2015年12月24日木曜日

『パニック・フライト』(監督:ウェス・クレイブン)

 テレビ番組表によると、いかにもなB級サスペンス映画的な紹介だったのだが、監督がウェス・クレイブンときいて観てみる。
 するとこれがまたすばらしく面白い。放送時間にして正味1時間ちょっとで、ここまで次から次へと展開するサスペンス映画を作る手腕は、さすがの職人芸だ。
 主人公が、親族を人質にとられて要人暗殺の片棒を担がされるという設定は、奇しくも最近『ニック・オブ・タイム』で見たばかりだが、あれよりもはるかに面白かった。こんなにも似た設定なのに。
 ネットでは毀誉褒貶あって、犯人が愚かすぎるというのだが、そういう人が「~すればいいのに」という可能性は、ちゃんと封じられているように思えるのだが。それができない理由はちゃんと説明されていて、だから主人公はちゃんと苦労せざるを得ず、だからちゃんとサスペンスが生まれている、と思うのだが。『ニック・オブ・タイム』も、苦境から逃げるのが難しいのは確かだが、といって主人公を使った暗殺などがそもそも大いに失敗しそうで、はなから計画に無理がある、という感じだが、こちらはそうした無理もないと感じた。
 なぜ原題と違う英語の邦題をつけるのかと思ったら、そうか、『フライト・プラン』の二番煎じを狙ったのな(なおかつジョディ・フォスターつながりで『パニック・ルーム』の二匹目の泥鰌も狙っているのか)。よし、それを見逃しても、劇場未公開なのはどういうわけだ。まあ劇場に見に行ったりは決してしないだろうけど。それでも、『フライト・プラン』のようながっかり感を感じさせないだけ、テレビで観るには満足度の高い映画だった。
 『フライト・プラン』といい『ニック・オブ・タイム』といい『パニック・フライト』といい、ネットでは犯人の計画の杜撰さを揶揄する声がかまびすしいが、この中では本作が最も納得感が強く、とすればあとはそのサスペンスの盛り上げ方と解決の爽快感が勝負だ。つまるところ『スクリーム』くらいには面白い。というか、密度からすると、『スクリーム』シリーズ中でも屈指の(いや、全作含めても「屈指」だが)面白さだと言っていい。

2015年12月11日金曜日

『狩人の夜』(監督:チャールズ・ロートン)

 1955年の映画だから、もちろんカラー映画が当然の時代に、あえてモノクロ映画である。そのせいもあって、「こんな古い映画なんだから」と、最初から評価の基準が低くなっている気もするが、ジュディ・ガーランドの『オズの魔法使い』や大作『風とともに去りぬ』が1939年だから、ハリウッド映画はもう充分、今の評価基準でうけとめていいのだろう。
 いや、妙な魅力のある映画だった。「カルト映画として人気」という評価なのか。なるほど。美しい映像が頻出してドキッとする。川底に沈む車の座席に座った女の死体がやたら綺麗に見える夢のようなシーンはネットでも誰もが触れているし、子供たちの川下りのシーンに絡む生き物やら、昼だか夜だか分からない作り物の空だとか、悪夢のような、童話のような、妙な世界だった。
 二枚目のロバート・ミッチャムが狂気のシリアル・キラーを演ずるのだが、この牧師がやたらと登場する女性を惹きつけてしまい、そのことを本人も承知の上で利用しつつ、実は(当然と言えば当然だが)女性を憎んでいる、という設定が、魅力の一つではある。だが、どうもよくわからない。信仰心が本物のような嘘くさいような、金に執着するのもどうして必要な設定なのかわからない。そしてリリアン・ギッシュの老女の、一筋縄ではいかないキャラクターも、もちろん魅力的ではありつつ、どのあたりで捉えたらいいのか、落とし所がわからない。
 すごい映画であることは間違いないのだが、どうも捉え所が安定しない。

2015年12月6日日曜日

陽月メグミ 2

 先日YouTubeで見つけて驚いた「陽月メグミ」さんのライブが東京であるというので(大阪在住の人だそうだ)行ってきた。この週末の、めずらしく余裕のある日程が幸いだった。
 京王線明大前駅近くの「One」。入ってみると狭い狭い。客は満員で10人ちょっとというところ。ステージまで2mといった距離のカウンターに座って、演奏を堪能できた。
 「最初にボサノバを何曲か」と言って、一曲目が「イパネマの娘」で、オッとなった。スタンダード中のスタンダードが最初にきても不思議はないというより、素人向けにわかりやすくという配慮だろうけれど、オッというのは、先週の日曜日に、こちらもライブでやった曲だったからだ。あちらはビッグバンド用にアレンジされたものを、なんとかシンプルにシンプルに、ボサノバ本来のサウンドに戻そうと音を削って削って、ようやく納得できるものにしたのだが、こちらはガットギター弾き語りという、由緒正しいボサノバだった。ボサノバをビッグバンドでやるなんて、ボサノバへの冒瀆だと思う。
 メグミさんのライブは、多くはボサノバテイストのアレンジだったが、2ステージの1曲目とラストのジャミロクアイといい、ライブではそれなりにダイナミクスのある演奏もまたエモーショナルで良いのだった。You-tubeよりもずっと良かったのは、臨場感というだけでなく、多分、ライブという場で力を発揮する人だからだと思う。
 2ndステージのラストのJamiroquai「Virtual Insanity」


 昨夕、家を出てくるときに歩道橋の上から、夕空をバックにした富士山のシルエットがくっきり見えて印象的だったのだが、今朝の帰りに、駅のホームの延長上に、これまたくっきりと冬の富士山が見えていてびっくり。千葉県の印旛郡から見た富士山はこの距離にして見えるかという大きさが驚きだが、東京の世田谷から見ると、単に大きくて驚く。
 こういうとき、スマホだとそれぞれの写真を撮っておいてここに載せて比べられるのだが、ガラケーゆえそんなことをする発想が浮かばない。

2015年12月4日金曜日

『アジャストメント』(原題:The Adjustment Bureau)

 『リプリー』に続いてマット・デイモン主演映画を。
 歴史を陰から操ってきた組織「The Adjustment Bureau(調整局)」によって決められてしまう運命に抗って、自分の力で愛する女性との運命を実現させる下院議員をマット・デイモンが演ずるSF映画。
 よくできてる。監督のジョージ・ノルフィって、ただもんじゃねえ、と思ったら『ボーン・アルティメイタム』の脚本家だというのだが、だからといってこの監督としての熟練度はなんなんだ。
 途中まで、先の展開に対する興味をかきたてる吸引力がものすごいんだが、最後まで観ると、SF設定に対する期待は、実はそれほど満足させられない。SFというか、「謎の組織」は、結局「神の率いる天使たち」でしかなく、何やら最近観た『運命のボタン』やら『コンスタンティン』やらを思い出してしまった。SFといいながら、結局愛の力が勝つって結末については『エターナル・サンシャイン』を思い出したり。観ながら『運命のボタン』を思い出したのは、途中に出てくる、「神の世界」に属するらしい図書館が、『運命のボタン』に出てきた場所と同じではないかと思ったからでもある。調べれば有名な図書館なのかもしれない。ネットでも二つを連想で結びつけた人が多いことが確認できる。エンターテイメントとしての「わかりやすさ」「すっきり」度はこちらの方がはるかに高いが。
 愛の力が「運命」を乗り越える、というコンセプトにしても、そもそも主人公がヒロインに惹かれてしまうという、基本的な物語の原動力が前世の因縁だかの「運命」らしく、結局それって運命に操られているってことじゃないか? 相反する「運命」同士の拮抗に過ぎない?
 展開も映像も実に良くできた映画なのに、結局、物語に打たれることなく終わってしまうのは残念だった。

2015年12月1日火曜日

『リプリー』

 観始めてしばらくして、これは『太陽がいっぱい』じゃないかと思っていたら、はたしてそうなのだった。
 とはいえ、『太陽がいっぱい』を観たのはもう何十年前のことか、主人公が友人を殺し、ラストシーンでその犯罪が明るみに出て破滅するという展開だけしか覚えてはいないのだが。
 ところでこちらは文句の付けられない、すべてがうまい映画だった。ストーリー展開が巧みなのは原作がそうなのだろうが、演出から演技から編集からロケハンから、見事なものだった。
 だが後味は悪い。『太陽いっぱい』の因果応報的結末はそれなりの完結感があるのだが、それに比べて『リプリー』のこの、いきなりな終わりはなんだ?
 もちろん放送枠のカットの問題もあるんだろうが、終わってから調べてみると、そもそもこの物語はピカレスク・ロマン(悪漢小説)で、この後もリプリーが犯罪者として生きていくというのが原作の流れなのだそうな。ウィキペディアの紹介を見る限り、『リプリー』の暗さからは違和感のある続編だなあ。
 というわけで主人公が破滅する方がまだ後味はいいといえる。

 マット・デイモンのうまいのは今更言うまでもないが、アカデミー賞にノミネートされたジュード・ロウはもちろん、ケイト・ブランシェットやグウィネス・パルトローなど、脇も豪華。