難い。

 例によって、アニメっぽい演出が鼻につく。やたらと大げさに感情を表出させることが「面白いアニメ」であるように勘違いしているらしい描写が観ていて居心地が悪い。照れたり焦ったり驚いたり、リアリティを目指していないことはわかるが、じゃあ面白いかといえば面白くはない。これをやられると感情移入が阻害されるとは思わないんだろうか。思わないんだろうな。韓国映画的な、これって面白いでしょ、演出。

 イシグロキョウヘイは「Occultic;Nine」を録画してあって、にもかかわず8年間未見なのだが、これは期待値が下がる。下がる方がいいかもしれないが。期待値は。

 脚本が「攻殻機動隊」など、神山健治との仕事で名前を見る佐藤大なのだが、これも感心しなかった。老人がレコードを探してショッピングモールを徘徊するという設定も無理がありすぎるし、ヒロインのコンプレックスは出っ歯のはずで、そのせいでマスクを外せないという設定(コロナではなく!)なのに、歯列矯正中という設定もまぎらわしく余計だし、他にビーバーという、やはり出っ歯の登場人物を出すとか、うまくいってないこと甚だしい。それでも感動的でありさえすればいいのだが、主人公が祭の櫓からマイクで告白するクライマックスで俳句を連呼するとか、感情の揺らし方が集中せずに散漫になる場面演出が残念に過ぎる。


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